一昨日、以下のように「般若心経」に関する記事を書きました。題目と冒頭の数行だけを示します。
「佛教を簡単に理解する方法」
外国に行くとよく、「仏教とはどのような教えなのですか?」と聞かれます。
答は簡単至極です。お釈迦様が弟子のシャーリプトラ(舎利子)へ向かって話したことをまとめた「般若心経」の中の2つくらいの言葉を説明するのです。
「色即是空、空即是色」と「受・想・行・識亦復如是」という句です。
前者はこの世のことはすべて空しいという意味です。空しいからこの世なのですという意味です。
後者は全ての精神活動も、また同じく、実体は「空」ですという意味です。
そうするとキリスト教を知っている人は「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」という教えと似ていますと言います。この理解も少し違うのですが、その辺で会話を終りにします。・・・以下省略。
そうしたらある方から次のようなコメントを頂きました。
・・・「色即是空、空即是色」すべて空と解釈することとはどのような生き方をすることなのか。そこに関心があります。・・・
難しい問題です。
そこで昨日、車を100Km走らせて、晩秋の富士と山中湖の淋しい風景を見ながら答えを考えて来ました。写真は昨日撮ったものです。
簡明な答えが出来ました。
お釈迦さまは人それぞれの人生をどのように生活し、どのように生きなさいと具体的には一切教えていません。
どちらにしても人間は食べるために作物を作ったり魚や獣を取ります。現在では食べるため、家族を養うために会社で働きます。
その具体的な暮らし方は時代が変われば変わります。住んでいる環境によっても違います。
そのような具体的な生き方についてはお釈迦様は一切言及しません。
しかし人間は働いていると失敗もあります。苦しい目にも会います。悲し出来事も起きます。
そんな場合に此の世のことはすべて空と解釈すれば気が楽になるのです。心が救われるのです。そしてまた働いて生きていく勇気が湧いてくるのです。
お釈迦様は「般若心経」で全ての人々の悩みや悲しみを救ったのです。どんな時代でも共通に起きる人間の悲劇から人々を生き返らせたのです。ですからこそお釈迦さまの教えは2500年もの長きに渡って世界宗教になったのです。
さて人間はさまざまです。どんな悲劇に会ってもお釈迦様の助けを必要としない人もいます。どんなに困難に遭遇しても自分自身の意志力でそれを克服出来ると信じている人もいます。宗教などは必要ありません。それはそれで良いのです。
ここで宗教という言葉が出ましたので一言書きたいことがあります。
私は「般若心経」に書かれている内容はお釈迦様の宇宙観と信じています。ですからそれは哲学です。宗教とは違います。
しかし内容がこの世の深い、深い真理です。
そこで多くの人はお釈迦様は人々の上に超越して立つ絶対的な存在と考えます。そしてお釈迦様を超越した存在として崇めたて祀ります。これが宗教的な行為です。こうして一つの哲学が仏教という世界宗教になったのです。
これにはお釈迦様もびっくりされていることでしょう。死に臨んで自分の遺骨は野に捨てて、お墓は作ってはいけないと言い残しました。仏像もすべての偶像も作るなと言い残したのです。約400年間、仏教には仏像がありませんでした。
仏像を作ったり、お寺を作ったりいろいろな宗派に別れたりするのは全て人間の弱さです。
そのような人間の弱さを持っていない人には「般若心経」は不要です。無視して良いのです。
最後に一言。私はカトリックです。しかし「般若心経」は大好きです。哲学と考えているので矛盾を感じません。
キリスト教でも教会を作ったり、いろいろな宗派に別れたりするのは全て人間の弱さです。
戦争をするのも全て人間の弱さです。宗教の限界、人間の限界を感じています。
ある方が・・「色即是空、空即是色」すべて空と解釈することとはどのような生き方をすることなのか?・・と質問を送ってきましたが、上記が私の答です。昨日、晩秋の富士と山中湖の淋しい風景を見ながら考えて来ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)