この欄ではカトリックのことなどを何度も書いています。そうすると、たまに洗礼を受けたほうが良いでしょうかという相談を受けます。私の答えは、「是非受けて下さい」と明快です。
キリスト教の洗礼を受けると気持ちが広々として、その後の人生が楽になるのです。
日本人何故、抵抗感を感じるのでしょうか?
いつも考えて来た2つの理由書いておきたいと思います。
一つは「自分は洗礼を受ける資格が無い」と考える人が多いのです。洗礼は国家資格ではありません。学歴も能力も問いません。貧富の差も問いません。寄付も絶対に要求しません。「洗礼を受ける資格が無い」と考える人は、それでもう充分です。洗礼を受けて良いのです。
私が1971年に洗礼を受けたカトリック立川教会の塚本金明神父様は私の資格を一切問いませんでした。カトリックの教理の勉強などしていませんと言いましたが、そのことも問題にしませんでした。一切の質問をなさらないで洗礼を授けてくれたのです。
日本人が洗礼を受けないもう一つの理由は、洗礼を受けると日本人として生けて行けなくなると考えるからです。社会から疎外されるという心理的な怖れを感じることです。
この考えは全く間違っています。洗礼を受けた私は以前より鮮明に日本人の長所や善さが判るようになったのです。仏教の重要性もより深く理解出来るようになったのです。神社に参拝します。お墓参りやお葬式には欠かさず行くようになりました。
以前より一層日本が好きになりました。洗礼を受けたおかげで私はより一層日本人らしくなったのです。
洗礼を受けたら社会から疎外されるという心理的な怖れは人間の弱さの証明です。私もそれを感じました。しかし社会が疎外するのではなく自分が自分を疎外しているのです。そんな信者もたまには居ます。しかしそれも一時的な間違いに過ぎません。
日本人は真面目過ぎます。肩の力を抜いて明るく前向きに考えれば良いと思っています。
添付の写真は世界のカトリックの本山のバチカンのサン・ピエトロ教会の外観と内部の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)