私は南京虐殺は無かったのかも知れないと思っています。しかしそれを声高く叫んでも虚しく感じるだけです。虐殺が無かったという証拠を書き連ねているのを読んでも虚しくなるだけです。
中国の教科書には南京虐殺が詳細に書いてあり、その上、南京市には「南京虐殺記念館」まであるのです。中国人は学校で習い、信じています。
海を隔てて日本からいくら大声で叫んでも聞こえる筈は無いのです。
こういう場合は自分の感情を静めて、中国人を非難するのを止めたほうが良いのです。自分は許せば自分が幸せになります。
まず自分が許すのです。
韓国の従軍慰安婦に日本政府は関係しなかったと主張すればするほど韓国人は感情的になってアメリカ中に従軍慰安婦の像を建てようとします。
許して、何も言わないのが最良の策なのです。日本人はもっと誇り高くあるべきです。低次元な言いがかりに取り合うべきではないのです。
このように書くとすぐに説教する人がいます。「国際関係はそんな綺麗ごとではありません。声を高くして、何度も言ったほうが勝つのです」と私を叱るのです。
私は叱られて結構です。
今日のミサではイエス様の「汝の敵を愛せ」、そして「右の頬うたれたら左の頬をも向けなさい」という言葉を教わりました。
日韓関係と日中関係での感情的な喧嘩外交は日本の国際的な地位を落し、日本の国益を損なっていると思います。
もうそろそろ止めにしませんか?