絶滅危惧種の生物を保護する運動があります。私はそれを先進国の身勝手さと思っていました。食うことに困っていない人間のヒステリー的な軽薄な運動と思っていました。
生活のために森林を伐採して、材木を先進国へ売っているのです。悪いのは先進国です。先進国ではその安い材木のおかげで、立派な家に住んでいるのです。そのくせに森林伐採はいけないと主張するのです。こういうのを自己矛盾と言います。身勝手と言います。南氷洋で国際的に承認されている調査捕鯨を実力で妨害するやからもいます。
「環境保護」を「錦の御旗」のように振り回す軽薄な文化風潮が好きになれません。
もちろん「みなまた病」のような危険なことが起きるのは完璧に防止しなければいけません。人間の住んで居る場所の清潔さと美しい環境は守るべきです。
環境保護は複雑な問題なのです。深い思慮が必要なのです。
最近、私は考え込んでいます。山林の中の小屋のまわりから忽然と動物達が消えてしまったのです。キジもイノシシもシカも猿の群れもタヌキもキツネも一切消えてしまったのです。原因は近所の森林伐採です。大規模な伐採です。写真を示しながらご説明いたします。
上の写真は小屋の窓からみた光景です。人の手の入っていない混生林が取り囲んでいます。この窓からキジや猿の群れが見えていました。夜にはイノシシが庭を掘り返してミミズを探していました。たまにはタヌキやキツネがひっそりと歩いていました。いろいろな野鳥が木々にとまって囀っていました。
それが先月行ったら消えてしまっているのです。
近所を歩いてみたら広い範囲の森林が伐採されているのです。下に示します。
この伐採は昨年の秋から始まっています。数km四方の広範囲の森を完全に伐採しているのです。動物の消えた理由はけたたましいチェーンソーのエンジンの響きではないかと思います。その不吉な音は山々に木霊し、一日中絶えません。毎日響いて居ます。動物達はこんどは人間達が本気で殺しに来たと悟り、山奥に逃げて行ったのでしょう。広く開けた土地には動物達が身を隠す木陰さえ残っていません
動物達が消えた、この現象は良いことでしょうか?悪いことでしょうか?考え込んでしまいました。
まず一番喜んだのは近所の農家です。イノシシの群れや猿の群れで畑一面が一夜にして根こそぎ食べられていたのです。柵や金網を張り巡らせても一切効果が無ったのです。イノシシを捕える罠の金網箱を幾つも配置しましたが、イノシシは捕まりません。彼等は想像以上に賢いのです。猿の群れはそれ以上賢いのです。
私は動物達が消えてしまって良かったと思います。窓の外に猿の群れや鹿が見えなくても、その淋しさは我慢すべきと思っています。
結論を言えば農業に被害を与えるイノシシ、シカ、サル、などは農村から完全に駆除すべきです。それでも、日本の山々は広大で、深く、険しいのです。そこに棲むように区別すべきです。
保護動物だからと言って農村を徘徊し、農作物を荒らす動物を保護すべきではありません。
それを殺せば犯罪になるという法律がいけないのです。農村の実情を知らない中央の役人が偽善的に、勝手に作った法律なのです。
そんな法律を野放しにしている日本の偽善的な文化や風潮に吐気を催します。これが農村の害獣被害を40年間身近に感じてきた私の本音です。
しかしものの見方はいろいろあります。是非、皆様のご意見をお聞きしたいと思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)