後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「飢餓時代の野鳥と『不良のあんちゃん』の思い出」

2022年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
現在の日本人には考えられないことです。
戦後の日本は食料難の時代でした。餓死する人も絶えませんでした。飢餓の時代だったのです。
その飢餓の時代には野鳥はすべて捕って食べました。鴨や雉や山鳥は勿論、罰当たりの人は神社の鳩まで捕って食べました。
私にはシジュウカラやメジロやスズメを焼き鳥にして食べた強烈な経験があるのです。
少しそのいきさつを話しましょう。
戦後すぐの頃、少年だった私は近所の「不良のあんちゃん」に可愛がられていました。不良のあんちゃんの子分だったのです。
この「あんちゃん」は裏山でシジュウカラやメジロやスズメを捕る名人でした。
棒の先に強いねばり気のあるとりもちを巻きつけます。それを囮の鳥の入った篭に固定します。その仕掛けを裏山の雑木の枝に取り付けるのです。そうするとシジュウカラやメジロやスズメが囮の鳥につられて、とりもちを巻きつけた棒にとまるのです。シジュウカラやメジロやスズメが簡単に沢山捕れるのです。

「不良のあんちゃん」は小鳥の羽を取り去って、割いて、竹串に刺してイロリの火で醤油をつけながら焼くのです。気前よく子分の私にもくれました。飢餓時代なので、それは実に美味しいものでした。特にスズメは美味しかったのです。

私を可愛がってくれた「不良のあんちゃん」は美味しい焼き鳥を食べさせた後、何処かに消えてしまいました。それ以来、杳として消息がわかりません。器用で、その上子分を可愛がる性格ですから、それなりに幸せな一生だったと信じています。

私の家の庭に来て花の蜜を吸い、実や小虫をついばむメジロ、スズメ、シジュウカラ、ヒヨドリなど小鳥の姿を見るたびに「不良のあんちゃん」に可愛がられた少年の頃を思い出します。イロリの火で醤油をつけながら焼いた小鳥の美味しかったことを思い出すのです。
その経験は私に不良少年に対する暖かい気持を持たせたのです。この世の不良少年は必ず優しい気持ちを持っていると信じているのです。

親鸞は歎異抄のなかで、「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と書いています。
不良少年は学校の成績が悪くて非行をするものです。先生の敵です。しかし私は不良少年に恩義を感じています。この世に元来悪い人などいないのです。
美しい小鳥の姿を見るたびに不良のあんちゃんの一生が幸多かれと祈っています。

