後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「クーベルタン男爵の功績とオリンピックの歴史」

2021年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム
現在日本で開催されているオリンピックの発祥の地は古代ギリシャのオリンピアという都市国家でした。その古代オリンピックが途絶えて1500年後の1892年。フランスのクーベルタン男爵が近代オリンピックを再開しました。そして1896年、第1回大会がギリシアのアテネで開催されたのです。 現在の日本でのオリンピックは実にクーベルタン男爵のおかげで開催されているのです。

1番目の写真はフランスのクーベルタン男爵です。
クーベルタン男爵は 1863年生まれ 1937年に没しました。彼はフランスの教育者で近代オリンピックの創立者です。
2番目の写真は今回の東京オリンピック開会式です。

3番目の写真は競泳女子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した大橋悠依さんです。日本勢がこの種目で優勝するのは初めてです。
現在のオリンピックでは大橋悠依さん以外も、日本選手が多くの金、銀,銅メダルを取って活躍しています。その事は皆様ご承知のことと思い割愛します。
さてオリンピックの歴史について以下に簡略に整理しました。
古代オリンピックが始まったのは考古学的な研究によって紀元前9世紀ごろと言われています。古代オリンピックはギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事でした。(https://www.joc.or.jp/sp/column/olympic/history/001.html )
 全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための神域における体育や芸術の競技祭だったのです。考古学的な研究によって当時のオリンピア地方で行われていた「オリンピア祭典競技」のほかに、コリント地方の「イストミアン・ゲームズ」、ネメア地方の「ネメアン・ゲームズ」、デルフォイ地方の「ピシアン・ゲ ームズ」などが4大祭典競技として知られています。

最初のオリンピック種目と言えば1スタディオン(約191m)のコース を走る「競走」でした。オリンピアの聖地には、競走のための「スタディオン」が築かれていました。スタディオンは長さ約215m、幅約30mの広場でした。
紀元前776年の第1回大会から紀元前728年の第13回大会まで、古代オリンピックは競走1種目だけでした。
その後、古代オリンピックは種目の数を増やしより大きな祭典へと発展していきます。
その後加わった種目です。
紀元前724年の第14回大会から、ちょうど現在の400mに相当する中距離競走が種目に加わり、長距離競走も加わるました。そして幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングなども加わったのです。
その上、ボクシングも始まったのです。現在は行われていない戦車競走もありました。そして第33回大会(紀元前648年)からは競馬競走も行われたようです。第33回大会からは格闘技もオリンピック競技に加わりました。
現在のオリンピックでは多種の競技種目画ありますがその大部分の起源はギリシャの古代オリンピックで既に生まれていたのです。

4番目の写真は全知全能の神・ゼウスの神域オリンピアです。写真の出典は、https://wondertrip.jp/91247/ です。
オリンピアという町はギリシャの西側に大きく突き出たペロポネソス半島のこれまた西側にある山間にある、現在は1000人くらいの人口の静かな町です。ギリシャの首都アテネからはバスで約5時間かかるほどの距離です。この地域はエリスという都市国家が治めており、古来よりゼウスの神域としてあまり人が住んでいない場所でした。

5番目の写真はオリンピアにおける聖火の採火式です。この聖火を点灯するセレモニーは古代オリンピックでは行われておらず、近代オリンピックでナチス時代のベルリンオリンピックの際にナチスの宣伝の一環として始まったのが今に残っているのです。

6番目の写真はオリンピアの神域の真ん中にあるゼウス神殿です。写真の出典は、https://wondertrip.jp/91247/ です。近代オリンピックの聖火はこの神殿で凹面鏡を使って灯され、世界の開催地へ運ばれます。

7番目の写真は風光明媚な白い神殿と深い紺碧色のエーゲ海です。写真の出典は、https://wondertrip.jp/91247/ です。
紀元前には現在のギリシャにはアテネやスパルタに代表されるような1500もの都市国家が発展しており、統一されたギリシャという国はありませんでした。ギリシャの地形は山が多く互いの地域の行き来が難しいためそれぞれが独立して都市を作り互いにけん制し合っていました。
それでも彼らは自らのことを「ギリシャ人(ヘレネス)」だと名乗り同じ言葉を話し、同じ神々を信じ、同じ風習をもつ人たちでした。

