夏の北海道は素晴らしい所です。富良野では広大な花畑の丘が美しいい風景を見せています。そして他の地方に行くと緑豊かな牧草地が広がりヨーロッパの風景のようです。夏でも涼しい風が吹き抜け、太陽も輝き本当に快適な場所です。
しかしその一方で、荒涼とした地のはてのような所もあります。立枯れた木々が骸骨のように立ち並んでいるのです。暗鬱な風景です。普通はあまり観光客が行かない所です。そんな所もあるのです。
そこは野付半島と言います。その沖の16Km余の所に国後島が遥かに横たわっています。
2012年の9月にレンタカーを駆って行きました。
まず場所をもう少し詳しく説明いたします。
北海道の東端の根室市の北の方の東海岸に、多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)があります。そのすぐ南に幅が数十メートルから数百メートルしか無い砂洲で出来た野付半島が、湾曲しながら26kmも伸び、野付湾を囲んでいます。砂洲の上には舗装道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという立枯れたトドマツの原と立枯れたナラの原が広がっている場所があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。それは実に不気味な風景です。
その白骨のような林が野付湾を一層荒涼と感じさせています。人間の住む世界ではありません。
しかし野付湾には美味しい縞エビが棲んでいて、夏にはその味を楽しむことが出来ます。
私共の旅の目的は荒涼たる野付湾と、トドワラやナラワラを見てその写真を撮り、茹でた縞エビを食べることでした。
野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の舗装道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。
ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。
その駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。
立ち枯れた木が倒れた場面です。立ったままの枯れた木々もあります。道は狭いので、強い海風や雨が吹き付けると、ぬかるみに落ちそうになります。その先の方は高い木道の上を歩きます。海からの風雨に耐えて踏み外さないように歩きます。
その後、ビジターセンターの食堂で食べた茹縞エビは濃厚な味で、確かに有名なエビだけに申し分の無い美味でした。
昼食後、2階の国後島展示室に上がりました。その窓から国後島が間近に見える筈です
しかし小雨が降ったり止んだりの悪天候で一切見えません。
そこで国後島に日本人が沢山住んでいた頃の資料や写真を丁寧に見ました。
この野付半島の野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として昔は賑わっていたそうです。
そして昔の択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。択捉、国後には多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。国後島は沖縄よりも大きな島です。
日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。
この国後島は驚いたことにアメリカ占領軍とソ連の話し合いでロシア領になったのです。
以下の文章がその経緯を説明しています。
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アメリカ占領軍とソ連の話し合いでロシア領になった!===
1945年日本のポツダム宣言受諾通知後、ソ連軍が日ソ中立条約を破棄し千島列島に侵攻を開始、太平洋戦争の降伏文書調印(1945年9月2日)の前日9月1日にソ連軍が同島に上陸、占領しました。
ポツダム宣言第7条に従って日本の諸地点は連合国に占領されましたが、国後島を含む千島列島は、一般命令第1号によって、ソ連占領地となったのです。
1946年1月29日、GHQからSCAPIN-677が命令され、日本は国後島を含む千島列島の施政権を停止されると、直後の2月2日、ソ連はこれら地域を自国領土に行政編入しました。SCAPIN-677は領有権の移転を命じたものではないそうです。
同年3月には、島内の通貨が日本円からソ連のルーブルに変更されます。
1946年12月、GHQとソ連との間で日本人全員の引き上げが合意されると、1948年までにほぼ全員の日本人が帰国したのです。
戦後のソ連は、ユジノクリリスクという新たな町を、日本時代の古釜布を望むほぼ無人であった高台に建設します。(以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%BE%8C%E5%B3%B6 からの抜粋です。)
以上のように1946年にアメリカ占領軍とソ連側との交渉によって日本人全員が国後島を離れたのです。この千島列島の領有権の移動はポツダム宣言に含まれていた秘密合意だったのです。問題は国後島が千島列島に属するか否かにも関係し、戦後の日ソ間の複雑な外交問題として残ったのです。
写真は野付半島とその風景写真です。この野付湾の写真の出典は、http://betsukai.jp/blog/0001/archives/2009/06/images/1245371831.jpgです。
そして最後の国後島の写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/sealion1974/m/201202です。
それ以外の写真は2012年9月17日に撮りました。
それは
それとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)