後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

教養としてのキリスト教(7)中国のキリスト教弾圧を内側から体験する

2009年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Papa031 1981年2月ヨハネ・パウロII世、ローマ法王は日本の殉教者をとむらうために長崎まで来て、浦上天主堂でミサをした。写真はその時の浦上天主堂でのパウロII世である。本人はこれを巡礼の旅とも言っていた。

その次の年、私は中国の瀋陽市の天主堂で現地の人々のミサへ出席した。外側は煉瓦作りの立派な教会だが、内側には大きな落書きや、破壊の跡がなまなましく残っている。椅子も撤去されていて床板があちこちで剥がれている。満員の中国人信者がその床に膝まづいていて祈っている。毛沢東政府の文化大革命の間、徹底的に弾圧、破壊されたのだ。勿論キリスト教だけではないが。

1982年当時は信者は皆人民服を着ている。ミサの後、背広姿の小生を取り囲んで、何処から来た?何しに来た?と少し話合いをした。連れて行ってくれた東北工学院の金応培教授の通訳で。(写真の出典:http://www1.odn.ne.jp/uracathe/kyoukou.htm

「ヨハネ・パウロII世が巡礼の旅と称して日本へ来たことを知っていますか?」と聞いて見た。全員が大声で、知っている!と答える。「中国の天主教(カトリック)が何故ローマ法王傘下の組織にならないのですか?」、皆んなの顔が氷のようになり誰も声を出さない。帰路、金応培教授の説明を聞く。全員、即刻、ローマ法王傘下に戻りたいのだが中国政府が厳しい条件を要求しているという。「台湾のカトリック教会を破門にすれば中国全土の天主教をローマへ返す政策」をとっているのだ。ローマ法王は理由もなしに台湾を絶対に破門はしない。それから30年近く経ったが現在でも中国の天主教はローマ法王とは関係なく中国内で布教に努めている。あくまでも北京の中央政府に従順に、その全ての政策に協力しながら。

中国人のキリスト教へ対する態度は明や清の時代から変わっていない。政権にとって利用出来るなら布教を許可するという原則が脈々と続いている。16世紀にイエズス会の有名な神父のマッテオ・リッチ師は明王朝の高位高官の地位についた。リッチ師は利瑪竇(りまとう)という中国名を使用し、中国服を着て中国人に同化し、中国文化を尊敬し明王朝へ仕えた。

マッテオ・リッチ師は頭脳明晰で徳の高い人格者であった。ローマへ送った数多くの書簡は日本の平凡社の東洋文庫から出版されている。私の尊敬している人々のうちの一人です。小生がカトリックの洗礼を受けたのはマッテオ・リッチ師に少し手を引かれたためのような気がしています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。    藤山杜人


人生の輝きと暗い日々(2)陽気な孤独死

2009年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

独り暮らしの人が近所にいます。山梨の「山林の中の小屋」の近辺にもいます。そのうちの4人とは友人です。特に2007年2月にブログを始めた鬼家雅雄さんは、15年以上も雑木林に囲まれた山荘に独りで住んでいます。自然を相手に悠々と暮らしています。孤独に死んで行く覚悟をしていますが、実に陽気な人です。先日も少しのビールを持ってお邪魔しました。談論風発と言えば大げさですが、2人で陽気に喋り合いました。話題は孤独死のことでした。達観しています。人間が、たまたま独りで死んで行くのも自然なことです。と、言う。お葬式もいりません。発見したら玄関の外に書いてある遠方の弟へ電話して下さい。と笑っている。こちらも、山に来るたびに寄りますよ。電話もしますよ。と応ずる。弟さんは馬場駿という小説書きだ。伊豆で岩漿という文学会を主宰している。

