後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本から25,000のお寺が消えていく

2015年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム
この記事の題目を自分で書いてとても悲しい気分になっています。何となく慣れ親しんできたものがまた一つ無くなるということは淋しいものです。
しかしお釈迦様は諸行無常と教えました。お寺も例外ではありません。消えて行っても仕方がないのです。日本には77,000のお寺があり、その3割から4割が消えて行く可能性があるというショッキングな内容の本なのです。鵜飼秀徳著の「寺院消滅」という本です。
最近、日経BP社から出版された本です。
著者は新聞記者であると同時に正覚寺の副住職も務めています。
新聞記者だけあって全国の過疎地や離島を丁寧にまわり、地方のお寺の財政状態を調べあげたのです。そして各地のお寺の檀家の実情や本音を聞いて回ったのです。
その上、真言宗、天台宗、からはじまって鎌倉仏教の諸宗派を調べ、それぞれの宗派の消滅しそうなお寺の数を調べたのです。
例えば曹洞宗では5922のお寺が無くなる可能性があると言います。この数は曹洞宗の全部のお寺の42%にあたるのです。
このような消える可能性のあるお寺の数は多すぎてにわかには信じられません。
檀家が居なくなった、住職が居ないという理由だけでお寺が消滅する理由にならないからです。誰もいなくなったお寺は同じ宗派の隣のお寺の住職が兼任で維持、管理する場合が多いのです。
しかしそれにしても膨大な数字のお寺が消えて行く可能性があるのです。
それでは何故こんなに多くのお寺が消える可能性があるのでしょうか?
理由はいろいろありますが以下の3つが主な原因です。
(1)地方の人々が都会に移住し、地方のお寺の檀家数が激減し、お寺の財政が苦しくなった。
(2)先祖代々のお墓を守っている地方のお寺へ都会にいる昔の檀家がお寺へ財政支援をしなくなった。
(3)お寺の住職に頼んで読経をして貰う形式のお葬式や法事が少なくなり、家族葬や直葬が多くなり住職の収入が減少した。
一つのお寺と住職一家を支えるには200軒の檀家が必要と言われています。一軒が年間に5万円をお寺へお墓の管理料として支払えば、200軒の合計は1000万円になり一つのお寺の維持、管理は可能になるのです。しかしこの数字は都市と地方によって異なりますし、お寺によっては水田を所有し少なくても米は自給しているところもあります。
問題は複雑ですが、大変雑な言い方をすれば日本人の寺院仏教や葬式仏教への信仰が弱くなったためと言えます。
一例を上げれば創価学会のお葬式では「友人葬」です。住職を呼ばないで会員が読経し、参列者が焼香をして故人の冥福を祈るのです。創価学会は日蓮宗のお寺と縁を切ったので住職を呼ぶことが出来ないのです。
私は創価学会のお葬式に出て、この方がお釈迦様の教えに近いような感じがしました。
お釈迦様は自分の墓や仏像は作るな。遺骨は野に捨てなさいと言って死んだのです。あの玄奘三蔵法師も遺骨は野に捨てなさいと言って死んだのです。
さてそれはそれとして、この「寺院消滅」という本の内容は多岐にわたり、とてもその全てをここでご紹介は出来ません。
しかし最後に大変ショッキングな話をご紹介いたします。
故人のお墓を作る気分でない。お寺とも縁がない。そういう人々が世の中に多くいるそうです。そこで熊谷市にある曹洞宗の見性院では遺骨の処遇に困っている人から宅急便で遺骨を送って貰います。
遺骨を受け取った住職の橋本英樹和尚は本堂で供養します。そして境内の中にある「永代供養塔」に合同納骨をするそうです。永代供養料は3万円だそうです。
宅配便を使う時は専用の段ボール箱を見性院のHPから予約し、取り寄せてその中に遺骨を入れて送るのです。
遺骨は他の宅急便は引き受けませんが、「ゆうパック」だけは引き受けてくれます。
この「送骨サービス」は2013年10月から始めました。毎月、数柱の遺骨が送られてくるそうです。
このサービスを非難することは簡単です。しかし私は橋本英樹和尚を尊敬します。非難は覚悟の上で困っている人、悩んでいる人、病気になってお寺まで来れない人の窮状に心を寄せ、助けようとしているからです。
さて、この「寺院消滅」という本をご紹介した理由は、この本が日本社会の構造変化と宗教へ対する意識の変化を分かりやすく描いているからです。
この変化は仏教界だけの現象ではありません。キリスト教の教会でも同様な現象が起きているのです。
主任司祭のいない地方のカトリック教会や、牧師のいないプロテスタントの教会が増えているのです。
今年の4月に隠れキリシタンの住んでいた五島列島の教会を巡る旅に出ました。
明治5年に禁教令が解けた以後、昔の隠れキリシタン達が熱狂して、浦々に美しいレンガ造りの教会を建てました。重厚な石造りの教会堂を建てました。それは感動的な風景です。
しかしのその美しい教会の多くには神父様が住んでいません。日曜になると一人の神父様が数カ所の教会を巡回してミサを上げているそうです。
この「寺院消滅」という本を読みながらそんな事を思い出しました。
今日の挿絵の写真は先日、甲斐駒岳の麓で撮った花々の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)