後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「キリスト教の洗礼を受けると気持ちが広々として楽になる」

2023年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
この欄ではカトリックのことなどを何度も書いています。そうすると、たまに洗礼を受けたほうが良いでしょうかという相談を受けます。私の答えは、「是非受けて下さい」と明快です。
キリスト教の洗礼を受けると気持ちが広々として、その後の人生が楽になるのです。
日本人何故、抵抗感を感じるのでしょうか?
いつも考えて来た2つの理由書いておきたいと思います。

一つは「自分は洗礼を受ける資格が無い」と考える人が多いのです。洗礼は国家資格ではありません。学歴も能力も問いません。貧富の差も問いません。寄付も絶対に要求しません。「洗礼を受ける資格が無い」と考える人は、それでもう充分です。洗礼を受けて良いのです。

私が1971年に洗礼を受けたカトリック立川教会の塚本金明神父様は私の資格を一切問いませんでした。カトリックの教理の勉強などしていませんと言いましたが、そのことも問題にしませんでした。一切の質問をなさらないで洗礼を授けてくれたのです。

日本人が洗礼を受けないもう一つの理由は、洗礼を受けると日本人として生けて行けなくなると考えるからです。社会から疎外されるという心理的な怖れを感じることです。
この考えは全く間違っています。洗礼を受けた私は以前より鮮明に日本人の長所や善さが判るようになったのです。仏教の重要性もより深く理解出来るようになったのです。神社に参拝します。お墓参りやお葬式には欠かさず行くようになりました。
以前より一層日本が好きになりました。洗礼を受けたおかげで私はより一層日本人らしくなったのです。

洗礼を受けたら社会から疎外されるという心理的な怖れは人間の弱さの証明です。私もそれを感じました。しかし社会が疎外するのではなく自分が自分を疎外しているのです。そんな信者もたまには居ます。しかしそれも一時的な間違いに過ぎません。
日本人は真面目過ぎます。肩の力を抜いて明るく前向きに考えれば良いと思っています。

添付の写真は世界のカトリックの本山のバチカンのサン・ピエトロ教会の外観と内部の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「キリスト教は何故『愛の宗教』というのか?」

2023年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので宗教に関する文章を書きたいと思います。
日本の人々は意識していませんが仏教の影響を深く受けています。日本は正真正銘の仏教国です。
しかしその一方で、明治維新以来、日本は西洋に学び、富国強兵をしてきました。その結果、ヨーロッパの文化も日本に入って来ました。キリスト教も入って来ました。
しかしキリスト教は仏教とあまりにも違います。仏教と非常に違うので理解出来ません。当然、信じることも不可能です。
こんなに欧米と交流のある現在でも日本のキリスト教徒は人口の3%以上になりません。増える傾向もありません。
キリスト教が理解出来ないのは、それが愛の宗教だからです。愛という言葉は明治維新以前には現在のように広く使われている言葉では無かったのです。
神が人間を愛しています。イエス様も人々を愛しています。人間は神やイエス様を愛します。
キリスト教では神やイエスや人間の絆は愛で結ばれているのです。このようなことを信じられますか?
このような考えは仏教にはまったく存在しません。仏教国の日本人に理解出来ないのは当然ではないでしょうか。
ここで愛という言葉の意味を考えてみましょう。愛とは相手を大切にする心です。相手の苦しみや悲しみに心を寄せ、その苦しみを担ってあげることです。相手が好ましいと思う心です。
キリスト教では神が人間を愛するのでイエス・キリストという人間を地上に送り、人々を救けようとしました。
キリストはいろいろな教えを説いた後で、人間の罪を担って十字架についたのです。
死んで3日目にふたたび生き返り、弟子たちに会ったのです。そして天上に上がり全知全能の神の右の座についたのです。
そして天上から神とイエスは地上の人々を愛し続けているのです。
私はカトリック信者です。毎週、日曜日にはミサにあずかります。
それでは私は神やイエス様が愛して下さっているという実感を何時も持っているのでしょうか?
答は、否!です。
しかしイエス様に愛されているという感じは時々持てます。
例えばミサの中で、神父さんが「イエスの体」と言いながらパン片を私の手にくれる時に感じます。
その上、神父さんが私を信じ、大切にしてくれると、私は「イエス様が私を愛している」と感じます。
愛してくれれば、当然自分もイエス様を愛し、その教えに心を寄せます。
そして私の場合は洗礼を受けたカトリック立川教会の主任司祭をしていた塚本金明神父さまを忘れられません。
そしてカトリック小金井教会の初代主任司祭だったムニ神父さまの愛を忘れられません。
そしてその後、主任司祭になった山本量太郎神父さまの愛を忘れません。
現在の主任司祭の神父さまからも愛を感じます。
こうしてカトリックでは神父さんを通うしてイエス様の愛を実感するのです。神の愛を感じるのです。
愛されていると感じれば人間は相手を愛します。
これがキリスト教が「愛の宗教」と言われる理由なのです。

しかし元来、人間は疑い深い性格を持っています。イエス様や神の愛など信じられないのです。
しかし1日、24時間のうち数秒でもイエス様や神の愛を感じられば、それが決定的に重要になります。信者になれるのです。
まあ一般的に言えばイエス様や神の愛は荒唐無稽な話です。
多くの日本人がそれを信じないのも自然なことではないでしょうか?
宗教は無理に信じてはいけません。他人に無理強いしてはいけません。自然体で考え、信じられる人が信じれば良いことです。
私は絶対にキリスト教を他人へお薦めしません。
そして私は信じて初めて「キリスト教は愛の宗教だ」という意味が理解出来たような気がします。
世の中には信じないと理解出来ないものもあるのですね。

写真はバチカン市国の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「今日の年間第20日の主日のミサの動画配信」

2023年08月20日 | 日記
今日の年間第20日の主日のミサの動画配信です。

関口教会の動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=lT-BwlaoK30

8月20日10:00 司式 星野正道神父様(教区本部協力司祭)
入祭の歌  典102 しあわせな人
いつくしみ・栄光の賛歌 ミサ曲610・612
答唱詩編  典55①②③ 神のみ旨を行うことは
アレルヤ唱 典272 年間第20主日
信仰宣言 ニケア・コンスタンチノープル信条(2)
奉納  典393 主が手をとって起こせば
感謝・平和の賛歌 ミサ曲613・614   
拝領  カ典21 このパンを食べ
閉祭  カ聖31 ほめたたえよ

イグナチオ教会のミサ動画配信、
https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html

なお平和旬間は8月6日~8月15日です。

写真はカトリックの関口教会とイグナチオ教会の以前ミサの風景写真です。