鬼家雅雄さんが活き活きと目を光らせて話すことは孤独死の他に山荘の回りに植えたクリンソウ、フクジュソウ、カタクリ、ミズバショウ、などの花の話題が多い。シイタケやナメコの栽培の話もする。今年こそモリアオガエルを沢で増やしたいと言う。彼からクリンソウやシイタケ、ナメコの原木を貰っていて、このPCで文章を書いている窓の外に見えている。昨年は花が美しかったクリンソウは芽をまだ出さない。シイタケも出てこない。シイタケの菌をあまり律儀に深く植え、蠟であまりにも完全に封じ込んだのかも知れない。昨年の5月以来、黒い網をかけ水道水を何度もかけて濡らしている。

シイタケが出てこなくてもそんな作業をするたびに山林を思い出して楽しいものです。

山林の中の小屋の近所に独りで住み着いている他の3人とも時々話をする。皆とても明るい。独りで死んで行くことをごく自然の成り行きと思っている。以前に宗教の話をしましたが、あまり興味がなさそうでした。ですからもう宗教の話はしません。

孤独死は可哀想だから何とかしようとするのは人々の優しさです。でも本人達の心の持ち方が一番重要なのでは?と思うようになりました。

この4人の安らかな生き方を見守るように甲斐駒岳が神々しく蒼穹に輝いています。(続く)

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人

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教養としてのキリスト教(6)今日は日曜日、キリスト教と仏教の祈りの比較を少ししてみます

2009年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日、教会のミサへ行く日です。教会で、どのような内容のお祈りをするか簡単にご説明します。キリスト教は宗派によらず、ほぼ下のような内容のお祈りを、「主の祈り」として一番大切にしています。

天におられる私達の父よ、み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

み心が天に行われるとおり地にも行われますように。

私達の日ごとの糧を今日もお与えください。

私達の罪をお赦し下さい。

私達も人を赦します。

私達を誘惑に落ち陥らせず、悪からお救い下さい。

このお祈りの中の二つの言葉の意味さえ説明すれば、どなたでも簡単に分かる内容です。

最初の行の「私達の父」とは「私達人類全ての生みの親である一人の神」という意味です。

「私達の日ごとの糧」とは「私達人類のすべての毎日の食糧」という意味です。

この祈りの内容は2000年前に主であるイエス・キリストが神に祈ったときの内容と同じです。

ですから、これを「主(キリスト)の祈り」と言います。我々キリスト教徒は毎週、毎日この「主の祈り」を唱え、祈ります。

それでは仏教での、「ご先祖様への祈り」や「家内安全、無病息災の祈り」のようなお祈りはしないのでしょうか?勿論いたします。プロテスタント諸宗派では神への「主の祈り」の他の祈りとして祈ります。カトリックでは聖母マリア様へお願いいたします。

さて仏教ではどのような内容のお祈りをするのでしょうか?

キリスト教の「主の祈り」のような統一的な簡単なお祈りの言葉は有りません。しかし私は以下のように祈ります。

お釈迦さまのお教えが地上にあまねく行われますように。

お釈迦さまの慈悲のみ心で罪深い私達を御救い下さい。

私達がこの世の生を終えるときには浄土にお迎え下さい。

そして、続けて、亡くなった家族、恩人、友人、の冥福を祈ります。

家族の健康と平安を祈ります。

しかし上の祈りは一般的ではないと思います。仏教ではお釈迦様のお祈りするとき「般若心経」や「観音経」のようなお経を読みます。私も子供のころはよく読みました。祖父や叔父が田舎のお寺の住職をしていたからです。しかしお経の内容はお釈迦さまのお教えなのです。

お釈迦様の教義を唱えることが厳密には「祈り」とは違うような気がします。しかしお経を唱えながら、同時にお祈りをしている場合も多いのです。少なくとも私の場合は。

神とお釈迦様は違うと論理的に説明する人々がいます。しかし人間にとって一番大切なことは「祈る気持ち」だと信じています。神学論争よりもカトリックの祈りが圧倒的に重要と信じています。皆様のお考えは如何でしょうか?(続く)