1番目の写真はシジュウカラです。写真の出典は、
https://degibird.com/yacho/sijyukara.html です。

2番目の写真はスズメです。

3番目の写真はメジロです。写真の出典は、https://orbis-pictus.jp/article/mejiro.php です。

4番目の写真はキジです。
写真の出典は、https://mirusiru.jp/nature/animal/kiji です。


「外国人が日本を絶賛する5つの理由、しかし・・・」

2022年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
最近テレビで外国から来た観光客にインタビューして日本の感想を聞く番組がありました。観光客は日本を褒めています。絶賛する人もいます。社交辞令にしても日本には良い点があるのでしょう。
しかし戦前、戦後の食糧難を体験し戦災で焼き尽きされた街々の光景が脳裏に焼き付いている私にとっては外国人の絶賛が信じられないのです。
私の個人的な感想は別にして、今日は何故日本の評判が良いかの理由を虚心坦懐に客観的に考えてみました。
その結果、次の5つの理由によって日本の評判が良いと考えられます。
(1)いろいろな差別が消え、平等な社会の国。
(2)幼少時から好きだったアニメ番組を作った人の住んでいる国。
(3)人々が親切で何処へ行っても安全な国。
(4)清潔で世界一豊かな食生活が楽しめる国。
(5)1945年以来77年間、平和が続いた平穏で風光明媚な四季のある国。
さて上の5つの理由をもう少し詳しく考えてみましょう。
外人観光客の6割、7割は台湾、中国、韓国などの東アジアから来ます。欧米人は遠方なのでアジア人よりも少なくなります。
従って上の5項目の評価は自国の台湾、中国、韓国、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどの国と日本を無意識的に比較して評価しています。自分の國と比較しているのです。
共産党独裁の中国の社会と日本を比較して中国人観光客がインタビューに答えているのです。
台湾や韓国の民主国も同様に自国の社会と日本を無意識的に比較し評価しているのです。
さて外国人観光客の評判が良い一番本質的な理由は(1)「差別が消え、平等な社会の国」だと思います。これをもう少し詳しく考えてみます。
昔はアジアからの観光客は欧米人より大切にされなかったのです。以前外人と言えば欧米人を意味していました。昔とは高度成長以前の時代です。
しかし現在は日本人の差別感が無くなったので、外人と言えば、欧米人、アフリカ、南米、オセアニア、ロシア、アジアなど全てを意味するようになったのです。日本人の意識が大きく変わったのです。
アジアから来る観光客はこのことに敏感です。かつて欧米の植民地だっただけに一層敏感です。
テレビのインタビューではこのような深層の大切な理由は言いません。「人々が親切だ」と差しさわりの無い表現で答えます。
このように日本から差別が消え、個人が平等になったのは一朝一夕でなったのではありません。
それには敗戦後の苦しみに満ちた歴史があったのです。
敗戦の後でマッカーサーが乗り込んできて、「日本を民主化し、アメリカのように自由で平等な社会にする」と言って、大きな改革を命じたのです。
日本政府は唯々諾々と命令に従い民主化のための種々の制度改革をしました。そして学校では民主化教育をします。個人の自由と平等の重要性を強く教えました。私も先生方が何度も自由と平等が大切だと言っていたことを忘れていません。
しかしそれが本当に分かり身に着くのに戦後の何十年もかかったのです。
江戸時代から続く封建制度が身に沁みていた日本人の多くは、生まれた家の格式や自分の身分を無意識のうちに考えていたのです。
その上、明治維新以後の軍隊の強化で軍隊内の階級制度が世の中全体に深い影響を与えていたのです。
放浪画家の山下清さんは戦後ずいぶんたってからも全ての人を、「兵隊の位でいうとどの位の人?」と聞いていました。
そして民間会社の中でも重役は将官、部長は佐官、課長は尉官、平社員は兵隊のような処遇を受けていたのです。要するに社会のいろいろな組織の中では役職や階級による差別が当然として受け入れらていたのです。
組織の中で働いていた人々は上役の理不尽な職務命令で、時々、悲しい思いをしたのです。
このような精神的風土の社会では学歴差別、職業差別、男女差別、そして身体障害者への差別は当然のようにあったのです。
私自身も間違いなくいろいろな差別をしていました。恥ずかしい限りですがそんな時代だったのです。
このいろいろな差別が消えたのは経済の高度成長とそれに続くバブルの崩壊の時代と考えられます。
それまでは大会社が多くの子会社を隷属し、独裁的に振舞っていたのです。その経済界の差別体制が1990年ころに一挙に崩壊したのです。子会社は親会社から独立し自由になったのです。もう子会社だからといって差別されなくなったのです。
そしてその頃、アメリカから「差別用語廃絶の思想」が日本へ上陸して来たのです。
この頃から日本の社会からいろいろな差別が急速に消えて行ったのです。
人々は差別が消えると幸せな気分になることに気がついたのです。
差別されない社会。差別しない自分。これこそが本当の幸福だと日本人が信じるようになったのです。
ですから観光客が何処の国から来たかによって日本人は差別しません。
観光客が日本に来て居心良く、楽しく日本の各地へ旅が出来るのは差別されないで大切にされるからです。愛されるからです。この理由が一番重要な理由ではないでしょうか?

最後に事実を書けば、日本では差別は少なくなりましたが完全に無くなったわけではありません。

今日の挿し絵代わりの写真は日本の春の菜の花畑の風景写真です。
写真は「菜の花畑の風景写真」を検索してインターネットからお借りしたものです。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)