最近の日本人は戦争の悲惨さを忘れたのでしょうか。平和の有難さを忘れたのでしょうか。
戦争を回避して、平和を守るには軍事的な抑止力と国際友好外交の両方を組み合わせて賢明に努力しなければなりません。
軍備強化だけをし、仮想敵国を感情的に刺激する言動を繰り返して、相手に激しい敵意を抱かせることは戦争への階段を登っていることになります。
そこでこのブログでは国際友好のための一助になるように、「忘れ得ぬ外国の恩人たち」という連載記事を始めたいと思います。
第二回の今日は、アメリカでの恩人であるセント・ピエール教授の事などを書いてみたいと思います。我々の結婚式の面倒をすべてみてくれました。そして後には、私をオハイオ州立大学の客員教授に招んでくれた生涯の恩人です。
欧米人の忘れ得ぬ恩人のことを何回か書く目的をここで説明いたします。
最近、多くの人々は、日本人が昭和時代に行った戦争を正当化しようとしています。
その理由は「戦争をしなかったら欧米諸国が日本を植民地にしていた。それを防止するために戦争をしただけです。それは正義の戦争だったのです。」という主張です。
しかし昔のことを少し振り返って見ましょう。
リットン卿の満州調査団の報告を拒否して国際連盟の理事国だった日本が脱退してしまったのです。
そしてドイツがフランスを占領した後に、日本軍が現在のベトナム、ラオス、カンボジアなどの仏領インドシナを占領してしまったのです。他にもいろいろ原因はありますが、私はこれが戦争になる決定的な原因の一つになったと考えています。
「欧米人が本気で日本を植民地にしようとしていた」ということを私は疑っています。
欧米人と個人的にいろいろ付き合ってみると、それが実感としてどうしても信じられないのです。
勿論、個人は皆善い人でも、国家ということになると他民族を抹殺しようという人類共通の性格に変わるのです。
ですから個人の体験は役に立たない可能性があるのです。
しかし国際友好はやはり個人の友情から生まれます。ですからこそ私は個人の体験を重要視しているのです。
歴史観とは個人の体験によって決まります。日本人の歴史観はその人口の数だけ違う歴史観があるのが自然です。
私は自分の体験から、「欧米人が日本を植民地にしようとしていなかった」と確信しています。
このような体験をしますと「欧米人が日本を植民地にしようとした事」がどうしても信じられないのです。 戦争をして領土を広げようとしていた軍部やそれに同調した政治家の脅しだったと考えてしまうのです。 最近、日本は軍備強化をしています。それは戦争の抑止力として必要なことですが、同時に正しい歴史観に立った全方位の国際友好外交も絶対的に重要なのです。 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
私の体験の一例として、オハイオ州コロンバス市で行った結婚式のことを以下に書いてみたいと思います。
========= ◎アメリカでの結婚 =======
1961年に私どもはオハイオ州のコロンバス市で結婚しました。
その時、親身になって世話をしてくれたのが私の指導教官のオハイオ州立大学のセント・ピエール教授とその奥さんでした。
そして、他の大学の先生たちやアメリカ人の同級生たちが皆で助けてくれたのです。
茫々50年です。しかし彼等の顔や声は忘れません。彼らの人間的な好意は忘れることが出来ません。
昔、お世話になったアメリカ人たちへ感謝するために50年前の写真を掲載します。