今日はこれからの教会のミサでこの文章を読んで下さる、

皆様のご健康と平和を、お祈りしてきます。     藤山杜人


雄大な相模湖の上流の風景をご紹介します

2009年03月21日 | 写真

相模湖は戦後、観光地として大変栄えた時期がありました。現在でも遊覧船に乗ったり、ボート遊びをする人々がいます。大きなダム湖で横浜市民の水道水です。

JR中央線の相模湖駅を下車し、湖の方向へ坂を歩いて下ると遊覧船の発着場があり、おみやげ店もあります。モーターボートや手漕ぎのボートもあります。観光客はその辺だけを楽しんで帰ります。

しかし相模湖は西の藤野町や上野原町の方向へ長く伸びています。そして西端では富士山からの桂川が流れ込んでいます。北からは鶴川も合流して流れ込んでいます。丁度、JR中央線の上野原駅から見下ろせる開けた土地で、雄大な風景です。観光地ではないので人も少なく何時も静かに川音だけが聞こえます。昔から車を川縁りまで入れて1、2時間のんびりして来ます。家内もこの静かな風景が好きで、車を走らせ、よく2人で行きます。ここに示した早春の写真は相模湖が満水の時の様子です。乾季になるとこの辺は湖の一部ではなくなり桂川の流れになります。相模湖の完成するずっと以前、戦争前に、ここで鵜飼いをし、観光客を集めて賑わった時代もあったそうです。その頃は桂川の水量も多く、滔々とした大川だったそうです。天然の鮎も多かったと言います。

その鵜飼いも現在では、山梨県の笛吹き川にしか残っていません。

時代とともに川での遊びも変って行くのでしょう。そんなことをご想像しながら写真の風景をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人

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啓蟄になると出て来る我が家のガマ君達

2009年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

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3月、啓蟄のころになると庭の土深く冬眠していたガマ君達が痩せた姿で出てきます。それから15日、よく餌を食べ、太ってから恋の季節を迎えます。5、6匹が毎晩クク、クク、と良い声で鳴いています。

池もないのに何処に卵を産んで、オタマジャクシを育てるのが謎です。

45年前、私がここに家を建てるずっと前から、これらのガマ君達は住み着いていたのです。

きっと縄文時代からの武蔵野の雑木林の住人だったのでしょう。

新参者の我々は敬意を表し、大切にしています。皆さまの家の庭にはガマ君が住んでいるでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人


人生の輝きと暗い日々(1)思いもしなかった老年の歓喜の日々

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

過ぎ去った日々を思い返ると、その当時とは違う感慨におそわれることが多い。引退後に自分の人生を振りかえって、当時とは違った感じかたを持つものらしい。そんなあれこれをシリーズ風に書いてみたいと思う。

その手始めに、現在の心境を書き、この後で、「人生の哀歓」を現在の自分から見直してみて書いてみたいと思う。

現役の間、引退後の自分を想像していた。仕事も一切無くなり淋しいだろう。仕事仲間と一緒に飲んだり談笑する機会も無い。仕事しか興味が無くて趣味もない。暇が出来ても遊び方を知らないので毎日なすこともなく、無為の日々が流れて行くだけだ。

ところが、70歳で仕事を一切止めたら、毎日がパっと明るくなって楽しくなってしまった。大げさに言えは「歓喜の日々」が流れだしたのだ。

兎に角、仕事の為にと、したいことを我慢して来たがその必要がなくなる。頭の上の暗雲が突然消えてしまった。職場が無くなるので上司に気を使う必要が一切無くなる。傲慢な自分にとってそれだけで万歳と叫びたくなる。

引退までは、他人に自慢出来るような趣味を持っていないと信じきっていた。仕事一筋が美しい人生という風潮で働いてきた。それで趣味を趣味と認めたくなかったのかも知れない。

山林の中の貧しげな小屋へ細々と通うことなど趣味として他人へは言えない。中古のヨットを、よたよたと帆走させることは自慢出来ない孤独な楽しみだ。その上、現役の間、友人もあまり居ないと信じていた。

