後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

荒れゆく牧草地、放棄される田圃や畑・・悲しい日本の風景

2015年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
下の写真は山梨県北杜市の山林の中にある私の小屋のそばに広がる草原です。遥か彼方には雲に覆われた八ヶ岳が横たわっています。

以前は緑豊かな牧草地でした。28頭の乳牛が食べていた牧草が生えていたところです。
数年前に高齢化した牧場主が牧畜を止めて、便利の良い村落へ引っ越してしまったのです。勤勉に働いたので大きな立派な家も建ちました。遊びに寄ると、元気な夫婦が昔と同じ様に歓迎してくれます。
しかし、この草原を散歩してみると牧草が次第に勢いを失い雑草が茂り、自然の草原へ変わっているのです。
しばし眺めていたら先代の牧場主の老爺が鎌を研ぎながら、牧草を刈っていた光景を思い出します。いつもニコニコしていました。その奥さんもとても親切な人で、朝早く絞った牛乳を一升ビンに入れて私達の小屋へよく届けてくれたものです。春は自分の家の竹藪にクワを担いで行って、竹の子を掘ってくれました。
その先代の牧場主夫妻もとっくにいなくなってしまいました。
足もとを見ると猛毒のトリカブトの花が咲いています。下にその写真を示します。

こうして牧草地は自然へと還って行くのです。
自然へ還って行くのは牧草地だけでありません。えいえいと何年も苦労して作り上げた田圃も放棄され雑草が茂っています。
畑も野原に変わっています。しかしそれを惜しんだ人が花の種を播いています。そのような野原の写真を下に示します。

それだけではありません。薪取りや山菜採りに足しげく通った里山へ続く道へ誰も入って来なくなりました。たまに都会の人がその別荘に行くために通るだけです。下にそんな淋しい山道の写真を示します。

そして農村から引っ越してしまった人の廃屋があちこちにあるのです。下の写真は甲斐駒岳の麓に広がる山梨県北杜市武川町の長閑な風景です。数年前までは武川村と呼んでいました。

40年前にその山林の中に小屋を作った頃は廃屋など一軒もありませんでした。
白壁の美しい農家が並び家々の門前には綺麗なシバザクラの花が咲いていたのです。
しかし最近はそのシバザクラも消え廃屋があちこちにあるようになりました。
このような農村の風景の変化は私どもにとっては悲しい風景です。それは都会に住む者の勝手な感傷に過ぎませんが。
そこで何故農村の風景がこんなに変わってしまったのか原因を少しずつ調べてきました。
大きな原因は高度成長による日本の産業構造の変化です。利潤の多い工場や会社に人々が集まり山がちな農村の過疎化が進行したのです。そして残った農民の高齢化は一層拍車をかけました。
他のもう一つの大きな原因もあります。
農作物の鳥獣被害が加速的に増加していることです。
この鳥獣被害の実態については8月14日に以下のような二つの記事を掲載しました。
「鳥獣被害額は年間1000億円くらい!」と「狩猟の趣味の実態を知り、皆で考えよう」です。
農林水産省ホームページによると日本の鳥獣被害額は年間200億円弱といいます。
その内訳を見ると鹿と猪の被害が一番多いのです。
そして届け出ていない害獣被害を含めると被害額は年間1000億円と推定されています。
大切に育ててきた農作物が一夜にして食い荒らされてしまうのです。
この年間1000億円は大企業の年間利潤と比較するとそんなに大きな金額ではありません。
しかしこの被害は山間部の零細な農家にのみ偏って起きている被害なのです。
それがこの問題を一層深刻にしています。
イノシシや鹿や猿が急増し、農作物の被害が深刻な問題になっています。
そこで各地の自治体はイノシシと鹿の駆除をしています。狩猟で獲ったイノシシやシカを役場に持って行くと報奨金がもらえるのです。
有害駆除で捕獲されたイノシシとシカの数は30年前は合わせて10万頭程度でした。それが2007年度には44万頭にまで増えています。
しかし、これだけ捕獲しても被害増加のペースは一向に衰えないのです。
駆除の方法は罠猟と銃猟です。罠猟は効率が悪いのでどうしても銃猟になります。
ところが銃猟をする人が激減しているのです。
 2007年度のデータによると、狩猟免許所持者約23万人中、60歳以上が約13万人、50歳以上まで含めると約20万人となり、50歳未満の狩猟者数はわずか3万人程度です。このままの状況であれば、20年後、30年後には銃猟者が消滅してしまうでしょう。
日本の農林業を守るためには鳥獣被害をこれ以上増やさないようにする必要があるのです。
ところが都会にある動物愛護団体が猛然と反対運動をするのです。山に近い農村の窮状の実態も知らずに狭い視野での動物愛護運動を大々的に展開しているのです。
鳥獣被害が山に近い農村の人々の死活問題だということを知らないのです。そして「人間が自然の動物の縄張りまで開墾したのが悪い!」と言って冷笑するのです。
しかしこれは倒錯した、そして幼稚な考えです。シカやイノシシと人間の命とどちらが大切なのでしょうか?
考えてもみてください。戦後の食糧難の時代に農民が苦労して荒地や山地を開拓してくれたお陰で食糧がなんとかなったのです。動物愛護団体の人々の父母の命は当時の農民の努力によって永らえたとも考えられのです。
もちろんお釈迦様の教えにあるように殺生はいけません。貴重な動物は保護すべきです。
しかし動物保護には限度があります。適正な動物の分布がどうあるべきか理知的に研究する必要があるのです。感情論では山がちな日本の農村は次第に荒廃して行くでしょう。
動物愛護運動が過度に感情論に流されず本来の美しい運動にあることを祈らずにはいません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)