後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の青空と奥多摩湖の風景写真です」

2015年09月11日 | 写真
昨日の鬼怒川の洪水をもたらした豪雨も今日は嘘のよぅに晴れ上がりました。
五日市町から奥多摩周遊道路に入り、その展望台から奥多摩湖の写真を撮りました。
その後は柳沢峠を越え勝沼に出ました。笹子峠を越えて大月から中央高速道路に入り帰ってきました。
今日の青空と奥多摩湖の風景写真をお楽しみいただければ嬉しく思います。









宇宙の写真を見て考えることは人によって非常に違います!

2015年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
宇宙は約136億年前に出来たと言われています。そして地球のある天の川銀河系は129億年前に出来ました。そして我々の住む地球は46億年前に出来たのです。
宇宙の半径は460億光年で、天の川銀河系の半径は5万光年で、隣のアンドロメダ銀河までは250万光年も離れています。そして宇宙には1000億個の銀河が存在していると言われています。
宇宙は気が遠くなるいほど大きいのです。地球の海は水平線のかなたまで果てしなく広いものですが、宇宙の大きさに比較すると見えないくらい小さな水溜りです。
たまにはそんな壮大な宇宙を考えるのも良いものです。偶然この宇宙の片隅の地球上に生まれた自分は不思議な存在です。奇蹟としか考えられません。何故か感謝の気持ちが湧いてきます。幸せな気分です。
それではハッブル望遠鏡で撮った宇宙の写真を見てみましょう。ハッブル望遠鏡は宇宙船に乗っているので空気の層を通らない鮮明な宇宙の写真が撮れるのです。

(写真の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99 )
そしてついでに太陽系惑星を見ましょう。

(写真の出典:http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9021/gplanetj.jpg)

この宇宙の写真を見て人々はいろいろな考えを持つと思います。
そこで人々を無宗教者、仏教徒、キリスト教徒の三つに分けて考え方を想像してみます。
(1)無宗教者
現在の人類につながる新人が生まれたのは約20万年前です。
神は人間が考えた空想の存在ですから宇宙の全ては単なる物理現象と化学現象です。
宇宙のすべてのの星や惑星は人間の科学の進歩でその理解が詳細になるだけです。
人間の死は宇宙の中の小さな、極く小さな生物現象に過ぎないのです。
(2)仏教信者
お釈迦様はこの世の全てのものは必ず変化する。そして変化こそが物質の本質なのですと教えてくれました。
宇宙の中で星が生まれ、惑星が生まれ、お互いに衝突し、やがて消滅して行くのもお釈迦様の教え通りなのです。
ですからお釈迦様の教えは真理なのです。仏教信者はお釈迦様が全ての知恵の本質と信じています。その知恵を少しでも自分のものになるようにと毎日、お経を唱えたり修行をします。
人間の死も宇宙の中の極く小さな変化の一つだけです。悲しむほどのことではありません。このように言うに違いありません。
(3)キリスト教信者
ただ独りの神様が136億年以上前から存在していて全宇宙を作ったのです。
半径460億光年というとてつもなく大きな宇宙の隅から隅まで作ったのです。
20万年前に人間を作りました。そして2000年前にイエス様をこの世に送ってくれたのです。
神は人間をも愛しています。その愛はイエス様を通うして、より一層強く人間へ働き掛けているのです。
人間の死はこの世から神様の足元に呼び集めてくれた結果起きるのです。
そして最後の審判の時、全ての人間は復活して生き返るのです。
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さて皆様は上に書いた3つのうち、どれがお好きでしょうか?どれを信じているのでしょうか?
その答えは他人へ言う必要など一切ありません。時々、自問自答してみれば良いだけの話です。
ところが答えは明確でないのが普通です。上の3つとも好きな人も多いのです。その上、神道や道教のような民族宗教も好きな人も多いのです。
そんな事も含めて宗教のことを気軽に考えるのが人生の達人なのだと私は思います。
達人は狂信しません。達人は宗教を軽蔑しません。達人は人を非難しません。
達人は全ての他人を許します。そして悠々と日々を過ごしているのです。

私もそういう達人になりたいものです。
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東京にある江戸時代の田舎の風景・・・国分寺市お鷹の道

2015年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は栃木県と茨城県を流れる鬼怒川が氾濫して家々が流されたり亡くなったりした方々もいました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
そしてヘリコプターで命がけの救助を着実に行った自衛隊の方々へ深く感謝いたします。
さて今朝は青空に秋の鯖雲が広がっています。今日は静かな気持ちで過ごしたいと思います。そこで懐かしい風景写真をお送りいたすことにしました。

東京都の国分寺市に尾張徳川家の鷹狩リ場がありました。そこに行く道が「お鷹の道」として昔のままの景観がよく保存されています。
そのお鷹の道に沿って江戸時代の風情のある農家が並んでいます。国分寺崖線のふもとの南向きの場所なので豊かな湧き水があります。農作物の良く出来る場所なので昔から人が住んでいました。縄文時代の土器も出てくる住みやすい場所です。
このお鷹の道のすぐ西には東西にのびる東山道武蔵路があります。
そしてこの武蔵路を挟んで武蔵国分寺と国分尼寺があります。
この武蔵国分寺と国分尼寺は聖武天皇の詔で出来ました。そして1333年の鎌倉幕府の終焉の時の戦いで灰燼に帰したのです。
そのお鷹の道は私どもが良く散歩するコースです。
歩きながら子供の頃、毎年夏になると、父の実家のお寺へ里帰りしましたことを思い出します。一家5人で、2週間くらいお寺に泊るのです。そこは阪急線の「能勢口」で「能勢妙見」へ行く支線へ乗り換え、山の方へ入ります。途中で下車して10kmくらい田舎道を歩いた先にある馬場という小さなでした。狭い盆地のですが水田が広がり稲穂が夏の陽射しに輝いていたものです。
十数軒の農家が水田の端の山ぎわに密集して建っていました。お寺はそれを見降ろすような高台にありました。
お鷹の道沿いにある農家は昔、家族と一緒に帰省した馬場という小さなにあった古い農家を思い出させる風景なのです。見る度に、旧懐の情で胸が熱くなります。
今日はそのお鷹の道で撮った農家の写真をお送りします。
お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)