後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

遥かなる女人禁制の積丹半島、神威岬への道

2016年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム
「襟裳の春は何も無い春です~」という森進一さんの歌があります。その何も無い所は北海道には沢山あります。大自然だけが広がっているのです。
今回のミステリーツアーで訪れた積丹半島も文字通り本当に何も無い処です。
碧い日本海に突き出た半島の裾は峩々たる岩になっています。白波が砕け、冷たい秋風が吹き抜けています。
その日は羊蹄山の麓から出発し、岩内町で日本海の岸辺の道路に出ました。隣の泊原子力発電所のある村を過ぎると人家が絶えます。えんえんと50Kmほどの日本海沿いの道路をバスがゆっくり走ります。
この道は遥かな女人禁制の積丹半島、神威岬へと続くのです。見えるのは空高く晴れ上がった喨々たる秋空と日本海の白波だけです。
何もありません。
ミステリーツアーの企画者はこのバスの窓から見える大自然を楽しんで下さいと言っているようです。
そして積丹半島の神威岬への険しい断崖の上の道を自分の足で歩いて下さいと言っているのです。
嗚呼、自然は良いものです。自然は純粋で美しいのです。自然の風景を見ていると自分の邪念が消えて全身が浄化されます。
そんな想いが胸いっぱいに広がります。
高齢になってもまだ生きている喜びが湧いてきます。
美味しい海鮮料理の店も派手な土産物屋もありません。あるのは海と空だけです。
大自然に溶け込んで風景を楽しんで生き返るのです。こんな観光旅行もあるのです。
それでは岩内町から積丹半島にいたる日本海の風景と神威岬の風景の写真をお送り致します。













この7枚の写真の5、6、7番目の写真は健脚の家内が撮った写真です。
脚の弱い私は神威岬の入り口にある一面熊笹に覆われた大きな丘を独りで登っていました。手摺のついた階段が丘の斜面を登っています。
その階段の遥か向こうの丘の上には秋の白い雲が流れていたのです。見上げる私は青春の頃に見上げた同じような丘の光景を突然思い出しました。あれから茫々60年。いろいろなことがありました。
物思いに耽っていると、いつの間にか気楽な家内が走って帰ってきました。そんな観光の旅でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=============
1、羊蹄山;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8A%E8%B9%84%E5%B1%B1
羊蹄山(ようていざん)は、北海道後志地方南部(胆振国北西部)にある、標高1,898mの成層火山である。アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳 (1,107m) をピンネシリ(雄山)と呼んだ。
羊蹄山は円錐形の成層火山で、2003年(平成15年)に気象庁により活火山に指定された。山頂には直径700m、深さ200mの火口(父釜)があり、西北西斜面にも側火口(母釜、子釜)を持つ。支笏洞爺国立公園に属し、山頂は倶知安町・喜茂別町・京極町・真狩村・ニセコ町の境をなしている。
約10万年前から5万年前にかけて古羊蹄火山が活動し、現在の羊蹄山の活動は約5-6万年前から始まり火砕流や山体崩壊も起きた。約1万年前以降は側火山の活動が中心となり、約6千年前以降は活動していない。
山腹にはキタキツネ、エゾクロテン、エゾリス、エゾシマリス、エゾモモンガ、エゾユキウサギなどの哺乳類が生息しており、130種類以上の野鳥がいることも確認されている。

2、積丹半島;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%8D%E4%B8%B9%E5%8D%8A%E5%B3%B6
積丹半島(しゃこたんはんとう)は北海道西部、後志総合振興局にある半島である。地名の由来はアイヌ語のシャクコタン(夏の村)である。
山がちな地形のため、交通には恵まれていない。現在では国道229号が半島を海岸沿いに巡っているが、1996年までは神恵内村・積丹町の間で未開通区間があったほどである。狭隘な海岸を縫うように走るため、岩盤をくりぬいたトンネルが無数にある。古平町ではトンネル崩落により路線バスが飲み込まれ、20人の犠牲者を出す惨事となった(豊浜トンネル岩盤崩落事故)。道内の交通において、主要幹線の地位を占める国道5号が、半島腹部である共和町国富~余市町中心部を通るため、国道229号は近隣住民の生活上の支線となっており、交通量が少ない。
日本海に向かって突き出ており、地質学上では那須火山帯に属する後志火山群の延長上に位置する。半島部の全長は約30km、地形は平野部が少なく急峻で、中心では積丹岳や余別岳が脊梁をなし、沿岸は複雑な海岸線が連続する。そのため、風光明媚な景観に富み、海岸線一帯はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されている。
積丹岬や神威岬など岬が多く、それを取り囲む小湾に幾つもの漁村集落が誕生した。とりわけ、江戸時代から大正末にかけて続いたニシン漁を始め、長らく漁業が周辺町村の経済を支えていたが、近年[いつ?]は沿岸漁業不振により、人口流出による過疎化が著しい。近年[いつ?]は観光業に注力しているが、札幌大都市圏に比較的近いながらも、交通の不便さがネックとなっている。そのため、温泉資源が豊富であるにもかかわらず、雷電温泉、盃温泉郷以外は、さほど開発も進んでいない。

