皆様の卒業した学校には同窓会や同期会やクラス会があると思います。
若い間はあまり気にしないで出席したり欠席したりします。しかし定年後になると暇もあり、その一方、昔が懐かしくなりよく出席するようになるのが普通ではないでしょうか。
しかし高齢化が進むと出席が大変になります。そこで「これでお終いにする」という決議がでます。
昨日、東京駅の地下の料亭で大学の最後のクラス会がありました。中学校や高等学校の同期会も昨年終わりましたので、昨日の大学のクラス会が我が人生最後のクラス会になりました。
少し悲しいです。しかし過去のクラス会に律儀に出席して来た私にとっては何か達成感もあり幸せな気分でした。そして出席するのが億劫になりだした頃合いでもあったのでホットしたのも事実です。
若い方々は最後のクラス会は悲しいものだと想像されるでしょうが昨日の会合は笑顔があふれ、実に楽しい会でした。出席した同級生も自分の人生に充実感を味わいながら楽しそうでした。これも老人の心の安らぎです。自然の摂理です。
我々、30人ほどの同級生は今から59年も前の1956年に東北大学の工学部の金属工学科に進学し、その教室で初めて会いました。入学したのは1954年で2年間の教養課程の後に初めて専門課程に進学したのです。その金属工学科の赤レンガ建ての建物は現在でも仙台の片平丁にあります。下の写真の真ん中に写っています。
この赤レンガ建ての3階の教室に1956年に集まったのは30名程でした。当時は戦後の復興もまだまだで外食券食堂が普通で、九州から受験に来たT君は旅館に出す米を背負ってきたのです。当時は米を出さないと食事が出なかったのです。
そして1958年に卒業し、みんなはそれぞれ鉄鋼会社、機械製造会社、鋳物会社、非鉄精錬会社、大手商社、日本原子力研究所などに就職し日本の工業技術の復興と革新に一生を捧げたのです。欧米の先進的な技術を導入し、それを改良して日本の高度成長に努力したのです。
このように忙しかったので現役の間のクラス会は数年に一回ぐらいの割合でしていました。
箱根や熱海や湯川原や松島や盛岡などで開催したものです。そして定年後は2年毎に開催してきました。
30人ほどの同級生でしたが物故者があり現在26名になりました。昨日の「最後のクラス会」には12名の出席があり、14名が欠席でした。それぞれ病気だったり妻や家族の看病で出席できないという連絡です。同級生はほぼ80歳です。もうそろそろお終いにしようという事になったのです。これも人生と皆がさばさばと達観しています。その姿を見て私も達観できました。これが「最後のクラス会」の大きな賜物でした。
下に1954年から1958年の東北大学在学中に同級生たちがよく散歩した大学の近辺の風景写真を示します。写真は2012年の中学校の同期会で仙台に行った時撮ったものです
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
上は大学のそばにある御霊屋橋です。伊達正宗の霊廟へ行く橋なのでそのような名前がついています。
上は広瀬川に沿って向山にあがる道で鹿落坂(ししおちざか)です。
上は広瀬川の評定河原橋から見た青葉城跡のある山です。
上は青葉城跡から見下ろした伊達正宗の霊廟のある経ケ峰です。
上は青葉城跡から見下ろした現在の仙台の中心街です。