後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「清冽、精神性の深い東山魁夷の絵画」

2023年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム
早く涼しい秋が待ちどうしい猛著です。そこで見ているだけで涼しい気分になる絵画の写真をお送り致します。涼しい気分になる絵画はいろいろありますが、今日は東山魁夷の絵画の写真をお送り致します。
東山魁夷の絵画は綺麗過ぎるほど美しいのです。すぐれて装飾的でもあります。
芸術はまず人の心を打つことが肝要です。単に美しいだけでは芸術にはなりません。深い思索と精神性が加味されていなければなりません。
東山魁夷の絵画は日本画なのに西洋的な精神性が濃いと思います。その上、日本人の精神性も込められているのです。
間違いを恐れずに言えば、彼の精神性にはドイツ的なカトリックの信仰と仏教の禅宗的な静かな信仰心が感じられるのです。彼は風景画を描きながら、「祈り」のようなものを描き込んでいたのです。それは彼のドイツ留学の影響なのでしょう。
東京美術学校卒業後すぐの1933年から1935年までベルリン大学に留学しました。寒くて暗いベルリンで芸術家になるための哲学、神学、美術史、ギリシャ文化、などを勉強したのです。
彼がパリではなくベルリンへ留学したことで、パリに行った日本人画家のように印象派の影響を受けませんでした。そして独自の画風を育てることが出来たのです。
ドイツの有名な画家はデユーラーです。暗い細密な絵画をルネッサンス期に描いたデユーラーの記念館を見たに違いありません。そしてドイツには暗い中世の宗教画を集めた美術館が数多くあるのです。
日本では東山魁夷のドイツ留学の影響は無視されています。
しかし1971年に出版された彼のドイツ旅行記の「馬車よ、ゆっくり走れ」を読むと彼の若き日のドイツへ対する強い想いが書いてあります。
昔、スケッチをした街角に立って風景を描いているときの気持ちを思い出しているのです。
私は1970年前後に1年半、暗い寒いドイツに住み込んだ経験があります。とにかく冬が長く、低い雲が毎日空を覆い暗いのです。
東山魁夷の「馬車よ、ゆっくり走れ」を読むと、彼の精神性へのとドイツ留学の影響が強く感じられるのです。ゆっくり石畳を走る蹄鉄や車輪の音が若い時の想いや思索と響き合っている随筆集です。
ベルリンの冬は暗く寒いのです。その風景が、そしてそこで学んだ宗教学や哲学が東山魁夷の絵画の精神性を深くしています。これが東山魁夷の精神性なのです。私にはそのように思われます。
それでは彼の日本画を6枚の写真で示します。
1番目の写真は 「緑響く」という題の有名な日本画です。
1972年、魁夷は突然、白い馬を描き始めます。若葉が水面に映る川のほとり、山深い木々の間、ほの暗い森の中、紅葉の木々の間など、さまざまな風景の中に馬を置いたのです。それが、夢の中の出来事のような18枚の絵になったのです。出典は、http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20110730/1311973474 です。
2番目の写真は、「行く秋」1990(平2)です。
http://www2.plala.or.jp/Donna/kaii.htm より転載した文章をお送りします・・・枯葉、落葉ということばには、一抹の淋しさがつきまとう。だがここでは冬を目前に散り行く落葉樹の、たっぷりとした深みと実りを暗示させる。しきつめられた金のカーペットをかさかさと踏みしめるとき、きっと私たちには足の裏に、 燦然と輝く木々の生命の昇華を感じ取るのだろう。・・・
3番目の写真は、「年暮れる」という題の日本画です。
ある人の感想文です・・・これは生きている。屋根しか描いていないのに。人の静かなざわめきが聞こえて来る。カレンダーに描かれた彼の絵とは全く違う。荘厳な年が暮れるその姿が静かに描かれている。この画家を見直した絵である。・・・出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/cksbg258/15270923.html です。
4番目の写真は、「谿若葉」です。 制作:1984年、技法:木版画、サイズ:35.1x45.5
暗い杉の谷を背景に、若葉が明るく浮かぶ山の斜面。原画は兵庫県立美術館に所蔵。2000年の10月に販売された日本経済新聞の東山魁夷アートカレンダー2001年の3月にも収録された作品です。 一色ずつ色を重ねて完成する木版画は、日本画の彩色技法にも似ており、東山魁夷は生涯に渡り多くの木版画を制作しました。 出典は、http://東山魁夷.com/sakuhin/121.html です。
5番目の写真は、「緑のハイデルベルグ」、1971年 です。
ライン河の支流ネッカー河のほとりに位置するハイデルベルク。初夏の緑に覆われた山腹の古城はドイツ・ルネサンスの重厚な面影と典雅な趣をあわせ持っています。街並みの景観の価値を重んじ、保存に努めるヨーロッパの落ち着いたたたずまいをとらえた東山魁夷の代表作です。
6番目の写真は、「道」です。
戦後、1947年の第3回日展で「残照」が特選を得たことが転機となり、以降、風景を題材に独自の表現を追求した。1950年に発表した「道」は、草の間を前方へとまっすぐに伸びる道、そして緩やかに右へ曲がり細くつづく道。それだけを描く作品で、単純化を極めた画面構成に新機軸が示されている。この「道」は種差海岸のスケッチがもとになっていると言われているが、東山魁夷の出世作として有名な作品です。