3、積丹半島神威岬灯台;http://www.geocities.jp/gauss0jp/kamuimis.htm
神威岬灯台は、北海道の積丹半島西北端にある神威岬の突端に立つ白と黒に塗られた大型灯台です。周辺は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されていて、日本海を望む風光明媚の地です。
 この灯台は、1888年(明治21)8月25日に初点灯しましたが、その後1923年(大正12)にフランス製の第1等フレネルレンズに改良され、1960年(昭和35)4月1日に灯塔を改築、LB-90型灯器に変更、機器を自動化されています。また、2003年9月に改修されて、灯塔部が変わりました。
 現在の灯塔高(地上から塔頂まで)は11.8m、標高(平均海面~灯火)は81.65mで、LB-90型灯器を使い、光度は37万カンデラ(実効光度)、光達距離は23海里(約43km) です。

4、泊原子力発電所;http://www.geocities.jp/gauss0jp/kamuimis.htm
泊発電所(とまりはつでんしょ)は、北海道古宇郡泊村にある北海道電力の原子力発電所。
泊発電所は計画を含めて北海道で最初[1]かつ現在に至るまでの唯一の原子力発電所であり、北海道電力の保有する唯一の原子力発電所である。「1~3号機の発電設備容量の合計は207万kWで、北海道の電気の約40%を賄う重要な電源となっている」と泊村のホームページには掲載されている[1]。
1号機:加圧水型軽水炉(PWR)、1989年(平成元年)6月22日[2]
57.9万kW、定期点検中

2号機:加圧水型軽水炉(PWR)、1991年(平成3年)4月12日
57.9万kW、定期点検中

3号機:加圧水型軽水炉(PWR)、2009年(平成21年)12月22日
91.2万kW 定期点検中

5、積丹半島、神威岬の女人禁制;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A8%81%E5%B2%AC
この付近は古くから海上交通の難所として知られていた。日高地方の首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを知って身を投げ、神威岩になったという言い伝えがある。チャレンカの嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、岬一帯が女人禁制の地になったとされる。もっとも現実は、和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁を始めとした権益を損なうことを恐れた松前藩による規制と考えられている[4]。1855年(安政2年)に蝦夷地一帯が幕府直轄下におかれると女人禁制は解かれ、奥地への定住が進んでいった。

「狩猟の趣味の深さ」 の連載を終えて考え込んでしまった

2016年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム
でいしゅうさんへ「狩猟の趣味の深さ」という題目で連載記事を書いて下さいとお願いしました。
7回の連載を終えていろいろと考え込んでいます。

始めに驚いたことは鳥猟とエゾシカ猟とイノシシ猟とは全く違うということでした。
良く訓練した小型の猟犬一匹だけを連れ、独りで静かに、静かに山を歩く鳥猟には雉や小綬鶏やヤマシギなどと、猟犬と、人間の抜き差し無い緊張感が漂います。
猟犬が藪に飛び込む。鳥が飛び立つ。その一瞬にバーンと銃声がこだまします。それだけで全て終わりです。
鳥猟は孤独です。静かです。しかし奥の深い趣味です。
本州のイノシシ猟は騒々しいい猟です。数人の勢子が犬たちを山裾からイノシシを追い上げて来ます。山上の獣道の脇に隠れた撃ち手が身じろぎもしないで根気よく待っています。
イノシシが獣道を駆けあがって来て、近くまで来ても撃ちません。10m以内に来た時、落ち着いて静かに引き金を引きます。ドンと低い銃声一発で大きなイノシシが転がります。
鳥猟を十年以上してからイノシシ撃ちを始めた でいしゅうさんの腕を信頼している勢子たちがでいしゅうさんの待ち位置にイノシシを追い上げるのです。
この猟では勢子たちと撃ち手の人間的な信頼関係が猟の成果を決めるのです。

さて道東の中標津町や別海町での蝦夷鹿猟は様相が違います。
現地に短期間住み着いて農家や牧場と仲良くなります。そして厳寒の猟期に畑の端や牧場の端に林の中から出てくる大きな雄のエゾシカを射程の長い猟銃で仕留めるのです。
何日も吹雪の農道や林道を4輪駆動車で一人で走り回ります。
角が3段にもなった大きな雄のエゾシカだけを選んで撃つのです。
静まり返った白樺林に一発の銃声が木霊します。
 
憎しみの微塵もなくて鹿を撃つ 泥舟

写真は2013年の1月にでいしゅうさんが撮った写真です。





でいしゅうさんは撃ち取った鹿や猪は解体して全て友人に送ります。全てを感謝して食べるのです。
このような狩猟の趣味は自分では出来ませんが、何故か魅力的な趣味に思えます。
ロマンを感じます。このような趣味は尊重し大切に守りたいと思います。
しかし以下のような問題があるのです。考え込んでしまいました。

