今年も8月になりました。野山にはいろいろな百合が毎年、毎年同じように咲いています。
しかし78年前の8月15日には昭和天皇の玉音放送があり日本は敗北したのです。悲惨な沖縄戦、広島と長崎の原爆投下の後でした。
私は疎開先の田舎の小学校の校庭で玉音放送を聞きました。帰りに田圃のあぜ道を歩きながら子供心にも敗戦の悲しみを噛みしめていました。
暑い日でした。太陽が田圃のあぜ道を歩いている私に容赦なく照り付けていました。
疎開先の農家の庭に強烈な印象を与える山百合の花が咲いていました。そんな百合の花の写真を探したらよく似たものを見たけました。その写真をお送りします。疎開先の農家の庭に咲いていたあの日の百合は1番目の写真のような花でした。
あれから78年の月日が流れました。私の人生にもいろいろな事がありました。しかし8月が来るたびに日本の敗戦のことをいろいろ考えるのです。
太平洋戦争は日本民族の歴史で初めての敗北です。外国の軍隊に占領されたのも初めてです。
当時は仙台市に住んでいましたがアメリカ兵が沢山歩いていました。ジープが走り回っていました。
仙台にあった第二師団の広い跡地はアメリカ軍の河内キャンプになり日本人は立入禁止です。
仙台市の郊外の日本軍の施設や飛行場もアメリカ軍に占拠されました。
仙台で焼け残った民間の立派な家々も接収されてアメリカ軍の将校の家族が住んでいます。
ずうと後になって私は大学生になりました。卒業論文の指導をしてくれたのはM教授でした。ある時、M教授の自宅に招待されました。
建築家のライトが設計した暖炉のある立派な家でした。奇跡的に焼け残ったのです。M教授が「この家もアメリカ軍に接収されました」と言ったのです。我々はアメリカ軍を非難しました。そうしたらM教授が静かに言ったのです「戦争に負けるとはそういうことなのです」と。
M教授の顔には深い悲しみがありました。南の島々で戦死した自分の学生たちのことを考えていたのかも知れません。
私は「戦争に負けるとはそういうことなのです」という言葉を忘れません。
78年たちましたが毎年8月になると必ず思い出す言葉です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)