後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秩父高原牧場の「天空のポピー」の写真をお送りします

2015年05月16日 | 写真
知人から頂いた写真です。埼玉県皆野町、東秩父村にある秩父高原牧場の1500万本のシャーレーポピーの写真です。お問い合わせは皆野町役場(電話0494-621-1461)へどうぞ。
尚、場所などの案内は、http://www.tenku-poppy.jp/ をご覧下さい。









体験してわかった西洋文化のいろいろ(1)帆船文化の奥深さ

2015年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人にとって西洋文化はなかなか理解できない文化の一つです。
これに対して中国文化は同じ漢字文化圏なので比較的理解しやすい文化です。そしてインド文化も仏教国の日本にとっては親しみを感じます。多神教のヒンズー教も何となく分かるような感じがします。
西洋は遥かシルクロードのかなたです。アメリカも広大な太平洋のかなたです。遠方にあるせいもあり、なかなか親近感が感じられません。
それだけに一層強い憧れを感じます。西洋文化は私の一生の憧れでした。
しかし、この長い人生でいろいろな経験をしたおかげで西洋文化の幾つかを深く理解出来たのです。本を読んだだけでは絶対に理解出来ない深い理解が出来たのです。体験が理解を深めてくれたのです。
その幾つかの西洋文化を連載風に書いて行きたいと思います。
今日はヨットの趣味を25年間続けたおかげで、「西洋の帆船文化」の奥深さが理解出来たことをご紹介したいと思います。
それは日本の北前船などの帆船文化とは全く違う世界なのです。決定的な違いは西洋の帆船は風上45度まで登れることです。もう一つの違いは大西洋や太平洋のような大洋を航海出来ることです。日本の北前船はこの両方とも出来ませんでした。
それではまず私の乗っていたヨットを下の写真の真ん中に示します。

係留していた場所は霞ヶ浦のJR土浦駅から徒歩5分の岸壁です。車をヨットの前まで入れることが出来たので食料や寝具の積み込みに便利でした。

上の写真は土浦港の中を帆走している様子です。風を受けて斜めになりながら風上45度に向って走っています。しかしもっと強風になっても絶対に横倒しにならない構造になっています。末尾の参考資料の構造図のように船底に部厚い重い鉄製のキールがついているので横倒しにならないのです。

上の写真はこのヨットの内部についているキャビンの中です。二口コンロと流しと調理台が付いていて食事の準備が出来ます。トイレは電動水洗式です。電燈も小型ストーブもついているので冬の夜でも泊まることが出来ます。
このヨットの長さは26フィート(8m弱)ですがこの構造でGPSと海洋無線をつければ世界一周も出来るのです。
昔、堀江青年が日本人として初めて太平洋を横断した時使ったヨットは私のヨットより小さい船でした。
このような現在のヨットは、15世紀にポルトガルで初めて遠洋航海用の帆船が建造されて以来の帆船文化の粋が過不足なくきっちり詰め込んであるのです。(参考資料をご覧下さい)
(1)縦長の三角形の帆のおかげで風上45度まで登れる。(2)重いキールのおかげで絶対に横倒しにならない。(3)何日でも生活できる快適な船室がある。この3つの性能のおかげで大航海時代が始まったのです。
このようなヨットの構造のおかげで何度も荒れる霞ヶ浦で命拾いをしたような体験をしました。急に強風が吹くとヨットは60度以上傾きます。メイン・セイルの端が水面に着くのです。湖面は風波で白い牙をむいています。怖いです。しかしジット我慢です。すると風が弱まる瞬間が来ます。すると重いキールのおかげでヨットが垂直に立ちます。間髪を入れずにマストにしがみつきメイン・セイルを引っ張り下ろします。降ろしてしまえばもう大丈夫です。落ち着いてエンジンをかけて荒れる湖水を横切って港へ帰るのです。何度もそんな経験をしました。
その度に不思議なことですが西洋人に自分の命を助けてもらったような気がするのです。もっと正確に書けば西洋人の知恵によって助けられたのです。
そこでもっと大きな帆船の帆船日本丸も訪問し、船長さんに詳しい話を聞きました。その船長さんは、「大型帆船は西洋文化そのものです」と言ったのです。
そして石巻にある大航海時代の復刻帆船、サンファン号やハウステンボスにある復刻帆船も訪問しました。
日本では18世紀のイギリスの産業革命以後の西洋の科学や技術を称賛しますが、それ以前の帆船文化も素晴らしいのです。ヨットの趣味を持ったおかげで西洋の帆船文化の深さが理解出来たのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
=== 西洋式帆船とは==================
以下は、http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Jeddah-4-5.html#5.3 からの抜粋です。
最初の遠洋航海用の帆船のキャラック船(carrack)とナオ船(nao)
キャラック船(Carrack)は15世紀にポルトガル(Portuguese)によって地中海で開発された最初の遠洋航海用の帆船(the first proper ocean going ship)である。3から4本のマストを備え、複層式の船尾楼(aftcastle)、船首楼(forecastle)を有し、高く丸みを帯びた船尾(stern)と船首(stem)に突き出した帆柱状のやりだし(bowsprit)を持っている。前檣(foremast)と主檣(mainmast)に横帆を張り(square-rigged)、後檣(mizzenmast)に大三角帆(縦帆)(lateen-rigged)を張るのが一般的であった。
横帆(large square sail)は大きな推進力を与え、大三角帆(lateen sail)は風上への航行を可能にした。更に船首と船尾の小さめの帆は操船性を向上させた。これら4種類の帆の組み合わせでキャラック船(Carrack)は大きな順応性を持ち、高度な帆走が可能であった。
キャラック船(Carrack)は全長が30mから60mで全長と全幅の比は3:1とずんぐりして丸みを帯び、排水量は200トン以上で中には1500トンのものもあった。高波(heavy-sea)でも船体の安定を保つだけの巨体を持ち、嵐の間でも帆を縮める事で帆走を続けられた。但し、大きな上部構造を持つキャラック船(Carrack)だと強風下では転覆しがちであった。
キャラック船(Carrack)は外洋(high sea)での荷物運搬用(beast of burden)に使われ、「完成された運搬船」として長期航海での大量輸送に適した広い船倉を持ち、乗務員、糧食(provision)および積荷の為の空間を提供した。積荷と糧食を運搬する能力は航海途中の港に関係なく、もっとも効率的な航路を選択できる航続力を持っていた。
キャラック船(Carrack)の安定した甲板は大砲の据付を可能にし、効率的な砲台を作れた。東インド諸島(East Indies)ではしばしば問題であった小舟による攻撃に対して明らかに難攻不落(impregnable)であったし、ポルトガル人(Portuguese)がカリカット(Calicut)君主(Zamorin)(Samoothiri Raja)の様な不従順な支配者を納得させるのに大いに役立った。
キャラック船(Carrack)は大航海時代を代表する帆船となり、15-16世紀にはポルトガル(Portuguese)とスペイン(Spain)で盛んに建造された。スペイン(Spain)で作られたものはナオ(Nao)と呼ばれる。ナオ(Nao)はポルトガル(Portuguese)のナウ(Nau)で単に船と云う意味であるが、大型で船体中央部に甲板があるものが多い。
クルザーヨットの構造