後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

端午の節句の鯉のぼりの今昔

2015年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和の初めころの鯉のぼりは真鯉と緋鯉と吹き流しの三つが普通だったような記憶があります。昭和11年生まれの私の家の庭には太い丸太の棒を立て、真鯉と緋鯉と吹き流しが五月の風に青空を泳いでいました。それは戦前のつかの間の平和な時代でした。それが昭和19年、20年となり鯉のぼりは無くなりなりました。そして、その後の戦後の困窮した生活では鯉のぼりは一切見たことがありませんでした。
それが昭和30年ごろになり生活が少し安定してくると次第に昔の鯉のぼりを押入れから出して飾る家が増えてきました。お金持ちそうな家の鯉のぼりを見て、ああ日本は復興したきたと嬉しく思ったものです。

そして経済の高度成長期には多くの家庭が鯉のぼりを上げるようになったのです。経済に余裕があるので真鯉と緋鯉の他に2、3匹の子供の鯉も泳いでいます。
その頃までは鯉のぼりは男の子のいる家で上げるという風習があったようです。

一番目の写真はそのような時代の鯉のぼりです。出典はhttp://nobrin7.exblog.jp/11057098/ です。
それが何時の時代からか、鯉のぼりを多数、広い場所で一気に上げるようになったのです。二番目の写真がその光景を示しています。
写真の出典は、http://www.okinawa-watabewedding.co.jp/…/2…/05/post-185.html です。

ですから最近はこのような大きな鯉のぼりの群れをテレビで見て、自分の家では鯉のぼりを上げない人が増えてきました。私の近所には男の小学生が沢山いますが、もう鯉のぼりを上げる家は無くなりました。

しかし地方に行くと昔風に家々がそれぞれ鯉のぼりを上げています。そこで端午の節句の昨日、近所にもそのような家が少しはあると思い写真を撮りに行きました。
車で回りましたが無いのです。そう言えば東京では鯉のぼりを見ることがメッキリ少なくなりました。
何か淋しい思いがします。

そこで花の写真でも撮ろうと三鷹市の花と緑の広場に行ってヒナゲシの写真を撮って来ました。三番目から五番目の写真がそれです。写真を撮りながら端午の節句に鯉のぼりを上げる風習は地方、地方で時代とともに少しずつ変わって行くものだと考えていました。それにしても端午の節句の柏餅と鯉のぼりはいつまでも続くようにとお祈りします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)