後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

照ノ富士初優勝と日本が好きなモンゴル民族

2015年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、照ノ富士が初優勝し大関昇進を確実にしました。関脇・照ノ富士にとっては初めての優勝でした。日本相撲協会は場所後に大関昇進を決める臨時理事会を開催することになり、照ノ富士の大関昇進が確実です。
夏場所の優勝争いは14日目までを終えて、3敗で照ノ富士と横綱・白鵬が並ぶ展開でした。
千秋楽の24日、先に取組のあった照ノ富士は平幕の碧山に寄り切りで勝って12勝3敗とします。そして白鵬が横綱・日馬富士との結びの一番に敗れて4敗となったため、照ノ富士が12勝3敗で初めての優勝を果たしたのです。
それにしても白鵬を日馬富士が土俵際で素早く寄り倒した勝負には吃驚しました。軽い日馬富士が大きな白鵬に勝ったのですから昨日の日馬富士は強かったのです。日馬富士を応援している私にとっても嬉しい勝負でした。
それはさておき、照ノ富士はモンゴル民族で本名はガントルガ・ガンエルデネといいます。
兎に角、いろいろな歴史的背景があってモンゴル民族は非常に親日的です。日本が好きなのです。そんな事情があるのでモンゴル国には日本へ力士をどんどん送り込む体制ができているのです。これから長期間にわたってモンゴル出身の横綱が続く趨勢にあります。
そして日本とモンゴルの友好関係は相撲の分野だけではありません。
よく知られているようにソ連はシベリア抑留で55万人の日本人を強制労働に従事させたのです。その時、モンゴル人民共和国の首都、ウランバートルには2万人の抑留者が送られ土木建設作業を強制されました。その日本人が隊列を組んで町を歩いているとモンゴル人が食べ物をくれて暖かく励ましたそうです。その現場を何度も目撃したソヨルジャブシがその光景を書いているのです。
その事実は、一昨日の記事の「人間の絆の美しさを教えてくれたモンゴル人、ソヨルジャブさん」のソヨルジャブさんの追悼文集に書いてあります。
それだけではありません。
満州で捕まった夫を独りだけシベリヤに送るのは絶対に出来ないと考えた妻たちが男装して一緒に抑留されたそうです。断髪し、日本の軍服を着て、夫とともに同じ貨車に乗ってウランバートルまで行ったそうです。
ウランバートルで女性と見破られた数人は釈放されましたが、その生活の面倒を見たのがモンゴ人達でした。モンゴルの女は夫のためにそこまで危険なことをしないと称賛されたのです。その場面に遭遇したソヨルジャブさんが書いているから本当の話なのでしょう。
モンゴル民族は統一と独立を熱望しています。
明治維新以後の日本の富国強兵は手本でした。日露戦争で日本が勝利したことに励まされました。
なにせモンゴル民族はソ連の衛星国の共産党独裁のモンゴル人民共和国と、同じく共産国、中国の領土の「内蒙古自治区」の二つに分断されていたのです。
日本がソ連と中国と対抗して争ったのですから、日本はモンゴルの統一の光のように見えたに違いありません。日本はモンゴル民族にとって輝く星でした。
ですからこそソ連から独立した民主国家のモンゴル国には相撲の力士を日本へ送る体制が根付いていのではないでしょうか。
それにしてもソ連崩壊により民主国家になったモンゴル国の人々は幸せした。
悲惨なのは共産国、中国の領土の「内蒙古自治区」に住んでいる400万人のモンゴル人です。日中関係の悪化で日本との交流が出来ないのです。力士を送り出すことなどとんでもないのです。
そのモンゴル人達は日中関係が良かった小平の時代には盛んに日本とも交流し、研修生も数多く日本へ送ったのです。そしてその友情に答えて日本人も内蒙古に植林事業を展開したのです。その全ては現在、断絶したままです。その事情は今年に2月と3月の数編の記事で書いているので省略します。
今日は照ノ富士の初優勝を心から祝し、彼の写真とともにモンゴル草原に咲く花々の写真を掲載したいと思います。ガントルガ・ガンエルデネさんおめでとうございます!
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)