それが、現役を引退し、数か月過ぎてみると考え方がすっかり変わってしまった。それらは立派な趣味だと考えるようになったのだ。その上、ネットの上で驚異的にも友人が多数出来たのだ。

これらの友人の掲載記事や公開日記を読んで、毎日コメントを交換している。従来は仕事仲間としか付き合っていなかった。ネットの上での友人は年齢、性別、職業がいろいろあって考え方が非常に違う。自分の視野が広がり、とたんに世間が広がったような幸福感に包まれる。

毎日が楽しくなる。自分だけが老年を楽しんでいるではない。中高年の人々が書く随筆記事や日記を読むと皆が明るく楽しそうにしている。どなたも自分の昔の職場の厭な思い出は書かない。人間は悪いことは忘れてしまう。それが老年の歓喜の日々につながる。

しかし老年になれば肉体は衰え、病気にもなる。親しい人や恩人が次々と先に死んで行く。世の中が淋しくなる。しかし、「ものは考えよう」である。先にあの世へ旅立つ親しい人々や恩人は我々が淋しい気持ちで日々を過ごしていたら決して喜ばない。それ以上に子供や孫のような若い世代も淋しい老人は見たくない。見ただけで自分も暗い気持ちになる。

それだからこそ、明るく楽しく日々を過ごす方が良い。と、信じているのだ。このように書ききっている自分があまりにも楽天的なのかも知れない。家人もまったく同じ考えだ。

下の写真のような、陽春の陽に輝く山中湖の水面を見つめながら考えた文章です。

皆様のご意見は如何でしょうか?   (続く)

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八丈島に灯をかかげて78年―南海タイムス新聞社

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

全国には約2000位の地方新聞があるという。筆写の住んでいる東京、小金井市には40年続いている「小金井新聞」がある。この1月の八丈島訪問以来、数回にわたって八丈島に関する記事を掲載してきた。その間、八丈島で昭和6年に創刊された南海タイムスの記事や写真を参考にして来た。この新聞は日本全国で3番目に古い地方新聞であるという。週刊で、タブロイド版4ページ、毎週金曜日3000部発行の本格的な地方新聞である。島の政治、社会、経済、文化など全てのニュースをバランスよく編集し、見やすく割り付けてある。添付した写真は今年の1月1日と3月13日の新聞1面である。購読者数は八丈島内で2600所帯、島外300所帯で毎週郵便にて配られている。島の所帯総数が4000弱であるからその約7割の家で購読されている重要な新聞である。先日、試しに購読申し込みをして電話で確認しながら編集の苅田義之さんにいろいろなことを伺った。新聞社の経営は決して楽ではないが、と言いつつ意気軒昂だ。島の人々のために不偏不党の新聞を作っている誇りが感じられる。

郵送されて来た新聞を読んで見た。紙質が良く多色刷りの新聞だ。ホームページから想像したより格段に立派な新聞だ。

(HP:http://www.nankaitimes.com/ 

この新聞は八丈島の歴史や文化に関する記事も多く、観光客のためにもなる。島へ行く前に読んでいなかったのが悔やまれる。興味深い新聞なので知り合った八丈島歴史民俗展示館の細谷 昇司さんへ依頼して新聞社を訪問して頂いた。細谷さんからの報告によると創設者は詩人の小栗又一氏で、その数年後、吉田貫三氏が写真植字機とオフセット印刷機を購入し新聞社としての基礎を固めた。現在の社主は吉田貫三氏の孫の菊池まり さん(女性)が務めている。

1980年(昭和55年)には50周年を記念して縮刷版を作成している。写真に細谷氏から送って頂いた、縮刷版の巻頭言を示す。読みにくいがこの新聞社の歴史が書いてある。

