若い人でも歴史が好きで趣味にしている人も多いようです。
そして老境にいたると自分の住んでいる町や村の歴史に強い興味を持つ人が増えて来ます。
いわゆる郷土史をあれやこれやと調べて自分の解釈も加えて一つの郷土史を作り上げます。
その過程が大変面白いのです。ですから一つの趣味となって何年も続きます。
私が郷土史を趣味にしてからもう20年以上になっています。
そこで今日は郷土史を趣味にするための注意点や幾つかのルールを書いてみたいと思います。
皆様ご存知のようにスポーツには毎日の訓練が重要です。
まず郷土史を趣味にするためには「歴史的思考訓練」が一番重要になります。
そうすれば郷土史趣味の世界が急に広がり老境の生活が一段と楽しくなるのです。
それでは歴史的訓練法とはどういうものでしょうか?
訓練方法の第一歩は歴史的なことが書いてある本を多数読むことから始めます。
そのとき重要な事が一つあります。
ただ漫然と興味本位に読み飛ばすのではなく、自分自身で問題や疑問を持って読むのです。
ここに書いてある歴史は真実か?何故こんな事が起きたのか?歴史は書く人の立場によって逆の書き方がなるのではないか?事実を美化しすぎていないか?他の文書にも同じことが書いてあるか?
こんな問題意識を持って本を読むことが歴史的思考訓練なのです。
問題意識を持って読めば、自然に自分の歴史解釈が生まれて来ます。
そうすればそれが正しいか否かを調べはじめます。そこまで進めばそれは立派な、そして愉快な趣味へとなります。暇な老境が急に楽しくなるのです。
実例として、ささやかな私の歴史趣味をご紹介します。
何年も前に埼玉県の秩父へドライブへ行ったことがあります。道に迷って日高市の郊外をウロウロしていたら一番目の写真のような異国的な魔除けの2本の門柱を偶然見つけました。
歴史的思考訓練のお陰で、ピンと来ました。ウン、これは昔、この地方が朝鮮と交流があった証拠と感じたのです。
日をあらためて再度、調査の為に訪問しました。
そうしたら朝鮮半島の高句麗が新羅と唐によって滅ぼされたとき日本へ亡命してきた王族と家来たちが埼玉県西部に住みついた事が分かったのです。
勝手に住みつく訳には行きませんから当時の天皇から「高麗王」という称号を貰って武蔵国の領地を分譲してもらい移住したのです。
再度、現地調査に行ったら二番目の写真のように、その「高麗王」の廟所が現在でも存在していたのです。これには吃驚してしまいました。
この「高麗王」の廟所の歴史的いきさつは三番目の写真にある看板に書いてあります。
実は郷土史で重要なことは現地の看板や説明板を丁寧に探し歩くことです。それらには本には書いていない驚くべき歴史が書いてあるのです。
そして現地の人に聞くことも重要です。この看板の上には聖天院という仏教のお寺がありました。丁度草取りをしていた住職と奥さんから少しだけ話を聞き古い朝鮮人の子孫が神主をしている神社も訪ねなさいと教わりました。
行ってみるとその神社の神主は代々、現在に至るまで朝鮮から移住してきた高麗王の子孫だったのです。
これが歴史趣味の実例です。しかし、この趣味の面白さはその先にあります。自分で見つけた看板の説明は本当に正しいのでしょうか?
そして自分でいろいろな仮説を立てて楽しむ事にあります。
当時の天皇から立派な称号や領地を貰うために何をしたのでしょうか?持参した金銀や宝石を出したのでしょうか?
それだけでは充分ではない筈です。もっと重要なおみやげは「先進的な農業技術」や「金属の精錬技術」の提供だったと想像しています。
高麗王の家来の中に優れた農業や工業の技術者が居たと推定することは無理の無い合理的なことです。
この仮説を調べて行くと大和朝廷が朝鮮からいろいろな先進技術を学んだ様子が分かってくるのです。
上に書いたことは少し精密さに欠けますが、歴史的ものの見方の一つの例です。素人の郷土史なのでお許し下さい。
ご興味を持って頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
そして老境にいたると自分の住んでいる町や村の歴史に強い興味を持つ人が増えて来ます。
いわゆる郷土史をあれやこれやと調べて自分の解釈も加えて一つの郷土史を作り上げます。
その過程が大変面白いのです。ですから一つの趣味となって何年も続きます。
私が郷土史を趣味にしてからもう20年以上になっています。
そこで今日は郷土史を趣味にするための注意点や幾つかのルールを書いてみたいと思います。
皆様ご存知のようにスポーツには毎日の訓練が重要です。
まず郷土史を趣味にするためには「歴史的思考訓練」が一番重要になります。
そうすれば郷土史趣味の世界が急に広がり老境の生活が一段と楽しくなるのです。
それでは歴史的訓練法とはどういうものでしょうか?
