後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京のヨットクラブの経営者が離れ島へ移住、地域活性化に尽力、その一

2017年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
7年ほど前まで東京であるヨットクラブのオーナーであった人が九州の離島、大入島(おおにゅうじま)に移住し、地域の活性化に努力しています。
私はこのヨットクラブには8年程前に大変お世話になりました。倶楽部の大型ヨットに何度も乗せて頂き、豪華なヨットの世界を初めて楽しむことが出来ました。
その後、このヨットクラブとは疎遠になっていました。

ところが突然、Face Book で、大入島(おおにゅうじま)太郎さんという方からメッセージを貰いました。
東京都心から大分県の離島に移り住んで6年目、この大入島(おおにゅうじま)での生活を楽しんでいますという内容でした。
そして佐伯市の大入島の活性化に努力しているようです。
そこで今日は彼の運営していたヨットクラブの紹介と私の参加した帆走の写真をご紹介したいと思います。
そして続編では東京から離れ島への移住したことや地域活性化に尽力している様子をご紹介したいと思います。

そのあるヨットクラブは多くの人に豪華なモーターボートやヨットを楽しんで貰うという目的で作った倶楽部でした。
その特徴は格安の料金で豪華なヨットに乗れることでした。
例えば保険料と燃料代として1日、3000円だけ支払えば、豪華なヨットで東京湾、相模湾、駿河湾、伊豆七島の海でのセイリングが楽しめるのです。この倶楽部が使用している船は15隻もありました。
私は、このヨットクラブの帆走に参加し東京湾と駿河湾で数回の帆走を経験しました。
そしてこのヨットクラブの在り方に深い感動を覚えたのです。理由を書いてみます。
(1)帆走へ参加する場合の費用が非常に少なくて良い。
(2)帆走の参加は昼間だけで良いです。ヨットに泊まりたくなければ電車で帰宅すれば良いのです。(例えば、東京の浜離宮脇の係留地を出発して、三崎港、稲取、下田、妻良、沼津と何泊かしながら帆走する場合、どの区間だけでも乗船出来るのです)
(3)ヨットの経験がなくてもお客として乗せてくれます。もちろん操船を教えて下さいと言うと同乗者が親切に教えてくれます。他に、もちろん帆走訓練のコースが初級、上級とレベル別にあります。
このヨットクラブの素晴らしさはオーナーが豪華なモーターボートやヨットを提供し、ヨットの奥深い面白さを多くの人々に味わってもらいたいという目的で運営されていることです。

奥深いヨットの楽しみを理解するためにはいろいろな配慮が必要なのです。小さなディンギーから小型クルーザーヨット、そして大型豪華ヨットとすべてを経験出来るように各種のヨットを提供していたのです。
その上船の取扱やチームワークの重要性を教える毛利さんという指導者も倶楽部専属としていたのです。
その倶楽部で私は毛利さんと親しくなり、いろいろな指導を受けました。
毛利さんクラブの帆走技術の師匠のような役割をしてしていたのです。
このヨットクラブには、ヨットの未経験者から自分で大型ヨットを所有してる人々まで様々な人々が集まってきました。最盛期には会員は164名もいたそうです。
写真に私が乗せて貰ったババリア39フィートとハンスクリスチャン43フィートの写真を数枚掲載いたします。
1番目の写真は2009年4月に千葉県の保田港に係留してあったハンスクリスチャン43フィートの写真です。初めてお会いした毛利さんと一夕デッキの上で遺書に飲みながら談笑したことが忘れられません。
2番目の写真は2009年5月に駿河湾のある港に係留してあったハンスクリスチャン43です。
3番目の写真は毛利さんを艇長として駿河湾を帆走中のハンスクリスチャン43です。
4番目の写真は浜離宮の入り口の築地運河に係留されていたドイツのババリア39です。
5番目の写真はババリア39上から見た東京の街です。この時は大入島さんが艇長でした。
6番目の写真は東京湾を縦断したときの写真です。三浦半島の突端の三崎港から浜離宮の傍の築地運河までの帆走でした。
7番目の写真は築地運河の係留地の写真です。写真の左の森が浜離宮で突き当り右方向は銀座です。こんな東京の真ん中にヨットの係留地があるのが不思議です。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)