この新聞には八丈島のローカル文化が活き活きと描いてあるので続編にその紹介をしたいと思う。

今は亡き小栗又一氏と吉田貫三氏へ敬意を表したく思い、お二人の活躍した時代にふさわしい堅苦しい文章で綴ってみた。最後に新聞社訪問の労をとってくださった細谷昇司氏へ深甚の感謝の意を表する。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。    藤山杜人

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試練の山小屋宿泊から帰って来ました

2009年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

ガス、水道もなく、テレビや新聞も無い山林の中の小屋に泊まることは辛い体験です。しかし冬の厳寒の小屋に毎年3回以上、独りで泊る努力をしています。安逸に流れる東京の生活で、堕落しやすい精神を鼓舞し、少しはましな老後を送りたいと思っています。

昨夜の一泊も試練のつもりで行きました。暖かい日でしたが夜は冬に逆戻り。小屋を出て見ると満点の星空です。昼間に4時間かけて掘った飲み水専用の泉の所まで、酔い覚ましの水を汲みに行きました。苦労して作った水汲み場の写真や夜の小屋の写真をお送りします。

狭くて質素な小屋ですが、1973年に作って以来、36年間通い続けています。趣味の小屋ですが、辛いと思うこともある趣味です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。     藤山杜人

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国家公務員の厳しい掟(2)「自壊する帝国」の著者、佐藤優氏は何故逮捕されたか?

2009年03月16日 | うんちく・小ネタ

モスクワの政権をとっていたエリツェン大統領や政府高官がソ連帝国崩壊の前後にどのような運命をたどっかか?著者の個人的体験を主軸にし、ロシア人の人間性をリアルに描きだした迫力あるノンフィクション力作である。人間が描いてある。下手な小説より面白い。同志社大学神学部で学んだ著者が、共産党政権下のモスクワ大学神学部のようすを分かりやすく書いている。自分でもそこで神学の講義もしている。2006年に出版後、広く読まれ、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。現在でも外務省に所属している、その著者が2002年に逮捕され、514日も拘置所に留置され有罪判決を受ける。現在、最高裁判所へ控訴中である。訴えられている罪は外務省の予算の使用上の規則違反という罪である。

なんとしても不可解な事件である。ところが、2005年に出版された佐藤優著「国家の罠」を読んで、なるほど、逮捕は仕方ないと理解出来る。

佐藤優氏は外務省の官吏である。その官吏が外務省という「国家公務員組織」を破壊するような行動をとった様子がこの本に書いてある。国家公務員は年功序列や役職に対応して職務内容と権限の範囲が厳然と決まっているのだ。それは明文化されてはいない場合が多い。しかしそれは厳しい掟なのだ。佐藤氏はそれを一顧だにしない。

小渕総理に重用された鈴木宗雄氏と組んでエリツェン大統領と北方領土2島返還の実現を推進したのだ。ロシア大使館所属の一介の外交官が大使以上の権限を発揮し、外務大臣さえ無視して2島返還交渉をしたのだ。

個人プレイは幾らしても良い。しかし官僚文化では、その全ての手柄は上司のものにしなければならない。そうしなければ出世もできないし、組織から放逐される。これが国家公務員の厳然たる掟なのだ。佐藤氏はこの官僚文化の破壊をあまりにも何度もしてしまったのだ。検事も裁判官も国家公務員だ。表には出さないが彼らの心の中で佐藤氏へ対する心証を悪いに違いない。その理由は「官僚文化の破壊」を憎む気持ちと思う。

鈴木宗雄氏も外務省へ直接干渉しすぎた。霞が関の官僚達はこの2人を有罪にしたくなる。それが官僚の心理と思う。「国家の罠」ではない。「官僚文化の罠」なのだ。

佐藤氏は不可能な4島返還よりも実現しやすい2島返還をすべきと個人的に主張する。それも越権行為のように感ずる。4島か2島かは国民の代表である衆議院や参議院で決め、その推進を総理大臣から外務大臣へ依頼し、外務官僚が先方と交渉するのが自然な流れである。外交官が公やけに主張してはいけない。それは上司へ対しての意見具申に限定すべきである。勿論、外交にはトップ交渉や裏工作が欠かせない。しかし裏工作の仕掛け人があまり表に出て大声で国民を説得するのは望ましいことではない。

