老境になると、少しばかり此の世から離れて日本民族というものを客観的に眺められるようになります。
もう何年も書きたいと思っていることがあります。
それは太平洋戦争で日本がアメリカに徹底的に負けてしまったことです。
敗けただけではなくその後の6年間、全国の津々浦々をアメリカ軍が占領していたことです。
そしてさらにサンフランシスコ講和によって日本が独立した後もアメリカ軍の軍事基地が全国にあり続けているのです。
戦後の71年間、日本には圧倒的な軍事力を持ったアメリカ軍が駐留しているのです。
その上、日米間には安保体制が継続し強固な同盟関係にあるのです。
この状態は旧石器時代や縄文時代から始まる日本民族の歴史上、初めての大きな出来事でした。
この事態を人々はどのように受け止めているのでしょうか?
今日はその功罪を評価するのではなく、この初めてのアメリカとの深い関係によって日本民族の文化がどのように変貌してきたか概観して見たいと思います。
今迄のこの連載で日本民族の文化の特徴を幾つか指摘してきました。その中で第一回の連載記事、「80歳にして想う日本民族とは(1)その精神文化の基調をなす神道と仏教の混淆」では日本民族の文化の基底には仏教と神道があると書きました。
神道は旧石器時代や縄文時代の自然信仰が次第に鳥居を有する神社に発展してきました。そして仏教は538年に中国から伝来しました。
その後、唐の玄奘三蔵法師がインドに渡り16年後の645年に、657部の経典を長安に持ち帰ったのです。日本の仏教は現在も、全て玄奘三蔵法師が漢文に翻訳した教典によっているのです。
このような歴史を見ると日本民族の文化の基盤には神道と仏教があると言えます。
ところが一方、アメリカの文化はキリスト教のプロテスタン宗派に基盤を置いています。従ってアメリカ占領軍はキリスト教から派生した考え方によって日本の軍国主義を徹底的に絶滅させ、アメリカ流の国にしようとしました。勿論、占領軍はそれをキリスト教と関連があるとは意識しなかったと思います。それは日本人が常日頃、仏教を意識していないのと同じです。
日本へ男女平等の選挙権を与えました。聖書ではマグダラのマリアや女性が度々登場し大切にされています。
旧制の学校制度を廃止し、6・3・3・4年の新制の学校制度に変えました。
だれでも平等に教育にあずかれるようにしたのです。これらはヨーロッパのカトリックの影響を受けたエリート教育とは違います。
さらにキリスト教から派生した共産主義の影響もあって日本の地主・小作制度を廃止し農地解放を実施したのです。
キリスト教から派生した博愛主義が強調されました。
プロテスタント主義から派生した人間の平等と自由が日本に行きわたらせました。人権の重要性と個人の尊厳を日本民族へ押し付けるようにして教えました。
上記で「キリスト教から派生した」という表現を度々使いましたが、その理由はそれが聖書に書かれていなくてもキリスト教に関連あると考えられるからです。
大変、雑に言えば日本の敗戦によって民族文化が佛教的なものからキリスト教的な文化に変貌したと言えます。
少なくとも政治構造や学校制度のような表面的なことは全てアメリカ流に変わったのです。
そして日本では個人の人権が尊重される社会になったのです。
しかし上の書き方は雑過ぎます。
本当に人権が尊重されるなら「残業」で苦しむ個人はいなくなる筈です。これだけ日本がアメリカ流になったのならキリスト教徒になる人が増えるはずです。しかし日本人のキリスト教徒は全人口の3%で、一向に増える傾向がありません。
学校制度は大きく変わりましたが、学校では相変わらず知識を暗記させる江戸時代からの教育を続行しています。創造性を伸ばす教育は皆無です。
日本民族の物質文化は変わりましたが、精神文化は変わらないのです。
このように言ってしまえば、これも間違いです。
日本民族の文化のなかで人間は平等だという精神は普及しました。自由に自分らしい人生を送るという考え方も定着しました。
そして障害者や弱者を差別しなという文化も育ちました。これらはすべてアメリカ文化の影響なのです。
ですから日本の精神文化もある部分は敗戦によって大きく変貌したのです。
私はいつも問題は提起しますが、答えは皆様に考えて頂くようにしています。
今日の問題は日本の敗戦によってその民族文化のどの部分が変わったのでしょうか?どの部分が変わらなかったのでしょうか?
