後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏まっさかりの秋川渓谷の写真を撮って来ました

2015年08月15日 | 写真
立秋も過ぎたのに今日も暑さが厳しいですね。そこで多摩川上流のにある秋川渓谷に涼しそうに見える風景写真を撮って来ました。涼しそうに見えるだけでなく気温は都心より3度か4度は低い感じでした。清流の写真をお楽しみ下さい。

一番目と二番目の写真は秋川の支流の養沢に入ってすぐの所にある秋川渓谷最大の川遊び場です。駐車場が広大なのでこのように子供連れの家族で賑わっていました。



三番目と四番目の写真は秋川渓谷最大の川遊び場から遡った所にある国際マス釣り場です。マスをバケツでどんどん入れるので子供でも沢山も釣ることが出来ます。



五番目の写真はさらに養沢の上流にある古い屋敷の蔵です。この辺まで来ると急に静かな山郷になります。

六番目の写真は毛バリ釣り専用の川です。一日の入漁料は4500円です。哲学者のように考え込んでいる釣り人が川面を見て佇んでいます。(釣れなくて途方にくれているのかも知れません)。しかしその静かな姿は自然と一体になっているようで美しいと思いました。

七番目の写真はそこの管理事務所にあった水槽の中の岩魚です。釣り人の腕が良ければこういう岩魚が釣れるはずです。

八番目の写真はさらに上流で家族連れがバーベキューをしている風景です。

九番目の写真は養沢の奥にある蕎麦屋です。そこも家族連れで賑わっていました。
今日は沢山の家族連れが川遊びをして楽しそうな風景を見て私も幸せでした。40年前には私達もこのように遊んでいたものでした。
今日はきっと子供達にとっても忘れ得ぬ夏の日の思い出になったと思います。

「昨夜の安倍総理の談話と村山談話を比較してみる」

2015年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
村山談話はもう20年も前に発表されたので忘れてしまいました。そこで私はその全文をもう一度読んでみました。
全文は以下の通りです。
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)平成7年8月15日
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。  敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。(終わり)
昨日、安倍総理は戦後70年にあたり談話を発表しました。
それに対してまだ健在な村山さんが昨夜4、大分で記者会見し以下のように乾燥を述べました。
戦後70年談話 村山元首相「村山談話継承の印象ない」
8月14日 21時03分
村山元総理大臣は、大分市で記者会見し、「ことばに配慮してずいぶん苦労して作った文章だと思うが、焦点がぼやけてさっぱり分からないという印象を強く持った。100年以上前に西欧諸国の植民地が広がっていたという内容を盛り込むなど、『植民地支配』や『侵略』の意味を普遍化、わい小化している」と述べました。
そのうえで、村山氏は「安倍総理大臣が本当に言いたいことはオブラートに包んで薄めたにすぎない。『村山談話』とはだいぶ中身が違うという印象で、談話が引き継がれたという印象はない」と述べました。(終わり)
私の感想は村山さんの感想と同じです。
誤解しないで下さい。村山談話を形式的には継承しながら、そろそろ別な道を模索するのも悪くはないと思っています。時代の変化を感じています。
それにしても今回の安倍談話は元ドイツのワイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」という有名な演説を連想しました。今回の安倍総理の談話は欧米人に理解され受け入れやすい表現になっています。
中国や韓国の保守的な人々には不満な内容ではないかと感じられます。
「荒れ野の40年」ワイツゼッカー連邦大統領演説全文(1985年5月8日)は以下にあります。
http://ameblo.jp/study2007/entry-10236801513.html。
長い演説なので一部だけを抜粋して示します。
・・・われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
・・・・かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか—— このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)——われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。
ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。・・・以下省略。
今回の安倍総理の談話は先の戦争で日本がアジア諸国に与えた苦痛と惨劇を認めました。
しかしワイツゼッカー大統領のように具体的には説明しませんでした。
日本の政策の誤りを認め反省しています。欧米流に犠牲者へ心を寄せています。欧米ではそれで良いのです。全ての罪は個人が犯すものですから安倍総理が謝る理由が無いのが当然です。
しかし中国や韓国の古い文化では罪は個人のものでないのです。罪は民族が償いをすると考える人もいるのです。
ですから今回の談話はアメリカをはじめ欧米の諸国では良いと評価されます。
しかし中国や韓国は難癖をつけるでしょう。
それにしても安倍談話を気楽に批判した村山さんには驚きました。北朝鮮や中国では村山さんは即刻、粛清されるでしょう。
この自由な民主国に感謝しながら日本の風景写真をお送りします。山梨県の甲斐駒岳の山麓です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)