大学時代の友人のK君が昨年10月に亡くなった。享年85歳。そして12月に奥さんからその知らせの手紙が来た。少し長い文章がついていた。
一読してその文章はあの世にいるK君への妻からの感謝の手紙であると感じた。下に奥さんからの手紙を了解を得て転載する。
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「今まで本当にありがとう⋯」
「今まで本当にありがとう⋯」
青森県の鯵ヶ沢町に生まれ、厳しい日本海の風に
吹かれながら育った夫です。冬になれば猛吹雪に
耐えるため、後ろ向きで歩きながら学校へ通ったと
聞いています。そうした環境を生き抜く中で培われた
強さなのでしょう。どんな時も弱音や愚痴一つこぼさ
ないようなとても頑張り屋で辛抱強い人でした。
田舎から東北大学へ進学し、卒業後は「伊藤忠
商事」で来る日も来る日も忙しく働く日々でした。
出張で海外のあちこちを飛び回り、朝早くに家を
出て日付が変わった頃に帰ってくるのが当たり前
でした。外国駐在中は家族も一緒だったので高校生の
末っ子は勉強面で大変な思いをしたのですが、仕事の
合間を縫って夫がサポートしてくれましたこと、
本当に感謝しています。
夏休みになれば皆を連れて旅行に出かけ、紡いだ
思い出は数え切れません。義理人情に厚く自身の
両親のことも大事にし、またまっすぐな人柄を部下
にも慕われておりました。七十歳まで海外等で
働いた後は成田国際空港でボランティアとして励み
やがて足を悪くしてしまったのは八十歳頃のことです。
以降は入退院を繰り返すものの、最近は楽しみに
していたオリンビックを観ながら慣れ親しんだ
我が家で過ごすことが出来ましたので、きっと悔いは
ないと思います。
急な別れは残念ですが、向かう先でゆっくり
休んで私を待っていてくれるのなら、それ以上の
慰めはありません。どうかこれからも私や子供達の
歩みを見守って欲しいと願い、静かに両手を合わせます。
夫は、令和三年十月六日、満八十五歳にて生涯をとじました。
戒名 正道院釋超久
最後になりましたが、夫が今日まで頑張ることが
出来ましたのも支えて下さった方々のお蔭に他なり
ません。病院関係の方をはじめ、ご厚情を賜りました
全ての皆様へ深く感謝を申し上げます。
尚、通夜と葬儀は家族葬で執り行いました。略儀
ながら書状をもってご報告申し上げます。
令和三年十月十一日(通 夜)
十月十二日(葬 儀)
吹かれながら育った夫です。冬になれば猛吹雪に
耐えるため、後ろ向きで歩きながら学校へ通ったと
聞いています。そうした環境を生き抜く中で培われた
強さなのでしょう。どんな時も弱音や愚痴一つこぼさ
ないようなとても頑張り屋で辛抱強い人でした。
田舎から東北大学へ進学し、卒業後は「伊藤忠
商事」で来る日も来る日も忙しく働く日々でした。
出張で海外のあちこちを飛び回り、朝早くに家を
出て日付が変わった頃に帰ってくるのが当たり前
でした。外国駐在中は家族も一緒だったので高校生の
末っ子は勉強面で大変な思いをしたのですが、仕事の
合間を縫って夫がサポートしてくれましたこと、
本当に感謝しています。
夏休みになれば皆を連れて旅行に出かけ、紡いだ
思い出は数え切れません。義理人情に厚く自身の
両親のことも大事にし、またまっすぐな人柄を部下
にも慕われておりました。七十歳まで海外等で
働いた後は成田国際空港でボランティアとして励み
やがて足を悪くしてしまったのは八十歳頃のことです。
以降は入退院を繰り返すものの、最近は楽しみに
していたオリンビックを観ながら慣れ親しんだ
我が家で過ごすことが出来ましたので、きっと悔いは
ないと思います。
急な別れは残念ですが、向かう先でゆっくり
休んで私を待っていてくれるのなら、それ以上の
慰めはありません。どうかこれからも私や子供達の
歩みを見守って欲しいと願い、静かに両手を合わせます。
夫は、令和三年十月六日、満八十五歳にて生涯をとじました。
戒名 正道院釋超久
最後になりましたが、夫が今日まで頑張ることが
出来ましたのも支えて下さった方々のお蔭に他なり
ません。病院関係の方をはじめ、ご厚情を賜りました
全ての皆様へ深く感謝を申し上げます。
尚、通夜と葬儀は家族葬で執り行いました。略儀
ながら書状をもってご報告申し上げます。
令和三年十月十一日(通 夜)
十月十二日(葬 儀)
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最後に奥さんの住所、氏名が書かれていました。
最後に奥さんの住所、氏名が書かれていました。
大学時代のK君は本当に人情篤い熱血漢でした。東北大学の金属工学科を一緒に1958年に卒業しました。同級生は30名だけだったのですぐに親しくなりました。育った鰺ヶ沢町の冬の寒さを何度も話していました。ある時、同級生30名が一緒に郊外の小さな山にハイキングに行きました。K君が先頭になって登ります。「お山の大将俺一人~」と歌いながら登って行った姿を鮮明に思い出しています。
卒業研究の実験も大変熱心にしていたことが記憶に残っています。社会人になってもクラス会で何度も会いましたが大きな声で商事会社の面白さを快活に話していました。
最後になりますが上記の手紙の件でいろいろお世話になったK君の娘さんのあずささんへ感謝の意を表します。
今日の挿絵代わりの写真は青森県の鰺ヶ沢町を通る五能線と日本海の冬の風景写真です。4番目の写真は 鰺ヶ沢町から見た冬の岩木山 です。
それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/56/05512dd365bb09944167d1ede9305e53.jpg)
1、鰺ヶ沢町を通る五能線と日本海の冬の風景写真です。
(Foto Stock 《五能線が走る風景(冬)》青森県深浦町 | Adobe Stock )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/19/f9e852fd7b99a54a9c63d3494324e3f9.jpg)
2, 日本海沿いの五能線から見た夕日です。
(https://18kipper.com/aomori_gonoline/ )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a8/4a7ac933ae662e77c2491a6d32ef69b3.png?1641974951)
3、五能線の深浦付近の冬の風景です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d8/52103e96c8aa324efe2f71d7a1977efd.png?1641974966)
4, 青森県 西津軽郡 鰺ヶ沢町から見た岩木山 です。