上に書いたことは、その答えにいたるヒントに過ぎません。皆様からのご返事をお待ちしています。
今日の挿し絵がわりの写真は武蔵野公園の秋の風景と昨日、花屋さんで撮った花の写真とです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



もう何年も書きたいと思っていることがあります。
それは太平洋戦争で日本がアメリカに徹底的に負けてしまったことです。
敗けただけではなくその後の6年間、全国の津々浦々をアメリカ軍が占領していたことです。
そしてさらにサンフランシスコ講和によって日本が独立した後もアメリカ軍の軍事基地が全国にあり続けているのです。
戦後の71年間、日本には圧倒的な軍事力を持ったアメリカ軍が駐留しているのです。
その上、日米間には安保体制が継続し強固な同盟関係にあるのです。
この状態は旧石器時代や縄文時代から始まる日本民族の歴史上、初めての大きな出来事でした。
この事態を人々はどのように受け止めているのでしょうか?
今日はその功罪を評価するのではなく、この初めてのアメリカとの深い関係によって日本民族の文化がどのように変貌してきたか概観して見たいと思います。
今迄のこの連載で日本民族の文化の特徴を幾つか指摘してきました。その中で第一回の連載記事、「80歳にして想う日本民族とは(1)その精神文化の基調をなす神道と仏教の混淆」では日本民族の文化の基底には仏教と神道があると書きました。
神道は旧石器時代や縄文時代の自然信仰が次第に鳥居を有する神社に発展してきました。そして仏教は538年に中国から伝来しました。
その後、唐の玄奘三蔵法師がインドに渡り16年後の645年に、657部の経典を長安に持ち帰ったのです。日本の仏教は現在も、全て玄奘三蔵法師が漢文に翻訳した教典によっているのです。
このような歴史を見ると日本民族の文化の基盤には神道と仏教があると言えます。
ところが一方、アメリカの文化はキリスト教のプロテスタン宗派に基盤を置いています。従ってアメリカ占領軍はキリスト教から派生した考え方によって日本の軍国主義を徹底的に絶滅させ、アメリカ流の国にしようとしました。勿論、占領軍はそれをキリスト教と関連があるとは意識しなかったと思います。それは日本人が常日頃、仏教を意識していないのと同じです。
日本へ男女平等の選挙権を与えました。聖書ではマグダラのマリアや女性が度々登場し大切にされています。
旧制の学校制度を廃止し、6・3・3・4年の新制の学校制度に変えました。
だれでも平等に教育にあずかれるようにしたのです。これらはヨーロッパのカトリックの影響を受けたエリート教育とは違います。
さらにキリスト教から派生した共産主義の影響もあって日本の地主・小作制度を廃止し農地解放を実施したのです。
キリスト教から派生した博愛主義が強調されました。
プロテスタント主義から派生した人間の平等と自由が日本に行きわたらせました。人権の重要性と個人の尊厳を日本民族へ押し付けるようにして教えました。
上記で「キリスト教から派生した」という表現を度々使いましたが、その理由はそれが聖書に書かれていなくてもキリスト教に関連あると考えられるからです。
大変、雑に言えば日本の敗戦によって民族文化が佛教的なものからキリスト教的な文化に変貌したと言えます。
少なくとも政治構造や学校制度のような表面的なことは全てアメリカ流に変わったのです。
そして日本では個人の人権が尊重される社会になったのです。
しかし上の書き方は雑過ぎます。
本当に人権が尊重されるなら「残業」で苦しむ個人はいなくなる筈です。これだけ日本がアメリカ流になったのならキリスト教徒になる人が増えるはずです。しかし日本人のキリスト教徒は全人口の3%で、一向に増える傾向がありません。
学校制度は大きく変わりましたが、学校では相変わらず知識を暗記させる江戸時代からの教育を続行しています。創造性を伸ばす教育は皆無です。
日本民族の物質文化は変わりましたが、精神文化は変わらないのです。
このように言ってしまえば、これも間違いです。
日本民族の文化のなかで人間は平等だという精神は普及しました。自由に自分らしい人生を送るという考え方も定着しました。
そして障害者や弱者を差別しなという文化も育ちました。これらはすべてアメリカ文化の影響なのです。
ですから日本の精神文化もある部分は敗戦によって大きく変貌したのです。
私はいつも問題は提起しますが、答えは皆様に考えて頂くようにしています。
今日の問題は日本の敗戦によってその民族文化のどの部分が変わったのでしょうか?どの部分が変わらなかったのでしょうか?
上に書いたことは、その答えにいたるヒントに過ぎません。皆様からのご返事をお待ちしています。
今日の挿し絵がわりの写真は武蔵野公園の秋の風景と昨日、花屋さんで撮った花の写真とです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


