キリスト教は仏教とずいぶん違います。なんとなく仏教になじんでいる日本人には親しみを感じられません。
そこで今日は気楽にキリスト教のよもやま話をあれこれ書いてみたいと思います。読めば少し身近に感じられるかも分かりません。
さてキリスト教は中東のユダヤの町のナザレの大工、ヨゼフの倅のイエスが作った宗教です。当時はその地方では人の姓名は名前だけで呼んでました。日本の江戸時代と同じです。武士だけが苗字を持っていました。昔は外国もそんなものでした。
キリスト教には約2000年の歴史があります。大雑把に言えば古いキリスト教は旧教と言い、宗教改革以後のものを新教と言います。
宗教改革は16世紀に起きました。腐敗しきったキリスト教の革新運動でした。ルターの批判がきっかけとなったキリスト教の革新運動でした。そして新教の諸派が出来たのです。この革新運動で旧教の諸派も革新されたのです。
新教では、福音ルター派教会やカルヴァン派 やアーミッシュ教会などなど実に数多くの新しいキリスト教の宗派が生まれたのです。
一方旧教の諸派はカトリック教会やロシア正教などなどです。
現在の世界には新教の諸派と旧教の諸派の両方が並んで存在しています。日本にも全てあります。一方仏教でも天台宗や真言崇の古い仏教が鎌倉時代に革新され曹洞宗や法華教宗派や念仏宗などなどが生まれました。これ考えるとキリスト教の宗教改革にも親しみを感じます。
さてキリスト教と仏教を比較して一番違う点はキリスト教には毎週礼拝式があるが仏教には無いことです。礼拝式は旧教のカトリック教会ではミサと呼んでいます。そこで以下ではミサの内容を簡単に記します。
1番目の写真はミサの光景です。ミサでは聖歌を歌い、皆が一緒に祈ります。2000年前にイエスが教えた言葉どうりの祈りをします。そしてイエスの肉に見立てたパンを神父さんから貰って食べます。
2番目の写真は神父が信者の一人一人へ小さなパンを手渡している光景です。神父は「イエスの体」と小声で言ってパン片を信者へ渡します。信者は「アーメン」と言ってパンを受け取り、口に入れます。こうしてカトリックの信者はミサ毎にイエス様の肉を頂いて食べるのです。
カトリック教会では通常毎週のミサを特別な祭日のミサにすることがあります。クリスマスのミサ、復活祭のミサ、聖霊降臨のミサなどです。
間もなく8月15日の聖母被昇天の祝日がやって来ます。イエスを生んだ母はマリアです。彼女の死後神がマリアを天国に上げてくれたのです。その事を祝う祭日が聖母被昇天の祝日です。
8月15日に聖母マリアの昇天を祝う習慣は5,6世紀頃からあったのですが、それを教皇ピオ十二世が1950年11月1日に世界中のカトリック教会の正式な被昇天の祝日として公布したのです。キリスト教は一神教ですが、聖母マリアは人々に深く愛され信仰の対象だったのです。
3番目の写真はラファエロの傑作として有名な聖母子の絵です。漆黒の背景から浮かび上がる聖母マリアと幼子イエス・キリストを描いたものです。1505年頃の作です。
4番目の写真はGuillaume Courtois 作、17世紀です。天使たちに支えられて飛翔しているかのようなマリアを描いた絵です。
5番目の写真はグイド・レーニ作、1617年です。
レーニが後年に描いた聖母の被昇天は十二使徒とマリアの二段構造になっています。
マリア様被昇天の絵画の出典は、http://mementmori-art.com/archives/23171141.html です。
さて以上のことを仏教と比較してみます。仏教では釈迦の肉体と見立ててパン片など絶対に食べません。仏教では釈迦の母の摩耶夫人のことは信仰の対象ではありません。仏教とキリスト教はあまりにも違います。しかし両者の教えの目的は同じなのです。悩み多い人間を悩みや迷いから解放して幸せにするのが目的です。苦しむ人間の救済が目的なのです。キリスト教では神の愛が人間の救いです。仏教では解脱と悟りの境地が人間の救いなのです。
今日は気楽にキリスト教のよもやま話を気の向くまま書いてみました。皆様のご意見を頂けたら幸いです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