今日は清冽、精神性の深い東山魁夷の絵画をご紹介いたしました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「お盆なので先祖の墓に供える花の写真」

2023年08月12日 | 写真
お盆なので先祖の墓に花の写真を供えます。
去年までは庭の花に買った花を合わせて先祖の墓に供えていました。しかし今年から行けなくなったので庭のムケゲの花の写真だけをここに供えます。


「お盆の墓まいりと先祖の冥福の祈り」

2023年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム
お盆に墓まいりに行く人は多いと思います。しかし私は車の免許を返納したので今年から墓まいりは卒業です。しかしお盆の期間中は心の中で先祖の冥福を祈っています。兵庫県の田舎のお寺の住職だった祖父や祖母や、そのお寺で過ごした夏の日を想っています。私の両親叔父叔母はらから、そして家内の両親の声や姿を懐かしく思います。今は亡き家族の冥福を祈っています。

1番目の写真は兵庫県の田舎にある祖父が住職だった正林寺です。

2番目の写真は家内の両親親のお墓がある日野市の大昌寺です。

3番目の写真は家内の先祖代々の墓です。

ところでお盆の墓まいりと言えばこのブログのある墓まいりの記事を思い出しました。その記事は2021年の8月22日に掲載した、『ちひろ著、「墓しか残っていない寂しい里帰り」』です。
この筆者のちひろさんは2007年以来のネット上の友人です。琵琶湖のほとりに住んでいます。その記事を再び以下に示します。

『ちひろ著、「墓しか残っていない寂しい里帰り」』
「今日は子供を連れて、実家へ帰らせていただきます!」・・・と、夫に言って息子と家を出た。
実家とは,義理のおじいちゃんとおばあちゃん、海軍で戦死の為遺骨の無い父と母と兄と弟2人のお墓が残っているだけ、寂しい里帰り。
墓石に色々話しかけて慰めてあげた・・・・・喜んでもらえたと思う。
家を出る時は曇り空で園部の辺りでは土砂降りの雨だったけれど、福知山のお墓に着いた頃はがんがん照り,
蔓延った笹を取り除いて墓石を磨いたりしていると、汗が滴り落ちて熱中症になりはしないかと心配するほどの晴天となった。
やっぱり晴女だと言うと、「ご先祖さんが守っていてくださっているんやろ」と息子が言った。
縦貫道路を走って思ったより早く帰宅できて、おビールの美味しい事。
車中より福知山城をパシャツ!
福知山出て長田野超えて~駒を早めて亀山へ~ ドッコイセ~ ドッコイセ~
下駄がちびるほど踊り明かした福知山音頭
実家のあった場所も道路になって昔の面影は無く、故郷は次第に遠い存在になってゆく。
(原文は2014-08-14 19:37:38 、里帰り! - カメラと遊ぶ日々 (goo.ne.jp) です。
4番目の写真はちひろ さんが撮った福知山城です。

さて、ちひろ著の「墓しか残っていない寂しい里帰り」はしみじみした文章です。
・・・実家のあった場所も道路になって昔の面影は無く、故郷は次第に遠い存在になってゆく。・・・はしみじみ淋しいですね。しかし同じような思いをしている人も多いと思います。故郷は遠くにありて想うものですね。

今日は今は亡き家族の冥福を祈りました。兵庫県の田舎のお寺の住職だった祖父や祖母や、そのお寺で過ごした夏の日を想っています。そして2007年以来のネット上の友人 のちひろさんおの「墓しか残っていない寂しい里帰り」という文章をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)