佐藤氏は抜群に優秀なだけではない。まれに見る独創的能力の持ち主である。

独創的であれば官僚世界では行き詰まる。佐藤氏や鈴木氏の逮捕、裁判劇は「官僚文化の死守」という視点から見ると理解しやすい社会現象と思うが、如何でしょうか?皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(続く)


春、趣味の散歩のいろいろ(6)山中湖、波打ち際の散歩

2009年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

山中湖は東京から車で1時間30分。この湖の一番良いことは周囲の波打ち際に沿って散歩出来ることです。それに無料駐車場が彼方此方にあり、水辺まで車が入れるところも多くあります。

周囲の景観がゆったりしています。昨日は晴天で富士山もよく見えましたが、雲で見えない日でも最高の散歩道です。

空気が新鮮なので、青く透明な水の側を歩くだけで楽しいのです。周りの雑木林も蒼穹に梢を伸ばしています。岸辺へ打ち寄せる波の輝きや、澄んだ音を楽しみながらの散歩道です。

昨日は2時間も散歩してきました。ここに6枚の写真でそのような景観をご紹介致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人

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久しぶりに晴れ上がった富士山の写真をお送りします

2009年03月15日 | 写真

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久しぶりの快晴に誘われて山中湖へ行きました。富士山が春の陽を浴びて輝き、湖の向こうに悠然と座っていました。

撮影場所:山中湖周辺より、 撮影日時:3月15日午後2時前後、撮影者:Mrs.藤山


春、趣味の散歩のいろいろ(5)鎌倉街道、恋が窪宿の姿見の池

2009年03月15日 | 写真

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奈良時代に相模、武蔵、上野の三つのくにを結ぶ南北につなぐ東山道が作られました。奈良、平安、鎌倉、室町の各時代にわたって長い間使われてきました。重要な街道で、後に鎌倉街道と呼ばれるようになりました。

武蔵国分寺付近には「恋が窪」という宿場があり遊女も多かったという言い伝えが残っています。彼女たちが鏡の代わりに使っていた池が、姿見の池として残っています。JR中央線の西国分寺駅から徒歩5分の近いところです。

平家を滅ぼすために義経軍に参加した畠山重忠氏という武将がいました。この武将と恋仲だった遊女、夙妻大夫が、武将が戦死したという嘘を信じて身を投げたという伝説も残っている池です。下段の写真に示しましたように、近くの東福寺には夙妻大夫の墓と記念の松の木があります。

恋が窪は昔から国分寺村の中心だったのです。現在の国分寺市の市役所もここに有ります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人


国家公務員の厳しい掟(1)何故小沢さんの秘書が逮捕されたか?

2009年03月14日 | うんちく・小ネタ

始めから私事で申し訳ありません。けれども最初に書いておいた方が以下の話を信じて頂けれると思います。私は27年間国家公務員をしていました。国立大学の教官として働いていました。

その国家公務員の経験から、公務員の行動規範が理解できました。民間会社では売上高を増大させ、利潤を大きくするのが行動規範の基礎になります。国家公務員は自分の所属している部局のみの予算の増大と権限の拡大に努力しなければいけないのです。それが厳しい行動規範となっています。それを怠った人は出世できません。

先日、政府の発展途上国への援助予算、すなわちODA予算が19省庁にまたがって分散されていることを説明しました。これはまさしく予算争奪戦の結果起きた現象です。自分の部局の日本国内における権限拡大になるように予算を使用します。支援相手国の貧困層の支援は眼中に無いのが普通です。と、書きましたところ、強い賛成のコメントを頂きました。

