後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「オリンピックをTVで見ながらギリシャのことを想う」

2021年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日オリンピックをTVで見ながら、こんなに面白いオリンピックを始めたギリシャのことをいろいろ考えています。ギリシャは今は弱小国になっていますが古代ギリシャはヨーロッパの先進国といて輝かしい文化を花咲かせていたのです。
しかし紀元前146年、ギリシアはローマ帝国に支配されます。そして392年、ローマがキリスト教をローマ帝国の国教と定めたことでオリンピア信仰が否定されます。オリンピックは最後に393年の第293回オリンピック競技大祭で終焉したのです。

古代オリンピックは実に1169年間も続き第293回も開催されたのです。
古代オリンピックが途絶えて1500年後の1892年。フランスのクーベルタン男爵が近代オリンピックを再開しました。1896年、第1回大会がアテネで開催されます。 近代オリンピックはまだまだ歴史が浅いのです。

そこで今日は古代ギリシャのことを振り返って見ます。
まず古代ギリシャの遺跡の写真を示します。出典は、https://wondertrip.jp/79647/ です。

1番目の写真はオリンピアのアクロポリスです。紀元前8世紀ごろのギリシアには多くのポリスと呼ばれる都市国家が成立しました。アクロポリスとは、このポリスの中心部に作られた外敵を見張ることのできる丘のことです。アクロポリスは都市と民衆を守る拠点で同時に守護神を祀る神殿があり信仰の対象の役割も果たしていました。

2番目の写真はオリンピアのパルテノン神殿です。この神殿は合計46本の立派な円柱が支えており、その表面に施された装飾彫刻には完成までに15年もの歳月を要したと言われています。

3番目の写真はアテナにあるニケ神殿です。これは小さな神殿ですが真っ白な神殿は青空に浮かび上がり美しいのです。神殿には勝利の女神ニケが祀られており紀元前424年に建設されました。

4番目の写真はアクロポリスの麓にあるギリシア最古の大型野外劇場です。ディオニソス劇場と言います。この石造りの劇場は紀元前325年に建設され、14000人〜17000人もの観客を収容することが可能でした。

5番目の写真はディオニソス劇場の舞台から客席を写した写真です。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、アリストパネスといったそうそうたる古代劇作家がここで催される祭りで作品をコンテスト形式で競い合いました。劇作家たちはそれぞれ3本の悲劇と1本の喜劇を出品し、3人以下の俳優によって上演されました。

以上の5枚の写真は古代ギリシャの華々しい文化を示しています。
しかし古代ギリシャの繁栄は長く続きませんでした。ギリシャはローマ帝国に占領されてしまったのです。前146年にローマがマケドニアを属州としたのを皮切りにギリシャはローマ帝国の一部と化してしまったのです。
そのローマ帝国は皇帝の所在地を首都ローマからミラノ、後にラヴェンナに移します。しかし西ローマ帝国の皇帝政権はゲルマン人の侵入に耐え切れず、イタリア半島の維持さえおぼつかなくなり476年ゲルマン人の傭兵隊によって廃位され西ローマ帝国も消滅したのです。

それから所謂、「暗黒時代」が始まったのです。この暗黒時代は宗教改革によって終わるまで続いたのです。ギリシャ文化の輝きが消えてしまった「暗黒時代」の期間や定義が人によって大きく異なります。その詳細は別稿で書く予定です。

ここでは仮に「暗黒時代」を西ローマ帝国が消滅した476年から1517年のルターの宗教改革までの約1000年としておきます。ルターはローマ教会にその腐敗を抗議しました。宗教改革の始まりです。
これによってヨーロッパの「暗黒時代」が終わり古代ギリシャの華やかな文化が復興されたのです。この古代ギリシャの文化への回帰運動を総称してルネサンス、文芸復興と言います。
古代オリンピックが途絶えて1500年後の1896年にクーベルタン男爵が近代オリンピックを再開したのもルネサンスの流れの一つでした。

ヨーロッパ文化を深く理解するためには、古代ギリシャの文化、ローマ帝国の滅亡と暗黒時代、そしてルネサンスのことを理解しなければなりません。

そんな事を考えながら毎日オリンピックをTVで見ています。各民族の選手達の安全と健闘を祈っています。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)