後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「節分で豆をまく風習の歴史」

2025年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の伝統的な行事はほとんど全てが中国から伝承されたものです。
豆まき や七夕も中国の道教から伝えてられ、初めは宮中での行事でした。
節分や豆まきは中国の宮中の風習でした。
日本では江戸時代になると将軍家や 一般庶民も 節分行事をやりはじめたのです。
豆まきは邪気を追い払うために、古くから行われていたのです、
文献に現れる最も古い記録は、室町時代の応永32年(1425年)正月8日(節分)を記した文書があるそうです。
宮中の『看聞日記』には鬼を打ち払う為に豆をまいたと書かれているそうです。このことから室町時代には既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたことがわかります。
その20年後に編纂された辞典『壒嚢鈔』(1445年または1446年成立)巻一の八十三には、宇多天皇の時代(867年-931年)、鞍馬山の僧正が鬼が出て来て都を荒らすので、炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れた伝説が記されているそうです。
豆には生命力と魔除けの呪力が備わっているという信仰があったのです。
豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べるという習わしもあります。
府中市の大國魂神社では毎年節分祭がありあす。以前に大相撲の横綱稀勢の里が来たこともありました。
稀勢の里はこの神社に、2006年から毎年姿を見せておりました。
一方、関脇の玉鷲は調布市の深大寺に来て豆まきをしてくれました。
約1万5千人の人出でにぎわったそうです。
 約1300年の歴史がある深大寺で、豆まき式は江戸時代に始まったと言われています。
大國魂神社と深大寺の写真をお送りします。
1番目の写真は豆まきが始まる前の大國魂神社の拝殿です。沢山の人が集まって始まるのを待っています、
2番目の写真は大國魂神社に来た横綱、稀勢の里の姿です。
3番目の写真は大國魂神社で豆をまいている稀勢の里です。

4番目の写真は調布市の深大寺です。

5番目の写真は深大寺で豆を手に持った玉鷲です。

日本には春の七草に始まって、節分と豆まき、雛祭り、春のお彼岸と墓参り、端午の節句、七夕と星祭り、お盆の灯篭流し、秋のお彼岸と墓参り、秋の七草、除夜の鐘、年越しソバなどなどの伝統行事があります。
このような伝統行事を大切にする女性と全然関心の無い女性とがいます。
私個人の好みを書けば伝統行事を大切にする女性が好きです。なにか奥ゆかしい女性のように感じるのです。

今日は節分の豆まきについて書いみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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