そこで今日は気楽にキリスト教のよもやま話をあれこれ書いてみたいと思います。読めば少し身近に感じられるかも分かりません。
さてキリスト教は中東のユダヤの町のナザレの大工、ヨゼフの倅のイエスが作った宗教です。当時はその地方では人の姓名は名前だけで呼んでました。日本の江戸時代と同じです。武士だけが苗字を持っていました。昔は外国もそんなものでした。
キリスト教には約2000年の歴史があります。大雑把に言えば古いキリスト教は旧教と言い、宗教改革以後のものを新教と言います。
宗教改革は16世紀に起きました。腐敗しきったキリスト教の革新運動でした。ルターの批判がきっかけとなったキリスト教の革新運動でした。そして新教の諸派が出来たのです。この革新運動で旧教の諸派も革新されたのです。
新教では、福音ルター派教会やカルヴァン派 やアーミッシュ教会などなど実に数多くの新しいキリスト教の宗派が生まれたのです。
一方旧教の諸派はカトリック教会やロシア正教などなどです。
現在の世界には新教の諸派と旧教の諸派の両方が並んで存在しています。日本にも全てあります。一方仏教でも天台宗や真言崇の古い仏教が鎌倉時代に革新され曹洞宗や法華教宗派や念仏宗などなどが生まれました。これ考えるとキリスト教の宗教改革にも親しみを感じます。
さてキリスト教と仏教を比較して一番違う点はキリスト教には毎週礼拝式があるが仏教には無いことです。礼拝式は旧教のカトリック教会ではミサと呼んでいます。そこで以下ではミサの内容を簡単に記します。
1番目の写真はミサの光景です。ミサでは聖歌を歌い、皆が一緒に祈ります。2000年前にイエスが教えた言葉どうりの祈りをします。そしてイエスの肉に見立てたパンを神父さんから貰って食べます。
2番目の写真は神父が信者の一人一人へ小さなパンを手渡している光景です。神父は「イエスの体」と小声で言ってパン片を信者へ渡します。信者は「アーメン」と言ってパンを受け取り、口に入れます。こうしてカトリックの信者はミサ毎にイエス様の肉を頂いて食べるのです。
カトリック教会では通常毎週のミサを特別な祭日のミサにすることがあります。クリスマスのミサ、復活祭のミサ、聖霊降臨のミサなどです。
間もなく8月15日の聖母被昇天の祝日がやって来ます。イエスを生んだ母はマリアです。彼女の死後神がマリアを天国に上げてくれたのです。その事を祝う祭日が聖母被昇天の祝日です。
8月15日に聖母マリアの昇天を祝う習慣は5,6世紀頃からあったのですが、それを教皇ピオ十二世が1950年11月1日に世界中のカトリック教会の正式な被昇天の祝日として公布したのです。キリスト教は一神教ですが、聖母マリアは人々に深く愛され信仰の対象だったのです。
3番目の写真はラファエロの傑作として有名な聖母子の絵です。漆黒の背景から浮かび上がる聖母マリアと幼子イエス・キリストを描いたものです。1505年頃の作です。
4番目の写真はGuillaume Courtois 作、17世紀です。天使たちに支えられて飛翔しているかのようなマリアを描いた絵です。
5番目の写真はグイド・レーニ作、1617年です。
レーニが後年に描いた聖母の被昇天は十二使徒とマリアの二段構造になっています。
マリア様被昇天の絵画の出典は、http://mementmori-art.com/archives/23171141.html です。
さて以上のことを仏教と比較してみます。仏教では釈迦の肉体と見立ててパン片など絶対に食べません。仏教では釈迦の母の摩耶夫人のことは信仰の対象ではありません。仏教とキリスト教はあまりにも違います。しかし両者の教えの目的は同じなのです。悩み多い人間を悩みや迷いから解放して幸せにするのが目的です。苦しむ人間の救済が目的なのです。キリスト教では神の愛が人間の救いです。仏教では解脱と悟りの境地が人間の救いなのです。
今日は気楽にキリスト教のよもやま話を気の向くまま書いてみました。皆様のご意見を頂けたら幸いです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)