小樽は何度行っても旧懐の情や哀愁の情が掻き立てられます。郷愁というかノスタルジアというか、心の奥の方に赤い火がポッと灯ります。
今日は小樽の風景写真と小樽で育った小林多喜二の『蟹工船』をご紹介したいと思います。写真は2010年の6月17日の夕暮れに撮りました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
小樽と言えば私は『蟹工船』を書いた小林多喜二を思います。1933年に特高警察の酷い拷問を受けて、29歳で没しました。
小林多喜二は1903年10月13日、秋田県に生まれ4歳のときに一家で小樽に移住し小樽で育ち作家として立ちました。プロレタリア文学の旗手と目され1930年に上京、翌年、当時非合法であった日本共産党に入党、困難な地下生活を余儀なくされながらも旺盛に執筆活動を展開しました。そして1933年2月20日に29歳で没しました。
今日は小樽の風景写真と小樽で育った小林多喜二の『蟹工船』をご紹介したいと思います。写真は2010年の6月17日の夕暮れに撮りました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
小樽と言えば私は『蟹工船』を書いた小林多喜二を思います。1933年に特高警察の酷い拷問を受けて、29歳で没しました。
小林多喜二は1903年10月13日、秋田県に生まれ4歳のときに一家で小樽に移住し小樽で育ち作家として立ちました。プロレタリア文学の旗手と目され1930年に上京、翌年、当時非合法であった日本共産党に入党、困難な地下生活を余儀なくされながらも旺盛に執筆活動を展開しました。そして1933年2月20日に29歳で没しました。
『蟹工船』のあらすじは次にあります。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B9%E5%B7%A5%E8%88%B9 )
蟹工船とは、戦前にオホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用された船です。
小林多喜二の資料の常設展示は小樽文学館、(http://otarubungakusha.com/past/200302398 )にあります。
蟹工船とは、戦前にオホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用された船です。
小林多喜二の資料の常設展示は小樽文学館、(http://otarubungakusha.com/past/200302398 )にあります。
小林多喜二は死の間際まで執筆活動を続け作品の中に込めた弱者救済の思想は現代社会においても通じるものがあります。そして日本の暗い時代の歴史の裏面を知ることが出来るのです。
今日は曾遊の地、小樽の6月の風景をお送り致しました。そして小樽で育った小林多喜二の「蟹工船」をご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)