何故、小沢さんにとってこの大切な時期に秘書さんが逮捕されたのでしょうか?その理由を想像して書いてみます。もとより一介の老人が何の証拠も無く書く推論です。これが真実であると主張するつもりは毛頭ありません。

検察庁も裁判所の国家機関で、そこで働いている人々は皆、国家公務員です。従って自分の役所の予算と定員枠を増大するのが行動規範です。しかし法律の専門家ですから醜い予算争奪戦は出来かねます。そこで一番無難なのは法律の許す範囲で政権担当与党の喜びそうな行動をとる。これが行動規範であり、ある場合には国策捜査とも呼ばれる行動です。

これは政府や与党が命令して行うものでも無く、またその必要もないのです。国家公務員の行動規範の遺伝子の中に組み込まれているようなものです。

小沢さんはこのことはを百もご承知だったに違いありません。それをあたかも政府が命令した国策捜査を暗示するような発言をしていました。国民は小沢さんへ同情したくなります。

検察庁や裁判所はかなり公平な専門家集団です。その名誉のため言えば彼らは厳正な法律の運用をします。検事や裁判官の数が圧倒的に少なく、激務が続いています。その精勤ぶりには頭が下がります。しかし政権与党の関係する事案についてはどうしても与党に有利になる方向になりがちです。国家公務員である限り当然です。

日本は三権分立です。決して与党が検察庁や裁判所へ命令など出す筈はありません。しかし残念ながら国家公務員に代表される官僚文化があまりにも強く根付いているのです。官僚文化は公務員に限りません。じつは日本の民間会社、とくに大企業のなかにも根付いているのです。その話はいずれ続編でいたしたいと思います。(続く)


團伊玖磨「パイプのけむり」-八丈島

2009年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

随筆はこれまでに、いろいろ読みました。寺田寅彦、中谷宇吉郎、團伊玖磨などのものは長年愛読してきました。團伊玖磨の「パイプのけむり」はアサヒグラフに連載されていました。1963年に八丈島の樫立に別荘を作った翌年から2001年に亡くなる直前まで40年近く続いた随筆です。朝日新聞社から27巻の本として出版されていますので、お読みになった方々も多いと思います。

外国で仕事をしながら忙しく書いたものや、葉山の自宅や八丈島でゆっくり書いたものなど変化があって飽きさせません。世界の珍しい風物や人情、そして八丈島の自然、人々・植物のことなどが軽妙洒脱な筆致で活き活きと描いてあります。話題は多岐ですが、いずれも上品な書き方で、文章の裏に人間愛が流れています。読後の爽快感が忘れられません。

八丈島では團伊玖磨氏を誇りにしています。2002年の没後一周忌に團さんの別荘を公開し、遺品や著作を展示しました。島に昭和6年から続いている地方新聞、「南海タイムス」の2002年5月31日の掲載写真を示します。別荘内の書斎や著作の展示の写真です。尚、一番上の八丈島の風景写真は1月25日に私が撮影したものです。

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人

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上の写真2枚の出典は、http://www.nankaitimes.com/ です。


春、趣味の散歩のいろいろ(4)都会の中のオアシスを歩く

2009年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

JR恵比寿駅から、長い長いスカイ・ウオークの動く歩道をゆっくり歩き、行きつくところがエビス・ガーデン・プレースです。恵比寿ビールの工場跡に広々とした広場を作り花々が植えてあります。流れる大きな池に大きな円盤を浮かせ花で覆い、浮島が作ってあります。幾つも花の浮島が風でゆらゆら動いている様子に心が休まります。

先端流行の女性のファッションを並べた三越もあります。恵比寿ビールの生ジョッキとジャーマンソーセージ・ザウワークラウトを楽しむことも出来ます。

ここで高校の同窓会をします。昨日はその下相談会がありました。会の始まる前に行き、1時間以上もブラブラ散策を楽しみました。都会の中のオアシスの散歩も良いものです。

今日も皆さまのご健康と平和をお祈りいたします。   藤山杜人

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