北海道の魅力の一つは富良野の富田ファームのラベンダー畑の美しさではないでしょうか。 1932年(昭和7年)に生まれた 富田忠雄さんが一生をかけて作りあげた花畑です。
この広大な花畑のお蔭で富良野市は全国的にも有名な観光地になったのです。
私どもも何度か行きましたが、なだらかな丘に広がる色とりどりの花畑に心を奪われてしまいます。それは本州では見られない風景です。
自分でも写真を沢山撮りましたが、出来の悪い写真です。そこで写真の上手な方々の作品をお借りさせて頂き、以下にお送りいたします。写真の出典のURLはそれぞれの写真の下に明記いたしました。
http://polaris-t.seesaa.net/archives/20110718-1.html
http://polaris-t.seesaa.net/archives/20110718-1.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hotaru_tabi/56309062.html
http://ameblo.jp/1781-keizou-1781/entry-11292691311.html
さて富良野に行って感激することは美しいラベンダー畑に入場無料で自由に散策出来ることです。畑の中の小道を歩き回るとラベンダーの高貴な香りが風にのってきて体が香水に包まれるような気分なるのです。
この畑は、1897年(明治30年)に忠雄の祖父、富田徳馬さんがこの中富良野の原野に鍬を入れたのが始まりでした。
その孫の富田忠雄さんは1958年(昭和33年)に結婚し、念願だったラベンダー栽培を、妻の幸子さんと本格的に開始したのです。その時の畑はたった10アールだけのラベンダー畑だったのです。
そして1965年(昭和40年)には 7年も苦心して、ラベンダー畑を1.2haに拡大したのです。
下にその頃の富田家の写真をしめします。
そして、1970年(昭和45年)には香水の原料としての ラベンダー栽培がピークを迎えたのです。
富良野地方全体で230ha以上、約250戸の農家がラベンダー栽培を手がけていたのです。
その頃の北海道全体(大半が富良野地方)のラベンダーオイル生産量は5tを記録しんました。
この順調なラベンダーの栽培の運命が暗転したのはその2年後でした。
合成香料の急激な技術進歩と貿易の自由化による安価な輸入香料の台頭で、香料会社のラベンダーオイルの買い上げ価格が下がったのです。
採算がとれず、これから最盛期を迎えるというラベンダー畑を、涙をのんで株ごとすきこんでいった農家も少なくなかったそうです。
この時、日本のラベンダー畑は富良野地方だけにを残ったのです。
1973年(昭和48年)になると 香料会社はラベンダーオイルの買い上げを中止します。
当然、富良野の丘を彩っていたラベンダーのほとんどが姿を消えてしまったのです。
富田忠雄さんだけは諦めませんでした。 「ラベンダーをなんとか作り続ける道はないものか」と、稲作で生計を立てながら、再生の道を模索する日々が続いたそうです。
そんな折りの1976年(昭和51年)に富田さんの ラベンダー畑が国鉄のカレンダーにより全国に紹介されたのです。そして次第に観光客が訪れ始めるようになったのです。
それに勇気づけられた富田さんは1980年(昭和55年)に 独自に蒸留を始め、ラベンダーオイルの抽出に成功したのです。そして 初めての香水「フロム」を委託製造し、販売を始めたのです。下にラベンダーオイルの抽出装置の写真を示します。
さらに1984年(昭和59年)には 化粧品製造業の免許を取得し、オリジナル香水「フラノ」を製造するようになりました。
その上、1987年(昭和62年)には 石けん製造業の免許を取得し、オリジナル石けん「ソープラベンダー」を発売します。
1989年(平成元年)は事業が順調なので 稲作をやめ、ラベンダー・ハーブ・花卉の栽培、加工及び販売に専念するようになります。
このような富田忠雄さんの努力にはフランス人も感動します。
1990年(平成2年)に南フランスのラベンダー生産者組織から、ラベンダー栽培の功労者に贈られる称号「オートプロヴァンス・ラベンダー修道騎士」を授与されたのです。
そして2003年(平成15年)には 天皇皇后両陛下が御来園なさったのです。
このような富田忠雄さんの苦難にもめげない一生の詳細は、http://www.farm-tomita.co.jp/history/ に出ています。
以上のような富田忠雄さんに関する話は初めて富良野に行ったとき知りました。
それ以来いつかネットの上でご紹介しようと思っていました。
富田さんの努力を知った上で北海道のあちこちの広大な花畑を見ると感動が深くなります。それぞれの花畑の陰にはいろいろな人生があるのです。そして多くの人々は富良野の富田さんの成功に勇気づけられたことは想像に難くありません。
