最近、東京も寒さが一段と厳しくなって来ました。
しかし昔の日本の冬はもっと寒かったような気がします。特に経済成長する前には暖房器具も貧弱で冬は一層寒かったのです。私の子供の頃はコタツと火鉢しか無かったのです。寝ていると隙間風に乗って粉雪らしいものが舞い込んで来ます。戦前、戦後のころに過ごした仙台の冬の日々を思い出します。
当時は日本中が貧しくて、ひもじくて冬の寒さが一層厳しく感じられたのものです。
そこで今日はラフカディオ・ハーン 作、「鳥取の布団」という寒くて悲しいお話をお送りいたします。
以下は小林幸治さんの翻訳です。出典は、
http://bbs.yakumotatu.com/test/read.cgi/epublish/1407132963/n90-96 です。
全文は長すぎるので部分的に省略しました。
・・・ かなり昔、鳥取の町のとても小さな宿屋に、最初の客として行商人が泊りました。良い評判を立てようと宿の主はそのお客を大変親切に迎えたのです。
新しい宿ではありましたが、主人が貧乏なため大部分の道具、箪笥と調度品は古物屋から購入したのです。しかし、なにもかもが清潔で快適できれいでした。お客は思う存分食べ、ほど良く暖められた酒を存分に飲んだ後で、柔らかい床に用意された寝床に倒れこみ眠るために体を横たえました。
さて、寝床がとても心地良ければ、暖かい酒をたらふく飲んだ後は、たいてい人はぐっすり眠るものです。
しかしその客は、部屋の中から声がしたので、ほんの少しの間眠っただけで目を覚ましたのです。
いつまでも同じ問い掛けでお互い訊ね合う子供の声でした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
寝ていた客は子供が何人か座敷へ迷い込んだに違いないと思ったのです。
しばらく沈黙があって、それから優しく、か細い、哀れな声が耳元でまた聞こえたのです。
「あにさん、寒かろう」
別の優しい声がなだめるように答えを返す「おまえ、寒かろう」
客は立ち上がり、行灯の中の蝋燭に再び火を灯し、部屋を見回した。誰も居ない。障子は全て閉まっている。
いぶかりながらも、灯りを燃えるまま残し再び横になると、すぐに枕元から再びぶつぶつと話す声がした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
その時初めて、夜の冷え込みではない、忍び寄る寒気を全身で感じた。声は繰り返し聞こえ、その都度怖れは深まった。
声は布団の中からだと分かったのです。それは寝床の掛け布団が、このような呼び声を出していたのです。
彼は慌ただしく少ない所持品をかき集めて階段を降り、宿を飛び出します。
・・・宿の主はその布団をある貧しい家族の物で、その家族の小さな家の大家から買ったことを思い出します。
その小さな家の家賃は、月にたったの六十銭でしたが、これでも貧しい人が払うには大きな負担です。父親が稼げるのは月に二三円だけ、母親は病気で働けず、二人の子供がいた。六歳と八歳の少年です。
ある冬の日、父親が病気になり7日の間苦しんだ後に死んで埋葬されました。
それから長く病んだ母親も後を追い、子供達は身寄りも無く残されました。
彼らは助けを求める者を誰も知らず、家の中に売れる物が有れば生きるために売り始めたのです。
死んだ父母の着物、それと自分達の物のほとんどと、何枚かの木綿の布団、僅かな貧しい家庭の調度品・火鉢、皿やお椀に茶碗、他の些細な物などです。
そうして毎日何かを売って終いには1枚の布団の他は何も残らないまでになりました。
そして食べる物が何も無く、家賃も払っていない日が来ます。
恐ろしい大寒、最も寒さの厳しい季節の到来、吹き寄せる雪が、小さな家を埋めます。そのため、1枚の布団の下で横になるしかできず、寒さに震え、子供らしいやり方でお互いにいたわり合ったのです──
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
火は無く、火を焚ける何物も無いまま闇がやって来て、凍える風がヒューヒューと小さな家の中まで吹き抜けます。
彼らは寒さを怖れたが、家賃の取り立て、乱暴に追い立てる家主がもっと恐ろしかったのです。
何も払えないと分かると、子供達を雪の中へ追い出し、1枚の布団を取り上げ、家に鍵をかけたのです。
それぞれ薄い着物しか持たず、他の全ての衣類は食べ物を買うため売ってしまったのです。
遠くない所に観音の寺は在るが、たどり着くには雪が激し過ぎます。仕方なく、大家が去ると 彼らはこっそり家の裏へ戻り、そこで寒さによる眠気を感じ、お互いに温まるよう抱き合って眠ったのです。
眠っている間に、神様が彼らへ新しい布団を掛けたのです。霊的な、白くてたいそう美しい物です。
彼らはもはや寒さを感じません。何日もそこで眠り、それから誰かが彼らを見付けたのです。
そして永遠の暖かい寝床が用意されたのです。それは千手観音の寺の墓場の中でした。
この事を聞いた宿屋の主人は、小さな魂のために経を読み供養して貰うため、その布団を寺の坊さんに渡しました。それから後、その布団は話しをやめたそうです。(終り)
現在の日本は豊になりました。上記のような悲しいことは殆ど起きなくなりました。衣食足りて他人を優しく助けるようになりました。愛が街角に流れ、正義が守られ、飢える人のほとんどいない世界になったのです。しかしまだ困窮する人はいます。貧しくで衣食住に困っている人もいす。
広く世界中を見回せば飢餓で苦しんでいる国々が沢山あるのです。貧困の中にこそ愛が必要なのです。全ての人類が飢餓から解放される日は来るのでしょぅか? 嗚呼。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
今日の挿し絵代わりの写真は真冬から咲いている淡路島の灘黒岩水仙郷の写真です。
1番目の写真の出典は、 https://www.awajishima-kanko.jp/manual/detail.php?bid=190 です。
2番目の写真の出典は、 https://plaza.rakuten.co.jp/yumesenkei/diary/201301250000/ です。
3番目の写真の出典は、http://www.geocities.jp/hanatuduri/kabegami.html です。
4番目の写真の出典は、http://keinoumi.jp/staff/854.html です。
5番目の写真の出典は、http://jp.zekkeijapan.com/spot/index/256/?language=ja です。