訓練方法の第一歩は歴史的なことが書いてある本を多数読むことから始めます。
そのとき重要な事が一つあります。
ただ漫然と興味本位に読み飛ばすのではなく、自分自身で問題や疑問を持って読むのです。
ここに書いてある歴史は真実か?何故こんな事が起きたのか?歴史は書く人の立場によって逆の書き方がなるのではないか?事実を美化しすぎていないか?他の文書にも同じことが書いてあるか?
こんな問題意識を持って本を読むことが歴史的思考訓練なのです。
問題意識を持って読めば、自然に自分の歴史解釈が生まれて来ます。
そうすればそれが正しいか否かを調べはじめます。そこまで進めばそれは立派な、そして愉快な趣味へとなります。暇な老境が急に楽しくなるのです。
実例として、ささやかな私の歴史趣味をご紹介します。
何年も前に埼玉県の秩父へドライブへ行ったことがあります。道に迷って日高市の郊外をウロウロしていたら一番目の写真のような異国的な魔除けの2本の門柱を偶然見つけました。
歴史的思考訓練のお陰で、ピンと来ました。ウン、これは昔、この地方が朝鮮と交流があった証拠と感じたのです。
日をあらためて再度、調査の為に訪問しました。
そうしたら朝鮮半島の高句麗が新羅と唐によって滅ぼされたとき日本へ亡命してきた王族と家来たちが埼玉県西部に住みついた事が分かったのです。
勝手に住みつく訳には行きませんから当時の天皇から「高麗王」という称号を貰って武蔵国の領地を分譲してもらい移住したのです。
再度、現地調査に行ったら二番目の写真のように、その「高麗王」の廟所が現在でも存在していたのです。これには吃驚してしまいました。
この「高麗王」の廟所の歴史的いきさつは三番目の写真にある看板に書いてあります。
実は郷土史で重要なことは現地の看板や説明板を丁寧に探し歩くことです。それらには本には書いていない驚くべき歴史が書いてあるのです。
そして現地の人に聞くことも重要です。この看板の上には聖天院という仏教のお寺がありました。丁度草取りをしていた住職と奥さんから少しだけ話を聞き古い朝鮮人の子孫が神主をしている神社も訪ねなさいと教わりました。
行ってみるとその神社の神主は代々、現在に至るまで朝鮮から移住してきた高麗王の子孫だったのです。
これが歴史趣味の実例です。しかし、この趣味の面白さはその先にあります。自分で見つけた看板の説明は本当に正しいのでしょうか?
そして自分でいろいろな仮説を立てて楽しむ事にあります。
当時の天皇から立派な称号や領地を貰うために何をしたのでしょうか?持参した金銀や宝石を出したのでしょうか?
それだけでは充分ではない筈です。もっと重要なおみやげは「先進的な農業技術」や「金属の精錬技術」の提供だったと想像しています。
高麗王の家来の中に優れた農業や工業の技術者が居たと推定することは無理の無い合理的なことです。
この仮説を調べて行くと大和朝廷が朝鮮からいろいろな先進技術を学んだ様子が分かってくるのです。
上に書いたことは少し精密さに欠けますが、歴史的ものの見方の一つの例です。素人の郷土史なのでお許し下さい。
ご興味を持って頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
ヨット、米国や欧州事情、時局に対する私見、昨日はデパートの婦人服売り場の様子今日は高麗川周辺の歴史等々。どんなことでもブログに仕立てることができる教養に感服です。
今後も期待しながら拝見させていただきます。
後藤先生のブログ継続には足元にも及びませんが、自分が生きた証になればと考えたところです。「黒澤止幾子伝と渾沌」6月2日に幻冬舎発刊予定で、手元に届いたら贈ります。
「黒澤止幾子伝と渾沌」を楽しみにしています。
こちらのヌログでご紹介させて頂きます。
ありがとうございます。