民主主義は選挙によって代表者を選ぶことが基本になっています。
しかし選挙のたびによく分からない候補者に投票して、何となく義務を果たしたような気分になっています。
しかし本当のところ私には選ぶ能力がないのです。候補者の思想や政治的信条や力量など何も知らないのです。仕方なく新聞などの風評を見て無難な人に投票します。しかし無難な人が本当に適任者なのかはまったく判らないのです。
今回の都知事の選挙も同様です。
直接、何度も会ったことのある人は舛添さんだけです。
23年前にある小さな大学で舛添さんの講演会を開催したとき主催者側の一人としてご挨拶し、少しだけ言葉を交わしました。非常に才気のある方で礼儀正しくもあり、その腰の低さに感銘を受けました。それから10年ほどたってから今度はある研究所が主催するマスコミに関する研究会で何度も会いました。舛添さんがその研究会の委員長で、毎回必ず出席して司会進行を勤めていました。
とにかくそつが無く、頭の回転が速く、その上バランス感覚が抜群なのです。
その研究会は1年位で終わりましたが、その後彼は国会議員になり厚生労働大臣になりました。なるほど偉くなる人は違うと感心もし、彼のために祝ってあげたい気分になったものです。
しかし彼には気になることがあるのです。
自分にこれを書く資格は無いと思いますが、彼には人徳というものが感じられないのです。頭が良すぎて、温かい人間性が感じられなのです。私自身は人徳皆無の人間なのでこんなことは言えませんが、そのように感じています。
しかし都知事に人徳は必要ないかもしれないので適任者かもしれません。
人徳と言えば、全国の弁護士の会の会長をしていた宇都宮さんが持っていそうです。東京都の官僚との折り合いもよく出来る方と思います。都議会とも仲良くやっていけそうです。
私は宇都宮さんも安心して投票出来る候補者のような気がします。
さて航空幕僚長をしていた田母神さんも優秀な方です。論旨明快な右翼的な内容の本や講演要旨を散見しています。
日本は民主国家ですから、そのような意見を堂々と発表しても良いのです。
しかし彼は現職の航空幕僚長の時に政府の防衛政策を公然と批判したのです。
民主国家における軍隊のシビリアンコントロール、すなわち国民の代表たる政治家によるコントロールの原理原則を蹂躙したのです。困った方です。
最後になりましたが細川さんはどうでしょうか?
原発を即刻ゼロにするために都知事になりたいのだそうです。
都知事の仕事はいろいろ雑多です。雑多ですが、みな重要な仕事なのです。それを放り出して「原発即ゼロ運動」をされては都民が困ります。迷惑です。
原発を廃止すべきだという国民も決して少ない数ではないと思います。
それを実行したいならもう一度、総理大臣になってやるべきです。東京都知事になって行えば、それは原発ゼロへのゲリラ活動になるのです。
肥後藩のお殿様にゲリラ活動なんか出来ません。それはチェゲバラのように貧しい人々に対する強い愛が無ければ出来ない芸当なのです。そこが分っていないようです。困ったお方です。
私は都知事には、いろいろ雑多で、しかし都民にとって重要な問題を解決してくれる人を選びたいのです。たとえば下に示したような都立公園の予算も確保してもらいたいのです。
このように書いてみると私はますます迷ってしまいます。
民主主義国家とは迷いの多い国のことなのでしょう。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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この3枚の写真は1月19日に都立神代植物公園で摂りました。