以下はでいしゅうさんの文章です。
1、警察の取り締まりと司法、
狩猟や銃を語り出すと警察が登場する。公安委員会の許認可業務を実質的に行っている。だが現実は「俺が許可してやった」と思っている担当もいる。
これほど厳しく取り締まっているのは独裁国家と日本ぐらいだ。
所持者が少ないし、秀吉以来国民は銃や刀を取り上げられていたので、銃や狩猟に拒否反応しか示さない。
銃を所持する場合、家族が賛意を示さないと許可されません。奥方たちは亭主の首根っこを押さえているのです。
隣近所も「昨日、警察が来て貴方の事を調べて行った。ええ人やと言っておいた」こう言ってきます。到来物でもあれば届けねばなりません。
所持者の身辺調査をしますが、正確な実態は分かりません。何度何度も通わねばなりません。まあ行って「調査した実績」が有れば良いのです。
その上、銃の保管場所には厳重な鍵が必要です。警官が家の中まで何度も入ってきて保管庫の強度と鍵の完全さを調べるのです。
しかし、このご時世、留守宅ばかりですから警察も大変です。

2、火薬と雷管の購入の不便さ、
火薬と雷管についてお話します。ライフル弾を構成するには弾丸、薬莢、火薬、雷管です。後の2つは規制されていますが、前の2つは誰でも買えます。
猟期になる前に「猟銃用火薬類無許可譲受票」が県猟友会から発行されます。
これによりライフル銃用の雷管は50個まで、無煙火薬は600gまで購入できます。公安委員会が発行するのではなく、猟友会が発行するのです。
そして銃砲店へ行き、雷管50個を買おうとしても出来ません。雷管は100個入りで売っているからです。仕方がないので50個だけ買い、残りの50個は店で保存してもらいます。半年ぐらい先に射撃用で購入します。
田舎の銃砲店ではリロードをする者が1~3名ぐらいしかいないので、他の人に買ってもらえないのです。
火薬も1瓶は1ポンド(454g)売りです。ところが1瓶買うと雷管約100個分なのです。ですから火薬も半分しか買いません。半分残った火薬は好みが有るので、誰も買いません。これも半年ぐらい先に買うと約束し、銃砲店に納得してもらっています。火薬や雷管のバラ売り、量り売りをしてくれれば一番良いのですが、銃砲店が在庫で倒産します。
つまり完全に管理の難しいリローディングはしないで工場製の弾を買いなさい、と言いたいのです。これならば警察がハンターの管理を簡単にできるからです。使用した弾は全て記録し、後日報告しなければなりません。山で紛失したら、草の根も分けて探します。

3、銃購入の問題点、
銃を購入する際も、対象の銃が鉄砲店にあれば良いのですが、まず不可能です。
ですからパンフレットで買います。狩人はパンフレットの数字やインターネットで決めます。昔は銃砲店主が指導しましたが、今は出来る店主がいません。それで、安価に引かれてインターネットで買います。銃は宅配便で送られてきます。これで地方の銃砲店はバタバタと倒産しました。安くなるのは結構ですが、ネット店は売るだけです。修理や調整は地方の銃砲店を経て東京の専門業者へ送られます。
だから少々高価になっても地元の銃砲店を大切にしてほしい。閉店すれば、その反動は消費者(ハンター)に来る。私の知っている銃砲店も5つあるうちの3つが廃業した。
現物の銃が届くと、こんな筈ではなかったと後悔します。ですから私は総代理店のある横浜市まで行って、現物を手に取って確認した。
友人がたまたま所持していても、触れてはなりません。違法行為になります。其処に評論家が入り込み、散々散財させられて、行きつく先は書斎のハンターです。ネットの話も笑って聞いていればよいが、接すればカモにされます。
私が推奨するのは
皆が持っている銃、その地の獲物に合った銃、安価で故障がない、これが条件です。
消費者(ハンター)も銃砲店も息が詰まりそうです。店はダイナマイトなど爆薬を売るので、どうにか商売になっています。
4、猟銃許可のための診断書、
数年前まで、医者の診断書は精神科医の診断書で無ければ受け付けなかった。
医師の免許は医師としての免許であり、科別には与えられていない。
その辺を無視して精神科医の診断書を求められたハンターはたまったものではありません。都会と異なり田舎では精神科の診断書一枚の為、一日が費やされます。
私も3回ほど精神科を訪れました。
すると待合室には一人でブツブツ言っている患者や、睨み付ける女もいます。長く待っていると気が変になりそうです。やっと先生にお会いした時は仏に縋る気持ちでした。これでは平常心ではありませんから、正確な診断は無理と思いましたが、5つほど質問して放免してくれました。
最近、警察も矛盾に気が付き是正され「医師ならばよい」となった。私は掛りつけの医師(内科)の元へ行っています。
その他いろいろ不便なことが沢山あります。
日本では猟銃を持っているだけで悪人とみなされてしまうのです。