後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「まだまだ惜別しなくて良いKITAHOさんのブログから『野ブドウ』の話」

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
KITAHOさんは「八ヶ岳南麓-横浜・・・KITAHO World 。」というブログに毎日記事を掲載してしております。KITAHOさんも木内正夫さが紹介してくれたかたです。八ヶ岳南麓での山里生活と横浜での2地域居住を続けています。、原種バラを中心とするガ-デニングや菜園 を楽しんでいます。何年か前に彼の八ヶ岳南麓の別荘を訪ねたことがあります。懐かしい方です。
そのKITAHOさんの8月16日の野ブドウに関する記事を掲載します。

・・・KITAHO著、「野ブドウが美しく色づいてきましたね。」・・・
 野ブドウの彩りは・・・ベージュからライトブルー・・・・そして瑠璃色・・・濃紫色とたくさんの彩りが混在して見せます。
 宮沢賢治はこの野ブドウのことを、めくらブドウと表現し、『めくらぶどうと虹』という童話を発表していますね。
『めくら』というのは岩手県花巻地方の方言と言われていますが、以前から私は子供への注意として、この野ブドウには毒性があり、野ブドウに触れた手で目に触れると、危険!と言う表現をとっていたものと、思っていました。
 土地柄、そんな表現を宮沢賢治は、この童話にも使い、表現していたのでしょう。
 しかし、この野ブドウの毒性は危険なものではなく、漢方にも利用されるものと言うことを知りました。
また、『めくら』と言う表現は、差別語として、最近は注意しなければいけない言葉となっていますね。・・・・・・・

■野ブドウが美しく色づいてきましたね。 ブドウ科野ブドウ(学名: Ampelopsis glandulosa var. heterophylla)

■まだ色づかない、ベージュのものもいっぱいです。


「琵琶湖の畔に住む『ちひろ』さんとの惜別」

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
2007年に甲斐駒岳の麓の木内正夫さんに紹介してもらった
「ちひろ」さんとも惜別の時が来たようです。
最近、重い病気になったという記事を最後に『ちひろ』さんのブログも更新がありません。
2007年から最近までインターネットの上での交友が16年間続きました。長い間の交友に感謝しています。
そこで「ちひろ」さんのブログの8月14日の記事を掲載します。
お世話になりました。ありがとうございました。

・・・ちひろ著、「墓しか残っていない寂しい里帰り」・・・
「今日は子供を連れて、実家へ帰らせていただきます!」・・・と、夫に言って息子と家を出た。
実家とは,義理のおじいちゃんとおばあちゃん、海軍で戦死の為遺骨の無い父と母と兄と弟2人のお墓が残っているだけ、寂しい里帰り。
墓石に色々話しかけて慰めてあげた・・・・・喜んでもらえたと思う。
家を出る時は曇り空で園部の辺りでは土砂降りの雨だったけれど、福知山のお墓に着いた頃はがんがん照り,
蔓延った笹を取り除いて墓石を磨いたりしていると、汗が滴り落ちて熱中症になりはしないかと心配するほどの晴天となった。
やっぱり晴女だと言うと、「ご先祖さんが守っていてくださっているんやろ」と息子が言った。
縦貫道路を走って思ったより早く帰宅できて、おビールの美味しい事。
車中より福知山城をパシャツ!
福知山出て長田野超えて~駒を早めて亀山へ~ ドッコイセ~ ドッコイセ~
下駄がちびるほど踊り明かした福知山音頭
実家のあった場所も道路になって昔の面影は無く、故郷は次第に遠い存在になってゆく。
(原文は2014-08-14 19:37:38 、里帰り! - カメラと遊ぶ日々 (goo.ne.jp) です。


「山林の中に独り住む友人との惜別と感謝」

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
甲斐駒岳の麓の山林の中で長年親しくしていた木内正夫さんが北杜市の施設に入ってしまいました。もう会うことも難しくなりました。惜別です。
以下は木内正夫さんのブログの最後の投稿です。
詳しくは、http://sizen068.blog95.fc2.com/ にあります。
・・・さようなら・・・
眼の状態が思わしくなく、ブログの記事さえ満足に読めなくなり皆様のブログにも訪問がむずかしく なりました。本日をもって終わりにします。
本を読む、テレビ、DVD等も満足に見えなくなってしまいました。飯を炊くなどの生活視力は少し残 っています。
2月下旬からの過激な道路工事も原因の一つだと思います。後少しで完成しますので頑張ります。
今まで応援していただき感謝しています。
コメント欄は開けておきますが返信は出来ません。ブログは人生の記録として残しておきます。さようなら。

