後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「昨年に閉園した京王フローラルガーデンを懐かしむ」

2022年01月04日 | 写真
過去20年も足繁く訪問した京王フローラルガーデンが昨年突然閉園しました。残念です。悲しいです。
この花園は2002(平成14)年に開園しました。
東京ドーム1.5倍の敷地に趣が異なる15のガーデンを配置され、季節の草花が楽しめたのです。欧風庭園でした。
懐かしいので以前に冬に自分が撮った写真を掲載したいと思います。






「幸せに老境の日々を送るための気持の持ち方」

2022年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム
気持の持ち方で人生は変わります。人間の幸不幸は気持の持ち方次第です。違うかも分かりませんが私はそのように感じています。特に老境に至ると一層そう思います。

今日は老境の心のあり方を書いてみたいと思います。私が日頃心がけてていることを書きたいと思います。

人間は老いると元気が無くなります。体が硬くなって若い時のように活発に動けません。自然の摂理です。
しかし心や精神は若い時のように活き活きとして生活することが出来るのです。
それでは活き活きと生きるにはどうすれば良いにでしょうか?
私が実行していることを具体的に書いてみたいと思います。

(1)熱帯の花々や植物を見て情熱を貰う
活き活きとして生活する第一の方法はいろいろな所にある温室を訪れて熱帯の植物を見ることです。
温室の中ではこんな寒い冬でも花々が咲き、実をみのらせ、緑濃い葉が茂っています。それらを見ると人は自然に情熱を感じ、その情熱が自分の体に乗り移ってきます。もっとも近頃は出歩くことが困難になって遠方の温室まで行けません。インターネットで「温室のある植物園」を検索して大きな温室を見つけては楽しんでいます。
独立行政法人筑波実験植物園の温室です。シンガポールのイギリス人が作った熱帯植物園も素晴らしいです。その植物園には大きな熱帯の花々が咲き、空を覆う巨大な樹木が繁っているのです。

(2)外国のことに好奇心を燃やし続ける
情熱的に生きるとはどういう生き方なのでしょうか?それは毎日、すべてに対して疑問を感じ、何事にも好奇心を持って活き活きと考える生活を送ることだと思います。考える問題は文化的に意義があり、また社会的に新しい考え方を示唆出来るような問題を取上げたいものです。
ここで重要なことは外国のことを善意で考え建設的に描くことです。意地の悪い好奇心ははいけません。最近の私のブログ記事の実例をあげます。
「韓国理解のために(1)まず朝鮮の歴史を知る」、2021年01月04日、から「韓国理解のために(8)恩を絶対に忘れなかったある韓国人」、2021年01月18日、などが例です。
韓国のことを善意で考え建設的に描くと自分が活き活きとなるのです。これは韓国に限ったことではありません。中国、アジア諸国、いや全ての国々のことを善意で考え建設的に思うと私は情熱的になるのです。
しかし皆様はどんな国にも悪いところがあるのだから悪いところを書かないのは客観的でないと言うでしょう。公平でないとお考えでしょう。それは分かります。しかし私は外国の悪いことは書きません。それが私にとって元気になる方法なのです。

(3)日本の四季の移ろいと自然の花々を大切に思う
上の第1の方法として温室の中に繁茂する熱帯の樹木や花から情熱を貰うことを書きました。
しかしそれだけでは充分ではありません。日本の四季の微妙なうつろいや季節ごとに自然に咲く花の静かな美しさを見ることも大切なのです。そして日本の自然から情熱を学び取るのです。現在は遠方までドライブ出来ませんが、昔は関東地方の花々のある山野や公園を何度も、何度も見て来ました。車のドライブが大好きだったので、自宅から半径200Km位で日帰り出来る範囲はかなり詳しく知るようになりました。
例えば「府中郷土の森博物館公園」で、真冬に毎年一番早く咲き出す蝋梅(ロウバイ)の満開の様子を何度もしげしげと眺めて来ました。そこへは1月に毎年行く所です。甘く清らかな香りが一帯に漂っています。そしてロウバイの花園の向う側には多摩川の光る川面が見えるのです。
そして私は花々だけではなく武蔵野の雑木林が大好きです。何故か雑木林の風景を眺めると情熱的になるのです。近所の公演の四季折々の自然の風景を見て活き活きしています。また自宅の庭に活力ある色の花や葉の木を植えたり、室内に植木鉢を置いて自然の花々を大切にしています。

(4)神道や仏教やキリスト教のことを考え元気になります
日本には古来から民族宗教として神道がありました。西暦6世紀にインドの大乗仏教が中国から入って来ました。そして西暦1549年にザビエルによってキリスト教が伝承されます。
仏教と神道は混淆され明治維新までは仏教と神道は一体として人々に信仰されていたのです。現在でも神社とお寺は並んで存在している風景は珍しくありません。それらは同じものとして一体化されていたのです。
一方キリスト教は250年の禁教時代がありました。長崎の外海地域のキリシタンは表面上、寺の檀家となって暮らしていたのです。
少し深く考えると潜伏キリシタンが厳しい禁教の下で250年も生き残ったのは神道信者や仏教徒の目に見えない保護や支援があったからなのでしょう。幕府の権力者を恐れない農漁民の崇高な勇気が250年の潜伏キリシタンの歴史を作ったのです。
そんなことを考えると勇気が湧いてきます。活き活きと生きていけるのです。

今日は死が訪れるまで活き活きと情熱的に生きる4つの方法を具体的に書いてみました。皆様はどんどんな方法をとっていらっしゃいますか?

今日の挿絵代わりの写真は紅梅と白梅の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




弥生時代から平安時代の初期まで日本人は桜の花より梅の花を愛し尊重していたそうです。その後、平安朝中期からは山桜の花の美しさ、散りぎわの潔さがもてはやされるようになりました。特に江戸時代には桜の品種改良が盛んになり様々な桜の花が持てはやされるようになります。私はは若い間は華やかな桜の花の方が好きでした。それが老境になると桜花より梅の花が好きになったのです。それが老境なのでしょう。