後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

自衛隊のヘリコプターによる救助活動と、ある共産主義者の過酷な一生

2015年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日からの鬼怒川の氾濫で陸上自衛隊、海上保安庁、消防庁、そして栃木、茨城、神奈川などの各県警のヘリコプターが合計38機出動して1145人もの人を吊り上げて救助したのです。
昼間だけでなく夜も徹して救助活動をしました。
なかでも自衛隊のヘリコプターは大型で航続力も長いと見えて一番活躍したようです。
熟練した自衛隊員が濁流に取り囲まれた人の所へと降下し、慎重に、そして着実に吊り上げる様子に多くの人々が胸を熱くしたのです。それは感動的な光景でした。
この自衛隊の献身的な救助活動を記事にしてネットに掲載しました。そうしたら多くの人から良い記事だという評価を頂き感謝しています。
その幾つかのコメントは自衛隊を否定する共産党を手厳しく批判しているのです。
これは日頃、共産党が自衛隊は憲法違反だと主張していることに対する感情的な批判です。
そこで今日から20世紀の世界に数多くの悲劇をもたらした共産主義というものをいろいろな視点から書いてみたいと思います。
カール・マルクスの主張した共産主義思想はキリスト教のヨーロッパ文化の鬼っ子でした。それは輝かしい西洋文化の陰です。悪魔のような思想だと言う人もいます。
しかし多くの国で風靡し共産革命が起きたのです。革命が成功したのはロシア、中国、ベトナム、カンボジア、ラオス、そしてキューバなどの中南米の国などでした。そして第二次世界大戦でソ連に占領された東欧諸国は共産党政権が1990年頃まで続いたのです。
私自身は共産主義思想は間違った考えで、20世紀の人類に大きな不幸をもたらしたと考えています。
今日は私が直接知っているある共産主義の人の話をご紹介いたします。
その方とは写真に示したような甲斐駒岳の麓の小屋の庭で知り合いました。近くの別荘に独りで住んでいた老人でした。日本共産党の本部で生涯働いていたそうです。
その方は散歩が好きで私の小屋の前をよく通っていました。写真にあるような庭の小川のそばのテーブルに座って何度も談笑したのです。明るい性格の気さくな人でした。
その方が共産党に興味を持ったのは終戦が近い北海道帝国大学の学生の時でした。教授が強制的に学生を集合させて軍隊が本土防衛のために使う飛行場を作ることになったと言い放ったのです。そして飛行場作りの過酷な労働が連日続いたそうです。それが嫌になって共産党に入ることにしたそうです。戦時下の日本で軍国主義に反対して自由にものが言えるのは共産党のなかだけだったのです。その人は共産主義よりも自由主義にあこがれて入党を決意したそうです。
終戦直後に東京の共産党本部へ行き、入党の意思を述べたそうです。当時は帝国大学の卒業生は貴重な人材でした。即入党が許され本部で働き始めました。
ところが警察の調べと嫌がらせが親類まで執拗に行われたそうです。
札幌の下宿の娘さんと恋愛結婚していましたが、公安警察の取り調べと嫌がらせはその奥さんの親類まで徹底的に行われたのです。
新婚の家庭にまで公安警察が何度も来て、荒っぽい言葉で共産主義の悪口を言ったそうです。
それが原因で結局は離婚してしまったのです。そして共産党本部は何度も警察の捜索が入り、その度に逮捕されそうになったそうです。しかし彼は一回も逮捕されなかったそうです。警察が襲って来る数日前から予想出来たので雲を霞と逃げてしまったそうです。
そして二度目の結婚もし、子供も出来ました。二度目の奥さんは気丈で有能な職業婦人でした。公安警察の嫌がらせに耐え、最後には彼が住む別荘まで建ててくれました。彼とはそこに独りで住んでいるとき知り合ったのです。
さて何故、日本の警察は終戦後も共産党を弾圧したのでしょうか。その理由は冷戦構造にあったのです。アメリカに敵対するソ連と中国は共産党独裁の国です。資本主義を敵視するのが当時の共産主義だったのです。そんな情勢の中で日本はアメリカと安保条約を結んだ同盟国です。日本に共産主義が蔓延すればアメリカにとっては不利になります。
それを防ぐために日本は共産主義を弾圧しなければなりません。公安警察がこの国策に従うのは当然です。私は公安警察を非難していません。
最後に元共産党員だった彼に公安警察に対する感想を聞きました。彼は残雪に輝く甲斐駒岳を見上げて、しばし沈黙していました。
そして言ったのです。「すべては時代が悪かったのです」と。
この彼ももう別荘にはいません。空き家になった別荘が白樺林のなかにポツリと建っているだけです。
5枚の写真は順々に1甲斐駒岳、2私の小屋、3彼と何度も談笑したテーブルの脇を流れる小川、4その周囲の林、5そして山に咲く花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)