今年も富良野には美しい花畑が広がっていることでしょう。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
この広大な花畑のお蔭で富良野市は全国的にも有名な観光地になったのです。
私どもも何度か行きましたが、なだらかな丘に広がる色とりどりの花畑に心を奪われてしまいます。それは本州では見られない風景です。
自分でも写真を沢山撮りましたが、出来の悪い写真です。そこで写真の上手な方々の作品をお借りさせて頂き、以下にお送りいたします。写真の出典のURLはそれぞれの写真の下に明記いたしました。
http://polaris-t.seesaa.net/archives/20110718-1.html
http://polaris-t.seesaa.net/archives/20110718-1.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hotaru_tabi/56309062.html
http://ameblo.jp/1781-keizou-1781/entry-11292691311.html
さて富良野に行って感激することは美しいラベンダー畑に入場無料で自由に散策出来ることです。畑の中の小道を歩き回るとラベンダーの高貴な香りが風にのってきて体が香水に包まれるような気分なるのです。
この畑は、1897年(明治30年)に忠雄の祖父、富田徳馬さんがこの中富良野の原野に鍬を入れたのが始まりでした。
その孫の富田忠雄さんは1958年(昭和33年)に結婚し、念願だったラベンダー栽培を、妻の幸子さんと本格的に開始したのです。その時の畑はたった10アールだけのラベンダー畑だったのです。
そして1965年(昭和40年)には 7年も苦心して、ラベンダー畑を1.2haに拡大したのです。
下にその頃の富田家の写真をしめします。
そして、1970年(昭和45年)には香水の原料としての ラベンダー栽培がピークを迎えたのです。
富良野地方全体で230ha以上、約250戸の農家がラベンダー栽培を手がけていたのです。
その頃の北海道全体(大半が富良野地方)のラベンダーオイル生産量は5tを記録しんました。
この順調なラベンダーの栽培の運命が暗転したのはその2年後でした。
合成香料の急激な技術進歩と貿易の自由化による安価な輸入香料の台頭で、香料会社のラベンダーオイルの買い上げ価格が下がったのです。
採算がとれず、これから最盛期を迎えるというラベンダー畑を、涙をのんで株ごとすきこんでいった農家も少なくなかったそうです。
この時、日本のラベンダー畑は富良野地方だけにを残ったのです。
1973年(昭和48年)になると 香料会社はラベンダーオイルの買い上げを中止します。
当然、富良野の丘を彩っていたラベンダーのほとんどが姿を消えてしまったのです。
富田忠雄さんだけは諦めませんでした。 「ラベンダーをなんとか作り続ける道はないものか」と、稲作で生計を立てながら、再生の道を模索する日々が続いたそうです。
そんな折りの1976年(昭和51年)に富田さんの ラベンダー畑が国鉄のカレンダーにより全国に紹介されたのです。そして次第に観光客が訪れ始めるようになったのです。
それに勇気づけられた富田さんは1980年(昭和55年)に 独自に蒸留を始め、ラベンダーオイルの抽出に成功したのです。そして 初めての香水「フロム」を委託製造し、販売を始めたのです。下にラベンダーオイルの抽出装置の写真を示します。
さらに1984年(昭和59年)には 化粧品製造業の免許を取得し、オリジナル香水「フラノ」を製造するようになりました。
その上、1987年(昭和62年)には 石けん製造業の免許を取得し、オリジナル石けん「ソープラベンダー」を発売します。
1989年(平成元年)は事業が順調なので 稲作をやめ、ラベンダー・ハーブ・花卉の栽培、加工及び販売に専念するようになります。
このような富田忠雄さんの努力にはフランス人も感動します。
1990年(平成2年)に南フランスのラベンダー生産者組織から、ラベンダー栽培の功労者に贈られる称号「オートプロヴァンス・ラベンダー修道騎士」を授与されたのです。
そして2003年(平成15年)には 天皇皇后両陛下が御来園なさったのです。
このような富田忠雄さんの苦難にもめげない一生の詳細は、http://www.farm-tomita.co.jp/history/ に出ています。
以上のような富田忠雄さんに関する話は初めて富良野に行ったとき知りました。
それ以来いつかネットの上でご紹介しようと思っていました。
富田さんの努力を知った上で北海道のあちこちの広大な花畑を見ると感動が深くなります。それぞれの花畑の陰にはいろいろな人生があるのです。そして多くの人々は富良野の富田さんの成功に勇気づけられたことは想像に難くありません。
今年も富良野には美しい花畑が広がっていることでしょう。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)