紀元前146年、ギリシアはローマ帝国に支配されます。古代オリンピックはギリシア人だけでした。しかしローマが支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになり次第に国際化して行ったにです。
しかし392年、ローマがキリスト教をローマ帝国の国教と定めたことでオリンピア信仰が否定されます。こうした事情で最後の393年の第293回オリンピック競技大祭で終焉したのです。古代オリンピックは数々の戦乱を乗り越え実に1169年間も続いたのです。
近代オリンピックはこの古代ギリシャのオリンピックの延長なのです。

クーベルタン男爵の偉大な功績を近代オリンピックの父として改めて賞賛すべきではないでしょうか。「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」を嚙みしめたいと思いいます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

=======参考資料===================================
今回の東京オリンピックの競技種目、https://2020.yahoo.co.jp/event/olympic

水泳
アーチェリー
陸上
バドミントン
野球・ソフトボール
バスケットボール
ボクシング
カヌー
自転車
馬術
フェンシング
サッカー
ゴルフ
体操
ハンドボール
ホッケー
柔道
空手
近代五種
ボート
ラグビー
セーリング
射撃
スケートボード
スポーツクライミング
サーフィン
卓球
テコンドー
テニス
トライアスロン
バレーボール
ウエイトリフティング
レスリング

「オリンピック選手の態度に時代の流れや変化を感じる」

2021年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム
7月24日に「世界中の民族の祭典、オリンピックの開会式の感動」という記事を掲載しました。その冒頭部分です。
・・・昨日はテレビでオリンピックの開会式を見ました。前の1964年の東京オリンピックと比較していろいろな感慨が湧きました。何といっても64年のオリンピックは戦後復興した日本の国威発揚の雰囲気が強かったのです。それに対して今回は肩の力を抜いて選手個人を大切にする精神に溢れていました。国家よりも民族を大切にしているのです。
特にアフリカの殆どの民族国家や南太平洋の小さな島の民族やカリブ海の小さな島の民族の多数が参加したのです。経済大国や軍事大国だけを重視しないで小さな島々の民族も平等に大切にした開会式でした。・・・
それはそれとして毎日オリンピックのテレビを見ています。しかしテレビでは日本選手が活躍する様子だけを写し出しています。私はいろいろな競技での外国の選手の活躍も見たいのですが一切報道がありません。これは酷い差別です。そして趣味でヨットをしていたのでヨットレースのことが知りたいのです。しかしヨットレースのことは殆ど無視です。困ったものです。
しかし良いこともあります。良い事は日本選手がのびのびと楽しそうにプレイをしてることです。あくまでも個人としてそれぞれの競技を楽しんでいるのです。前回の1964年の東京オリンピックでは国家を背負ったような選手が多かったように感じました。日本選手の肩に力が入り緊張しているように感じました。
今回は違います。国家を背負ったような選手がいません。みんな個人、個人として競技を楽しんでいるのです。その最たるものはスケートボートの堀米雄斗さんです。絶対に力まないで易々と超困難なワザを楽しそうにこなして行くのです。空を気楽に舞うのです。激しい練習の努力を感じさせません。それで金メダルを取ったのですから嬉しくなります。堀米雄斗さんはアメリカで「努力しないプレイの美」が高く評価されて数多くの優勝をしているのです。
日本選手がのびのびと楽しそうにプレイをし、個人としてそれぞれの競技を楽しんでいるのは女子ソフトボールもそうでした。
卓球の混合ダブルもバトミントンも日本選手は例外なく楽しそうにしていました。しかしその陰にはどれほどの努力があったのでしょう。
水泳は自分が魚になったように自然な動きで美しく泳ぎます。400m女子メドレーで金を取った大橋悠依さんは後のインタビューで、「まったく金が取れるとは思っていなかった」と話していました。そして少し嬉しそうにしていました。こらえていた涙がこぼれました。体調不良で水泳を諦めかけた日々があった事を彼女も、観ている人も思い出します。
格闘技の柔道でも日本初の金を取った高藤直寿さんが決勝で台湾の楊勇緯さんに勝った後の態度が良かったのです。勝負後、高藤さんが楊さんに笑顔で駆け寄り抱き合います。頑張って良く戦ってくれて有難うという高藤の表情に楊も満足したのか急に笑顔になります。
このような態度が今回の日本選手全員に共通して見られます。
私はつくづく時代の流れと変化を感じます。思い返せば東京オリンピックは昭和16年に開催する筈でした。しかし戦争で日本が返上したのです。それが復活したのが前回の1964年の東京オリンピックでした。そしてそれに続いて今回の東京オリンピックです。
そこで以下では昭和16年に開催する予定だった東京オリンピックの前の日本の時代を暗示する写真をお送りいたします。
今日はこれらの写真の掲載をもって記事の終わりと致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)