後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日韓友好・日中友好と寛大で深遠な愛国心の薦め

2017年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「深遠な愛国心」と「偏狭な愛国心」の違いを描いてみたいと思います。そして日本の平和を守るためには寛大で深遠な愛国心が非常に重要になるという考えを説明いたします。

日本人の中には韓国や中国を非難し、罵倒し、それが愛国心だと思っている人がいます。そして日米安保の軍事力だけに頼って、韓国や中国と対峙しようとする考えの人がいます。そういう愛国心を私は「偏狭な愛国心」と定義します。
この「偏狭な愛国心」は日本へ禍いを招き、日本人を不幸にする危険な愛国心なのです。勿論、韓国人や中国人も不幸にする危険な愛国心です。
それに対して一方、「深遠な愛国心」とは国際社会の連帯のなかで同盟国と調和を取りながら、仮想敵国と考えられる中国とも友好関係を築き、中国の危険性を少しでも小さくすることです。それを私は深遠な愛国心と定義します。
一番重要なことは国際社会のなかで賢明な外交を展開し、仮想敵国が攻撃出来ないようにすることです。
そして軍備は戦争の抑止力になる現実を理解し、それを常に増強し、維持する努力も大切です。

このように書くと南京事件を誇大に宣伝する中国人は許せないと叫ぶ人がいます。政治決着した慰安婦像問題を蒸し返して新たに釜山に慰安婦像を作った韓国人を許せないといきり立つ人がいます。
しかし日本人はもっと大人(おとな)になりましょう。もっと大人(たいじん)になりましょう。
たとえ中国や韓国が日本人の感情を害するような宣伝をしても、それは過去の日本の歴史にも責任があるのです。
日中韓の2000年の交流の歴史を想えば日中戦争も朝鮮併合も一瞬の歴史に過ぎないのです。
日中韓の交流の歴史には仏教伝来や遣唐使や朝鮮通信使節のような輝かしい交流もあったのです。勿論、元寇や秀吉の朝鮮出兵のような悲劇もあります。
このような日中韓の交流の歴史の全てを想えば、南京事件や慰安婦像問題にいちいちいきりたつのは「愚か」の一語につきることは明白です。
私の「深遠な愛国心」とは上に書いたようなものです。

それはさておき、お釈迦様の教えに従って日中戦争に反対した僧侶もいたのです。
その一例が左の写真の竹中彰元 師です。(出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/pen_tsuyoshi/34608018.html です。)
昭和12年に日中戦争反対を公言して、昭和20年の敗戦までその主張を変えませんでした。
陸軍刑法の流言飛語罪で禁固4か月の刑をうけましたが、仏の教えに従ったまでなので考えは変わらないと敗戦まで主張続けたのです。
詳しくは「竹中彰元」を検索すると沢山の資料が出てきます。
竹中彰元を破門した浄土真宗大谷派は70年後に破門が間違いだったとして竹中師の名誉回復をしたのです。

さて、続いて、戦争反対を主張した僧侶をもう一人、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9C%A8%E5%BE%B9%E8%AA%A0 からご紹介します。
それは2007年3月に80歳で亡くなった植木等さんの父親でした。知る人は少なかったのですが、植木等さんの父は筋金入りの反戦平和主義の僧侶だったのです。
名前は植木徹誠と言います。三重県伊勢市の浄土真宗大谷派の常念寺の住職でした。
「戦争というものは集団殺人だ」などと説教していたのです。当然、治安維持法違反で逮捕です。そして4年間も投獄されていたのです。
植木等は小学生でしたが、牢屋にいる父の住職の仕事を代行して、お経をあげたり檀家の世話をしていたそうです。そして牢屋にいる父へために毎日自転車で鶏卵を差し入れに行っていたそうです。
父は息子へ「等(ひとし)、いいか、戦場に行っても絶対に銃を撃つんじゃないぞ」と言っていたそうです。
植木等がコメディアンとして有名になった後も父の話を忘れませんでした。大部分の芸能人が自衛隊の後援会に入っていますが、植木等だけは終生入会しませんでした。
ちなみに等(ひとし)という名前は人間はお釈迦様の前ではみんな等しいのだということで父の徹誠さんがつけた名前だそうです。

話を戻しますが、最近の日本ではどうも偏狭な愛国心を叫ぶ風潮があるようなので私は大変危惧しています。
愛国心は人それぞれにその中身は違います。他人へ愛国心を持てと言ったとたん怪しい中身になってしまいます。
しかし「深遠な愛国心」と「偏狭な愛国心」の違いを、各自が深く考えた方が良いのではないかと信じています。
静かな心でこの文章をお読み頂いた全ての方々へ深く感謝いたします。

今日の挿し絵代わりの写真は先日、神代植物公園の温室で撮った熱帯植物の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)