以下は私の木内正夫さんへの感謝の文です。

・・・「山林の中に独り住む友人への感謝」・・・
甲斐駒岳の麓の山林の中に独りで何十年も住んでいる友人がいます。木内正夫さんという方です。
最近、視力が弱くなる眼病になってインターネットへの書き込みが出来なくなりました。そのせいで10年以上毎日のように更新してきたブログを止めることにしました。
残念なことですが、ブログを止めることにした彼にこの際、感謝の記を送りたいと思います。
私がこうしてインターネットの上で毎日、写真や文章を掲載出来るようになったのは彼のお陰です。
2007年の秋に私を訪問してくれて、ブログを始めませんかと勧めてくれたのです。そして彼の山荘へ私を誘いインターネット上に写真や文章を掲載する技術を丁寧に教えてくれたのです。
そのお陰で私は2007年の11月から「後藤和弘のブログ」を始めました。
その後、木内さんとは大変親しくなり、いろいろとお世話になったのです。
彼は山荘の周囲の広い敷地にいろいろな花を育てていました。水芭蕉の花、クリンソウ、ヒトリシズカ、イカリソウ、フクジュソウ、ヤマブキ、などなど多種多様な花々を咲かせていました。
そして雑木の丸太を並べて椎茸やナメコも栽培していました。敷地にはクリタケが沢山生えていました。
草花の好きな家内へクリンソウやヒトリシズカやイカリソウを鉢に入れてくれました。私はシイタケの原木を5本も貰ったのです。東京に持ち帰った原木から3年間もシイタケが採れたのには驚きました。
私の家の庭には今年も木内さんから貰ってきたヒトリシズカやイカリソウの花が咲きました。
木内さんは優しい性質の人でした、
自然を愛し小さな花や森の中の生き物を注意深く観察していました。
とくに熱心に努力したことは珍しいモリアオガエルを育てることでした。

彼の山荘の敷地の真ん中に小川が流れています。その傍の樹木の枝に直径10cm位の白い泡の塊があるのを見つけました。春、オタマジャクシが泳ぐ頃です。彼は直ぐにモリアオガエルの卵塊と気が付き、生まれたオタマジャクシを少しだけ分け取って、家の中で飼うことにしたのです。
モリアオガエルは本州と佐渡島にしか棲んで居ない日本固有種で深山にしか居ない珍しいカエルです。
白い泡の塊の中にある数百の卵が オタマジャクシになると下の水溜まりへ落下して小さな可愛いカエルになります。まだ尻尾が付いているのに樹木の枝に這い上がり、一生、樹上生活をします。
飛び跳ねる力が強く一回に3メートル位を飛びます。ですから樹から樹へと、猿のように飛び回って、虫を食べて大きくなります。大きくなるとガマ蛙くらい大きくなります。手足に吸盤がついていて木の葉にしがみ付きます。

ここで5枚の写真を示します。
1番目の写真は木内さんの山荘に行く道です。なお私の山小屋は木内さんの山荘から更に500m位入った山林の中にあります。
2番目の写真は森の中に埋まるように建ててある木内さんの山荘です。この位森と溶け合っていないとモリアオガエルは産卵に来ないのです。
3番目の写真は木内さんが庭に作った池の上の木の枝に産み付けられたモリアオガエルの卵塊です。中に数十匹以上のモリアオガエルの卵が入っています。
4番めの写真はオタマジャクシから孵って手足が消えた若いモリアオガエルです。これに虫の餌をやって育てると大きくなります。
5番目の写真は越冬して大きく育ったモリアオガエルです。翌年は自分が生まれた池の上の枝に卵塊を生むために森の中から帰って来ます。

このように写真を順に見て行くと簡単に飼育出来るように見えます。しかし木内さんの苦労は並大抵ではありません。
オタマジャクシを家の中の容器の水に移し、毎日、ゆで卵と野菜の餌で細心の注意を払って飼育します。
手足が出てきたら草の葉を入れ、這い上がらせます。これで水中生活から一生の間、縁が切れます。
そこからは別の大きな飼育箱へ入れ、ヨーロッパイエコオロギの小さな子どもを餌としてやります。春に孵化したオタマジャクシが11月なってやっと2cmから3cm位に成長するのです。
イエコウロギはインターネットで購入し、数個の飼育箱で子供を産ませます。これが難しくて大変だったと言います。コオロギの飼育箱とモリアオガエルの飼育箱をベットのそばに置いて毎日注意深く飼育しています。冬になったので冬眠させるため暖房の無い寒い部屋へ移そうとしていました。
一方、庭の人工の池で育った数百匹の小さなモリアオガエルは樹木に登って、何処かに飛んで行ってしまいました。森のなかを飛び回って大きくなり、冬眠を始めるのです。

木内さんにモリアオガエルを見せて貰う度に、私は自然の営みの不思議さに吃驚しました。モリアオガエルの美しさに感動しました。
彼は人間が、たまたま独りで森に住んで、そして死んで行くのも自然なことですと言います。モリアオガエルと同じだと言うのです。お葬式もいりません。発見したら玄関の外に書いてある遠方の弟へ電話して下さいと笑っていました。その弟さんは馬場駿という小説を書いている人です。伊豆で岩漿という文学会を主宰していました。

最近、木内正夫さんが眼病になってインターネットの世界から退場すると言うのです。10年以上毎日のように更新してきたブログを止めると言うのです。


 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)