その釜戸に鉄の大鍋を架ける。煙突状の下の火口に杉の枯葉を入れて火をつける。しばらくすると、おが屑の表面に火が移り鍋の底を熱する状態になる。
まず鍋に天ぷらに使用した残り油を少々入れる。熱せられた鍋から煙が出るのを見計らい、準備した野菜類を入れて炒める。しばらく炒め、水を鍋に8分目まで入れる。その際唯一の調味料の煮干(乾燥した小いわし)を入れ、木蓋をしてから煮あがるのを待つ。30分程度はかかったたろう。
その間に、「おきりこみ」の作業に取り掛かる。指に力を入れ粉をまとめて行く。こね鉢の中で粉がまとまり、大きな玉が出来上がるのに20分以上はかかったろう。
次に麺場板(めんばいた)に練り玉を移し、延ばす作業に入る。やや固めの玉を平たくするには、また力が必要だ。その前に玉を布とむしろに包み、自分の足で踏むのだ。これは時間のある時以外は出来なかった。この方法は現在でもプロの職人はやっている。この作業は10分はしないと駄目。
その後麺場板の上で麺棒を使い平たく延ばしてゆく。初めはなかなか上手く延びないが、何回かやっているうちに意外によく薄くなって行く。
麺場板いっぱいに薄く延ばした物を、麺棒に巻きつけたまま、麺棒にそって包丁をいれる。すると幅15cm位の板状の練り物が出来上がる。
それを5ミリ位の太さに切ってゆく、これが「おきりこみ」だ。
鍋の具の煮えたころあいを見計らって、「おきりこみ」を鍋に入れる。
しばらくすると、「おきりこみ」が煮上がって表面に浮いてくる。
そこで醤油を入れる。これはいつも目分量だ。鍋いっぱいにはこの位と毎日のことなので作業として覚えているのだが、味は必ず確認する。
何時だったか親父が作ったことがあったが、電灯のない土間での作業なので、醤油と酢を間違えて入れ、作り直すことがあった。
具にも家族の中で好き、嫌いがある。にんじんは親父や妹は好きだが、私は全く駄目、ねぎは親父が嫌いだが、私は好き。概していもがらは誰にでもすかれた様だ。お互い辺りさわりのない具に落ち着く。
固めの「おきりこみ」は煮上がるまで時間がかかる。
出来上がって、釜戸から鍋を降ろす際にに注意が必要、鍋いっぱいの「おきりこみ」は、兎に角重い。鍋の弦に両手の指を絡ませ、釜戸から引き上げるのだが、満杯の鍋。しかも火から下ろしたばかり、一度釜戸の上部の端にゆっくりと置き、バランスを確認しながら板の間へ運ぶ。
上手に持たないと途中で熱い汁が毀れるのだ。
一度、釜戸の脇でバランスを崩し両足の甲に汁をかけてしまったことがある。手を離すことが出来ず、何とか板の間に置くことが出来たが、甲は火ぶくれ状態になり、たいした手当てもせず、一晩苦しみ、あくる日学校を休み病院へに行き手当てをしてもらった事がある。医師は甲のひぶくれ部分をピンセットではさみ全部はがしてしまった。その痛みは大変なものだった。今でも当時の傷跡が僅かに残っている。
私の作った「おきりこみ」は、家族の誰からも不平は出なかった。仮にあっても物のない当時のこと、皆我慢していたに違いない。
そんな経験をする中、中学、高校を終えたが、「おきりこみ」を作ることは決して ’いや’ と思ったことはなかった。
成人してからは「おきりこみ」を作る機会はなく、現在に至っているが、もう一度作って見たいとも思うことがある。(完)== 平成24年2月28日記==
横山さんへ:
しみじみとした随筆の転載をお許し下さいましたことへ感謝いたします。
後藤和弘(藤山杜人)
ムニ神父さんが、四日市の教会で司祭をされていた時に、朝のミサでの従者をする為、自転車でよく教会に通いました、小学生の時ですが、ミサが終わった後にはアメリカの切手をいただき、今でも大切に保管をしています。
もう私も60を過ぎ、遠い昔の思い出ですが、神父さんたちと琵琶湖へ行ったり教会でのたくさんのイベントとあの笑顔がいまだに忘れられません、ムニ神父さんの近くに行くと甘いパイプ煙草の匂いがして、その影響か今では私もパイプ煙草を愛用しています。
今は横浜に住んでいますので、近々お墓に行きたいと思います。
懐かしい、ムニ神父さんへの色々なコメントを涙を流しながら拝見させていただきました、本当に有難うございました。
投稿 中根 | 2012/04/11 12:59
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上のコメントは、「遠い外国に眠る人々の墓」(2008年4月24日掲載記事)に対するコメントです。四日市市のカトリック教会の主任司祭をなさっていた頃の若きムニ神父の活躍は本で読んで知っていましたが、従者をしていた方からの生々しいご報告を頂き、私共も非常に嬉しく思います。中根さん、本当に有難う御座いました!
天国にいるムニ神父様もきっと喜んでいると信じています。
下の写真の右の墓が、ヨゼフ・ムニ神父様のお墓です。