1959年、キューバ革命が成功しカストロの独裁政権が出来ます。アメリカが反発するのは当然です。
キューバはソ連に急接近しソ連にサトウキビを買ってもらい財政が何とかなります。
ところが1962年10月にソ連はアメリカを射程に入れた核ミサイルをキューバに配置し始めました。ケネディ大統領が断固、実力でキューバへの核ミサイル搬入を阻止します。
ケネディ大統領は第三次世界大戦の勃発に備えヨーロッパに配備したアメリカの陸海空の全軍に臨戦態勢を命令します。
ソ連のフルシチョフは第三次世界大戦にこのまま突入するとソ連が不利であると考え弱気になります。そしてキューバからのミサイル基地の撤退をしたのです。
そしていろいろなことがありました。ローマ法王のヨハネ・パウロ2世もベネディクト16世もキューバを訪問しました。
そしてフランシスコ法王はアメリカとキューバの和解を強く斡旋し、54年ぶりの和解に成功したのです。
それを祝い。首都ハバナで野外ミサを司式するために昨日キューバに降り立ったのです。
今日の記事では以上の歴史をかいつまんでご紹介いたします。
(1)キューバ革命政府の樹立
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E9%9D%A9%E5%91%BDからの抜粋です、
1958年になると、キューバでは、反政府各派の共同戦線が結束され、1959年1月1日にハバナ占領を果たして革命政権が成立した。キューバ革命は、当初より社会主義革命を志向したわけではなく、政権獲得直後にはアメリカ合衆国との関係継続を目論んだ交渉も模索していた。
しかし、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領と、その後を1960年に継いだジョン・F・ケネディ大統領はカストロら新政府を「容共」であるとみなし、ケネディ大統領は政権を打倒すべくピッグス湾事件を起こした。これによりアメリカ合衆国との関係回復が不可能であると判断すると、ソ連への接近を鮮明にし、1961年に社会主義宣言を示して、キューバ革命を社会主義革命として位置づけた。下の写真は革命成功時のゲバラ(左)とカストロ(右)です。
チェ・ゲバラは閣僚の椅子を断り、再び南米のジャングルに消え、革命戦争に参加し戦死するのです。当時の世界中の若者の間に有名になり彼の肖像画が日本でもさかんに売られていました。
(2)1962年10月のキューバ危機
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E5%8D%B1%E6%A9%9Fからの抜粋です。
ケネディは1962年10月18日にソ連のグロムイコ外務大臣とホワイトハウスで会見しソ連政府の対応を迫ったが、グロムイコはミサイルは防御用のものであると述べた。ケネディはこの時点ではアメリカの握っている証拠を明らかにせず、会談は物別れに終わった。
10月19日にU-2偵察機による決定的写真が撮影され、同盟国への説明が行われた。
ケネディは10月22日午後7時の全米テレビ演説で国民にキューバにミサイルが持ち込まれた事実を発表し、ソ連を非難した。
アメリカ軍全部隊の警戒態勢は、22日の大統領演説中にデフコン3となり、26日午後10時にデフコン2となり準戦時体制が敷かれ、ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内のアトラスやタイタン、ソー、ジュピターといった核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置いた他、日本やトルコ、イギリスなどに駐留する基地を臨戦態勢に置いた。核爆弾を搭載したB-52戦略爆撃機やポラリス戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出し戦争に備えた。また、ソ連も国内のR-7やキューバのR-12(英語版)を発射準備に入れた。
また、デフコン2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことを受け、アメリカ国民の多くがスーパーマーケットなどへ水や食料などを買いに殺到する事態が起きた。
下の写真は、テーラー統合参謀本部議長、カーチス・ルメイ空軍参謀総長(右から2番目)らと会談するケネディ大統領の写真です。
不利を悟ったソ連がここで折れました。ワシントン時間(東部標準時)1962年10月28日午前9時、ニキータ・フルシチョフ首相はモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表した。
これで核戦争になる第3次世界大戦が回避されたのです。
その後ケネディ大統領はダラスで大衆の歓迎中に暗殺されたのです。アメリカ人は今でもケネディ大統領を忘れません。
(3)ローマ法王キューバ初訪問 ハバナでミサ(9月21日 9時25分)
以下は、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150921/k10010243441000.htmlからの転載です。
ローマ法王キューバ初訪問 ハバナでミサ :
アメリカとキューバの国交回復に向けて仲介役を担ったローマ法王のフランシスコ法王が、初めてキューバを訪れ、首都ハバナで大規模なミサを行いました。
アメリカとキューバの54年ぶりの国交回復に向けて両国の仲介役を担ったローマ法王のフランシスコ法王は20日、初めて訪問しているキューバの首都ハバナにある革命広場で大規模なミサを行いました。
この中で、フランシスコ法王は「『思想』ではなく『人』に奉仕することが重要だ。偉大な人物になりたければ、誘惑に負けることなく弱者に奉仕を続けるべきだ」と訴えました。
キューバでは、アメリカとの国交回復で経済の活性化に期待が高まる一方、格差の拡大が懸念されていて、法王の発言は、経済発展に取り残される弱者が切り捨てられないようキューバ国民に警鐘をならしたものとも受け止められています。
このあと、フランシスコ法王は、キューバ革命を起こしたフィデル・カストロ前国家評議会議長の自宅に招かれ、和やかな雰囲気で会談したということです。フランシスコ法王は、22日までキューバに滞在し、その後、アメリカを訪れ、オバマ大統領と会談するほか、議会や国連で演説する予定です。
この連載記事は「20世紀の世界を震撼させた共産主義」という題目です。
21世紀の現在、共産主義は影が薄くなりました。共産主義の国際政治に与えた影響も過去のものとなり忘れ去られようとしています。しかし今後、平和な国際関係を維持し、戦争を防止するためには過去の歴史からの教訓を忘れるべきでは無いのではないのでしょうか。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)