後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「80歳にして想う日本民族とは(3)島国なので排他的文化を持つ」

2016年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム
誤解の無いように始めに強調いたしますが、私は排他的な文化が悪いと非難する意図が毛頭ありません。
日本人はその排他性のお陰で日本古来の輝かしい伝統文化を守り、平和に暮らして来られたのです。ですから排他性は良い側面も有していることを始めに強調したいのです。
しかし島国に住む日本民族は大陸に住む中国人や朝鮮半島の人と考え方が違います。ユーラシア大陸に住むモンゴル人、ペルシャ人、インド人、ヨーロッパ人と民族性が非常に違います。
この違いにはいろいろありますが、今日は排他性の有無に問題を絞って考えてみたいと思います。
この日本民族に強くみられる排他性は、その住んでいる所が孤立した島国であるということに由来するのは明らかです。
日本は太平洋や日本海やオホーツク海や南シナ海に囲まれているのです。他民族の移住は容易でありません。他民族の文化の導入も命がけで行わなけれいけません。例えば遣隋使や遣唐使の船の遭難はたびたび起こりました。多数の人命を犠牲にして隋や唐の文化を取り入れたのです。
海。そうです海こそ日本民族の排他性の源だったのです。そこで海の写真を見ながら日本民族のことを考えてみましょう。

1番目の写真は神奈川県の由比ヶ浜から江の島や富士山を撮った写真です。ここに写っている海は太平洋に開いた相模湾の海です。今年の6月に撮った写真です。

2番目の写真は太平洋そのもの写真を撮ろうとして茅ケ崎の浜から沖の太平洋を撮った写真です。同じように今年の6月に撮った写真です。

3番目の写真は日本海の写真です。北海道の西海岸の岩内から10月14日に撮りました。

4番目の写真は日本海に突き出している積丹半島の写真です。

5番目の写真は積丹半島の神威岬の写真です。海は日本海です。
沖を眺めても絶対に対岸の大陸は見えません。このように日本は絶海に浮かぶ列島からなっているのです。
ですから古くから他民族の大規模な移住もありませんでした。明治維新によって近代国家になった後も、かたくなに他国からの移民を受け入れませんでいた。
少数のアイヌ民族を除けば、日本民族は単一な民族からなる国になっているのです。
これを現在の世界の国々に比べてみると、非常にまれにみる単一民族国家なのです。この単一民族の結果、排他的な民族文化をもつようになったと考えられます。
私が日本人の排他性を体験的に深く理解したのは1962年のアメリカ留学の時でした。
留学先のオハイオに落ち着いてまずアメリカの豊かさに驚愕しました。これではアメリカとの戦争で日本が勝てる訳がないと何度もしみじみと思ったのです。
それからしばらく下宿先の近所や大学の構内を見回すと、そこには実に様々な人種の人々がいたのです。日本の学校で、人間は白人、黄色人、黒人の3種類に分けられると教わり、そのように信じていました。
しかしオハイオで見たのは白人、黄色人、黒人の3種類のどれにも当てはまらいないインド人、メキシコ人、南米系の原住民、南太平洋系の黒人とは言えない人々など実に多くの人種が混在していて、仲良く平和に暮らしているのです。
同級生のアメリカ人と次第に仲良くなり、ビールを一緒に飲むようになります。どこの国の人も酔えばお国自慢が始まります。
アメリカ人は自由と平等の国だとアメリカを縷々自慢します。どんな人種も、どんな宗教も差別しないと自慢するのです。
そしてアメリカの強みは世界中の全ての国々から移民を受け入れて来たことだと言うのです。別の言葉で言えばアメリカ人は絶対に排他的ではないと主張するのです。
そして「日本は移民を受け入れた来たか?」と聞くのです。受け入れないと答えると、日本は排他的な社会だといささか見下したような顔をします。酒席の雑談なので本気で反論しませんが、彼らの本音が出ているので面白いのです。
それなのに今年の大統領選挙では差別主義者のトランプ氏は共和党の候補になったのです。しかし幸いにもヒラリー氏が優勢な状況になってほっとしています。昔、アメリカの自慢をしていた同級生のためににも良かったと思います。
さて、このように書くとヨーロッパの国々は排他的だという人がいます。後年、ドイツに住んだことがありますが、驚いたことに、ドイツはトルコから、ギリシャから、そしてルーマニアなどの東欧圏から多数の移民を受け入れているのです。
中国でも多民族国家であることを宣伝材料にしているのです。共産党政権に従順な限り、イスラム教もキリスト教もチベット仏教も平等に大切にしているのです。北京に行ってみるとイスラム教徒の多数の回族が白い帽子をかぶり悠々と闊歩しているのです。
イスラム教のお寺も多数あります。大学には豚肉抜きの回族のための学生食堂が必ず別に作ってありました。
あまり長くなるので、今日はここで終わりにします。日本民族の排他的文化の具体的な内容や、その強みや弱みについては稿を改めて書いてみたいと思います。(続く)


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、独りでミサに行ってきました」

2016年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は家内は風邪なので、一人でカトリック小金井教会のミサに行ってきました。
10時からのミサに司式はイエズス会の山中大樹神父様がなさって下さいました。
1番目の写真で説教をされているのが山中神父さまです。
2番目の写真の祭壇の左に立っているのが主任司祭のヨゼフ・ディン神父様です。

