明治時代とはどんな時代だったのでしょうか?このような大問題を取上げても私には書きようがありません。
しかし見聞きしている明治時代の断片を少し考えてみます。気楽な感想文ですから本気になさらないで下さい。
よく教科書などには明治天皇は偉大であったので日本の近代化を指導し大日本帝国を作り上げたと書いてあります。そして地方のあちこちに行くと明治天皇行幸の宿泊所や休憩所には大きな記念碑が立っています。
明治時代は確かに日本の近代化に貢献し、日本が欧米の植民地になるのを防いだという事実は大変大きく評価されるべきです。
しかし薩長土肥の独裁的な明治政府の圧政で苦しんだ人々も多かったのも事実です。
その一端は町田市自由民権資料館を訪ね、その展示物を丁寧に見ていけば分かります。(http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul03/jiyuminken.html)
この立派な建物の展示館は明治時代の初期の町田市と東京の多摩地方の農民の政府の圧政に対する反対運動に関する資料を蒐集し展示してある資料館です。
明治政府は近代的な軍備を欧米から急いで購入するために東京の近くの農村に重税を課し、山林を開墾し農産物の増産を強制したのです。
それに反発したのが多くの小作人を抱えた武蔵野と相模平野の地主たちでした。その関連で秩父困民党の蜂起などが起きたのです。
この明治初期の農民による騒動は江戸時代の農民一揆と同じ性質のもので、板垣退助の自由民権運動とは程遠い性質のものでした。勿論、武蔵野と相模の農民騒動は板垣退助の自由民権運動に刺激を受けたのは事実でしょう。それなのに町田市は資料館を自由民権資料館と呼ぶのは間違いではないかと私は感じます。
本当の意味で日本に自由と人権の貴さが根付くのは戦後70年の平和の時代になってからのことと私は考えています。
明治維新以後78年の戦争の時代とは薩長土肥の政治家と官僚が庶民の上に君臨していた時代です。農村では地主が小作人を搾取し、町の商店では主人が小僧を過酷に使い、ちょっとした家々には農村出身の娘たちが女中として働いていたのです。そのような社会が当然と考えられていた時代だったのです。そこには人間の自由とか平等などということは風に吹き飛ばされる羽毛のようなものだったのです。
そんなことを書きだせばキリがありません。その最終到着点が神風特攻隊なのです。
誤解なさらないで下さい。私は明治維新以後78年の戦争の時代を非難しようとは致しません。非難する資格もありません。それは歴史の必然として静かに受け入れています。
さて写真で明治時代の帝国海軍の写真を1枚示します。そして続く数枚の写真に明治時代の日本の軍備を支えた人々の生活のありさまを示します。
写真の出典は、C:\Users\Goto\Desktop\明治時代の日本の仕事風景(写真60枚)- ネタサイトZ.htmです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
しかし見聞きしている明治時代の断片を少し考えてみます。気楽な感想文ですから本気になさらないで下さい。
よく教科書などには明治天皇は偉大であったので日本の近代化を指導し大日本帝国を作り上げたと書いてあります。そして地方のあちこちに行くと明治天皇行幸の宿泊所や休憩所には大きな記念碑が立っています。
明治時代は確かに日本の近代化に貢献し、日本が欧米の植民地になるのを防いだという事実は大変大きく評価されるべきです。
しかし薩長土肥の独裁的な明治政府の圧政で苦しんだ人々も多かったのも事実です。
その一端は町田市自由民権資料館を訪ね、その展示物を丁寧に見ていけば分かります。(http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul03/jiyuminken.html)
この立派な建物の展示館は明治時代の初期の町田市と東京の多摩地方の農民の政府の圧政に対する反対運動に関する資料を蒐集し展示してある資料館です。
明治政府は近代的な軍備を欧米から急いで購入するために東京の近くの農村に重税を課し、山林を開墾し農産物の増産を強制したのです。
それに反発したのが多くの小作人を抱えた武蔵野と相模平野の地主たちでした。その関連で秩父困民党の蜂起などが起きたのです。
この明治初期の農民による騒動は江戸時代の農民一揆と同じ性質のもので、板垣退助の自由民権運動とは程遠い性質のものでした。勿論、武蔵野と相模の農民騒動は板垣退助の自由民権運動に刺激を受けたのは事実でしょう。それなのに町田市は資料館を自由民権資料館と呼ぶのは間違いではないかと私は感じます。
本当の意味で日本に自由と人権の貴さが根付くのは戦後70年の平和の時代になってからのことと私は考えています。
明治維新以後78年の戦争の時代とは薩長土肥の政治家と官僚が庶民の上に君臨していた時代です。農村では地主が小作人を搾取し、町の商店では主人が小僧を過酷に使い、ちょっとした家々には農村出身の娘たちが女中として働いていたのです。そのような社会が当然と考えられていた時代だったのです。そこには人間の自由とか平等などということは風に吹き飛ばされる羽毛のようなものだったのです。
そんなことを書きだせばキリがありません。その最終到着点が神風特攻隊なのです。
誤解なさらないで下さい。私は明治維新以後78年の戦争の時代を非難しようとは致しません。非難する資格もありません。それは歴史の必然として静かに受け入れています。
さて写真で明治時代の帝国海軍の写真を1枚示します。そして続く数枚の写真に明治時代の日本の軍備を支えた人々の生活のありさまを示します。
写真の出典は、C:\Users\Goto\Desktop\明治時代の日本の仕事風景(写真60枚)- ネタサイトZ.htmです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)