後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

でいしゅう著、「猟犬、ココとの別れ」

2016年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム
でいしゅうさんは「狩人の道東放浪記 Ⅱ」というブログを書いています。
URLは、http://blog.goo.ne.jp/1414sako1732 です。
その中に愛する猟犬、ココの死の悲しみが2014年6月のブログに断片的に数ケ所に書いてありました。
以下は私が勝手にまとめて編集した文です。
===でいしゅう著、「猟犬、ココとの別れ」===
最後の3番目の猟犬、ココは2014の夏に13歳で死に、それからは犬を飼っていません。
その危篤状態の時の様子を時々思い出しています。忘れられないのです。
長い間、猟の友であり同志であったココもいよいよダメなようです。足はふらつき、よく見えないためか、近づいても知らん顔です。
表情もなく、腹で弱く息をしています。昨日与えた葦簀の陰にも行かず、息をしています。
もう可哀想で見ていられません。釈迦の涅槃図を思い出しますが、ココの周囲にいるにのは私と蟻ぐらいです。児も作らず伴侶もなく、最後のようです。ゆっくりと体を撫ぜてやりました。
一緒に雉撃ちに出かけたココも13歳となり「ホーホー」と変な呼び声で鳴いています。ヨタヨタで自分の家に入るときも階段で滑っています。
見ていると可哀想です。雉や山鳥を追いかけて藪の中に一目散に突入した姿からは想像もできません。

写真は2014年6月の頃、ココが小屋で寝ている姿です。
この3番目の猟犬、ココは猟犬の訓練も3回目なので順調に出来上がりました。
暑い時に河に行き、木片を投げると飛び込み拾ってきました。私が参るまで何度もやらされました。ところが狩猟シーズンになり、川に雉が落ちても拾いに行きません。足を川に入れて「おっ寒」となると絶対に入りません。
仕方なく人間が拾いに行きました。しかし、野原では確実に拾ってきます。雉もバタバタしていると直ぐに発見できますが、命中し草の間に落ちていると1メーターの距離でも解らないものです。犬の眼は悪く、全て臭いが元ですから、探すことが出来るのです。
ココには小綬鶏、ヤマシギ、ウズラも獲らせてもらいました。
そのココは沢山の楽しい思い出を作ってくれて、13年間の生涯を終えたのです。
思い出すと可哀想です。そしていろいろな動物に囲まれている釈迦の涅槃図を思い出します。ココのそばには私しかいませんでした。それは2014年のある夏の日でした。
ココの墓は美しい自然石で作りました。(終り)