人種差別も宗教差別もしなかったマザーテレサの人間愛

2017年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
仏教を信じている日本人はお釈迦さまの生まれたインドに親近感を持っています。中国の玄奘三蔵法師が教典を持って来たので中国人も尊敬しています。そして仏教に帰依していた朝鮮の人にも親しみを感じます。ですから仏教を信じている日本人はインド人や中国人や朝鮮の人々に親近感を持っています。ですから仏教徒は人種差別とは無縁です。
正しく宗教を信じている人々は人種差別を絶対にしません。キリスト教も同じです。
一つの例として、今日はヒンズー国のインドで、死に行くインド人を愛したカトリック信者のマザーテレサの人間愛をご紹介したいと存じます。
マザー・テレサは1910年8にヨーロッパのマケドニアに生まれ、 1997年に亡くなりました。享年87歳でした。カトリック教会の修道女として、修道会「神の愛の宣教者会」を創立しました。1979年にノーベル平和賞を受賞しました。

特筆すべきは1980年にインドで国民に与えられる最高のバーラト・ラトナ賞を受賞していることです。
彼女はヨーロッパ人でしたが異教徒の地、インドでヒンズー教の人々を愛し世話をしたのです。それは丁度イエスさまが異教徒のサマリア人を大切にしたのと全く同じです。
この欄では、最近、人種差別に関する2つの記事を掲載しました。それに続く、3番目として今日はマザーテレサのインドでの活躍をご紹介したいと存じます。
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5 からの抜粋です。

(1)神の愛の宣教者会の創立
1950年に修道会設立の許可を得たマザーテレサは、インドで「神の愛の宣教者会」を創立します。
この宣教会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことです。
そしてインド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受けます。それをテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスといて使用したのです。それ以後、インドでホスピスや児童養護施設を幾つも開設したのです。

活動の初期の頃は、地元住民たちはインド人をキリスト教に改宗させようとしているという疑念を持っていました、
しかし、彼女たちは世話をする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対しては、その者の宗教で看取っていたのです。
特にヒンズー教徒にはガンジス川の水を口に含ませてやり、イスラム教徒にはクルアーンを読んで聞かせたのです。
世話をする相手の宗派を問わないテレサたちの活動は世界中で感動され、多くの援助が集まります。
1960年代までに「神の愛の宣教者会」の活動は全インドに及ぶようになったのです。さらに1965年以降、教皇・パウロ6世の許可によってインド国外での活動へ広がります。インド以外で初めて宣教女が派遣されたのは南米・ベネズエラでした。以後、修道会は全世界規模で貧しい人々のために活躍するようになる。

(2)晩年と死
1983年、高齢のテレサはヨハネ・パウロ2世との会見のために訪れたローマで心臓発作に見舞われた。
1991年、すぐれない健康状態を押して故郷のアルバニアに最初の支部を設立します。これはテレサの念願であったのです。
1997年3月、体力の限界を感じ総長職を辞任。1997年9月5日、世界が見守る中、テレサはカルカッタのマザー・ハウスにて87年の生涯を終えたのです。
テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610箇所で活動を行っていました。
活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などです。

(3)マザーテレサはインドの国葬の栄誉を与えられます。
宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀は、1997年9月13日にインド政府によって国葬として荘厳に行われました。その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて彼女が尊敬されたことを象徴するものでした。
マザーの棺はインドの陸軍兵によって砲車に乗せられ、国葬会場まで行進したのです。
国葬は独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相につづき、マザー・テレサは3人目でした。
遺体はテレサの遺言どおり「神の愛の宣教者会」本部に葬られます。
彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼しました。

(4)マザーテレサが聖人になる。
2003年10月、ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言します。通常は本人の死後、福者の認定を受けるまで少なくとも数十年の審査が必要とされている現状を考えれば、死後6年での列福というのは異例の早さでした。
2016年9月4日、ローマ法王、フランシスコはテレサを列聖し、聖人であると宣言します。テレサの死後、満19年目のことでした。

マザーテレサの特筆すべきことは彼女自身はカトリックの信者だったのに、死に行くヒンズー教徒やイスラム教徒の宗教の儀式に従ってあの世に送り出したことです。それは宗教にこだわらない深い人間愛と思います。
マザーテレサの活動を力強く支援したインド人達も偉かったと思います。異邦人を国葬にしたインド政府にも感動を覚えます。
人種差別も宗教差別もしなかったマザーテレサこそ人類の宝です。

マザーテレサの写真に添付した写真はマザーテレサに供えたい花の写真です。昨日、京王フローラル・ガーデンで撮ってきました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)