今日の新約聖書朗読はルカによる福音書(18・9-14)です。
ファリサイ派のひとが自分は律法を守り正しい生活をしていると自画自賛しています。一方、徴税人は胸を打ちながら、「神様、罪人のわたしを憐れんで下さい!」と叫んでいます。
するとイエスさまはこの徴税人を許し大切にします。
そしてファリサイ派の人は正しくないと言われます。
「だれでも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる」が朗読の最後の文でした。
写真はカトリック小金井教会のミサ風景です。





80歳にして想う日本民族とは(2)天皇を中心にして団結して努力する民族

2016年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム
日本民族とは?という大きな問題を取りあげれば簡単に正解を書ける筈がありません。
ですから、この「80歳にして想う日本民族とは」と題する連載記事では正解を書こうという意図はまったく御座いません。
単に老後の暇に任せて、日本民族にまつわる想いを、脈絡も無く書き進めて行こうと思っています。
どうぞ気楽に読み流してお忘れになって頂けたら嬉しく思います。
さて日本民族と言えばどうしても取り上げるべきことがあります。
それは飛鳥時代、奈良時代から1300年以上も続く天皇制のことです。
それでは天皇制は厳密には何時始まったのでしょうか?
明確なことは律令国家になったとき天皇制が始まったと考えるべきかも知れません。
7世紀後半から中国の政治体制にならった律令制の導入が進められ、701年の大宝律令によって律令制が確立したのです。
日本という国号が決まり、その時の天皇によって明治とか昭和という元号が正式に定められたのです。そして歴代天皇に漢字の諡号が一括して与えられたのがこの時です。ですから現在の天皇制はこの時に始まったと考えるのが妥当ではないでしょうか。

この天皇制の確立の結果、天皇を中心とした中央集権制が確立したのです。そして710年には平城京に遷都します。
その後、時代が流れ、鎌倉幕府、室町幕府、そして江戸幕府が出来ました。
しかし歴代の天皇はこれらの幕府の上に立つ権威でした。足利尊氏の南北朝の時代は例外ですが、全ての幕府は天皇を上に頂き、天皇の委託によって政治を行って来たのです。
ですから日本民族の中心は歴代の天皇にあったのです。
これは世界の歴史には実にまれなことです。
中国でも朝鮮でも王朝が目まぐるしく交代するのに対して、日本では同じ血筋の天皇が脈々と続いて来たのです。
これこそが日本民族の特徴ではないでしょぅか。

特に明治維新後、78年間は明治天皇や大正天皇、そして昭和天皇を中心にして、日本民族は一致団結して富国強兵に努力したのです。
その結果、日本は一流の近代国家になれたのです。
しかし維新後、78年目に日本は敗戦により全てを失ったのです。78年間、えいえいと培ってきたすべてが灰燼に帰したのです。
この悲劇の幕引きは昭和天皇の玉音放送でした。この事実こそが日本民族の心の中心に天皇があったという証拠ではないでしょうか。
そして「忍び難きことをしのび、堪え難きことをたえ」日本民族は団結して復興に努力したのです。それは民族の存亡をかける経済復興の戦いでした。
昭和天皇は国民を勇気づけるために全国の津々浦々を回り、街頭で帽子を振り国民を激励したのです。
その結果、戦後71年間の経済の高度成長が進行し、現在に至っているのです。

このありさまを素直に見ると、「日本民族の中心には天皇がいる」という表現に異議をさしはさむことは出来ないと存じます。
ですからこそ「日本民族とは天皇を中心にして努力する民族である」という言い方が妥当なのです。
しかしこの1300年も続く天皇制を廃止すべきと主張する人々もいます。
その代表的な一群は日本共産党の党員たちです。
そして天皇制は無駄に税金を浪費していると主張する共産党とは関係の無い人々の一群です。
しかし多くの日本民族は平成天皇も愛しています。生前退位の御意向に対して大多数の国民は天皇の努力に感謝して、生前退位に賛同したのです。これには政府も重い腰を上げざるを得ませんでした。

以上のように書くと私を右翼の国粋主義者という人がいると思います。
私は右翼でも国粋主義者もありません。
単に日本民族の歴史と他国の歴史を比較し文化人類学的に観察して、その結果をありていに書いたに過ぎません。
ですから現在の天皇制や宮内庁に対して強い反発も感じています。
天皇が真に国民を深く愛しているなら、神道だけでなく仏教も大切にすべきです。そしてキリスト教やイスラム教などに対しても好意的な発言をすべきです。神道だけを信じ、大切にしている考え方は如何なものでしょうか?
それともう一つ。古代の前方後円墳の多くを宮内庁が考古学的な根拠も無く天皇のお墓として発掘調査を厳禁している事実に疑問を感じます。この政策に対して世論を問い、善処すべではないでしょうか?
さて皆様は日本民族と天皇制に関して如何なご意見をお持ちでしょうか? コメントを沢山頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿し絵がわりの写真は一昨日撮って来た神奈川県の相模湖の風景写真です。