後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島原発の現状をドイツのテレビ局が徹底取材し、日本社会のムラ意識の弊害を暴く(1)その番組の御紹介

2012年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の原発安全神話は原子力ムラによって形成されました。政治家・官僚・産業界・学者が強固に結びついた団体です。たとえ原発の危険性を指摘する人がいても弾圧され社会から排除されます。

福島原発を徹底的に取材し、この日本独特の原子力ムラの悪を暴いたドイツ人の記者がいました。ジーベルト311(sievert311)という仮名でその取材結果をインターネットで全世界へ流しています。

そして「フクシマのうそ」と題するテレビ映像を制作し、3月19日にドイツのZDFとうテレビ局から放映されました。

考えて見ますとムラは原子力だけに限りません。すべての産業分野にわたって分野ごとに形成さています。政治家・官僚・民間会社・学者が自分達の特権と利益を拡大する為に団結して行動するのです。

まさしく日本社会の恥部です。

今回、放映されたドイツのテレビ番組「Fukushima Luge」は将来の原子力発電を考える上で重大な問題を提起しています。そして原発問題だけでなく「何故、社会正義は無視されがちなのか?」という問題へも繋がって行きます。

そこでこのブログではテレビ番組「Fukushima Luge」に関して、何回かに分けてその意義を考えて行きたいとおもいます。

今回はその番組の動画のURLの御紹介だけを致します。以下をご覧下さい。

動画には日本語の字幕がついていますので、まず動画をザッとご覧下さい。

その後で動画の逐語訳をお読み下さい。動画の逐語訳は導入部分だけ以下に示しますが、全文は以下のURLから読むことが出来ます。

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2012319日にZDFから放映されたドイツのテレビ番組の「フクシマのうそ」は無断転載、拡散歓迎と言うことなので、私のブログにも載せます。取材記者はジーベルト311と名乗っています。(sievert 311

下記URLにビデオもあります。


http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html

(逐語訳の和訳全文: http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html

Part 2:ドイツZDF フクシマのうそ Part2 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uOgoZDDsRkc

=====以下が動画の導入部分の日本語訳です=========

我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう
防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。


東日本大震災のすべての死者の鎮魂のために咲く日本の桜花

2012年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

大震災から1年1ケ月が過ぎました。遅い今年の桜も満開になりました。もう散ってしまった地方、これから咲く地方といろいろですが、今年の日本中の桜花は東日本大震災のすべての死者の鎮魂のために咲くと思っています。そう信じています。

年寄りだけが亡くなったのではありません。大川小学校などの子供達、他人を助けようとして亡くなった若い消防団員達、津波警報を伝えるマイクを握ったまま市役所で津波に流された若い女性、中国人研修生を全員助けた後津波にさらわれた会社の幹部、働き盛りの中年の人々。

家族がばらばらになった人々も多いのです。もっともっと生きていたかったに違いありません。

無念です。悲しいです。

今年の桜を見るとそういう人々のことが想い浮かんできます。もし桜木に心があれば彼等も悲しんでくれているでしょう。いや日本中のすべての桜木が犠牲者の鎮魂のために咲くのです。今年の桜見物は何か淋しい雰囲気が漂っています。

そこで、今日は死者へ供えるために植えた桜木の写真を撮ってきました。無縁仏の墓のそばにも咲いていました。今朝の多磨墓地の風景です。これらの桜木を植えた人々のやさしさが偲ばれます。

今年は多磨墓地の桜も、日本中の桜と心を一緒にして、東日本大震災のすべての死者の鎮魂のために咲くのです。鎮魂だけではなく残された家族の心を少しでもいやそうとしています。

その桜花の写真をお送りします。東日本大震災のすべての死者の鎮魂を心からお祈り申し上げます。

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下に昨年4月に掲載したボランティア活動に関する記事を再録します。

大地震・大津波、原発事故以来毎日流れる涙の原因はいろいろ

3月11日以来、毎日、胸がせつなくなって、時々に涙がながれます。

テレビや新聞の報道に感動したり、悲しんだり、怒ります。

原発はいけないと信じていても、50基の発電所は存続します。地元民がそれを支持しているのですから、どうしようもありません。悲しい現実です。

しかし目を転じて、被災地を支援するボランティアの多彩な活動ぶりを見ると感動します。胸が熱くなります。特に学生や若者の活動に心強さを感じ、日本の将来に安堵します。心が明るくなりました。

ボランティアの活動は組織だっていて被災者のニーズに合わせてタイムリーに助けているのです。ボランティアが行っても被災者へ絶対に迷惑をかけないように細心の注意をしています。

大学生はお金が無くて交通費や現地での宿泊費がありません。しかし労働力はあります。そこでお金のある社会人のボランティア組織と共同して労働力だけをニーズに合わせて提供しています。そのチームワークに感動しています。

ある学生ボランティアグループは被災地で家族のアルバムや故人の遺影を探し、持ち主へ手渡す作業だけをしています。あるいは行方不明になったペットだけを専門に探すグループもいます。

東京のラーメン屋さん達が結集して温かいラーメンを現地で作り、何千食も提供しました。

このような感動的な支援の話を書いて居たら何枚もの原稿用紙が必要になります。しかしもっと感動した事はボランティアへ行った若者が言っていたことです。「助けに行った我々がいつの間にか逆に励まされていた」という言葉です。苦しい重労働に負けて暗い顔をしていたら、被災者に温かい飲みものを貰って涙が流れたという体験を語っていました。家族を失った被災者でも他人を思いやる優しさを持っているのです。底知れぬ勇気を持っているのです。人間の凄さ、良い意味での凄さに感動します。

そして世界中の人々からの支援で私の心を熱くなります。

一つだけ書いて終わりにします。宮城県の女川町のある工場で働いていた20名の中国人をその会社の常務だった佐藤 充さんが高台へ誘導して助けたのです。そしてもっと多くの人々を助けようとして低い町へ降りていって津波に流され死んでしまったのです。女川町では合計9つの会社で54名の中国人が働いていました。しかし全員が無事に、帰国したのです。

佐藤 充さんは中国の新聞に大きく「英雄」として報道されたそうです。

そして54人の中国人を派遣した大連の中国の会社の代表者、王 軍さんら5人が昨日女川町を訪問したのです。感謝の言葉を話し、54名の中国人の働いていた9つの会社全てに義捐金を渡したのです。

下の写真は被災地の現状と、ボランティア活動をしている人々の写真です。

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明治初期の西洋技術導入の現場、富岡製糸場(2)明治の女は偉かった!

2012年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

明治政府の役人だった渋沢栄一の計画は全国に西洋式の製糸工場を作り、絹織産業を盛んにし、欧米へ大々的に輸出しようという壮大なものでした。それを明治政府の財政基盤の中心しようとしたのです。

その為に早急にフランス人13人を招んで、群馬県の富岡にフランスの製糸機械を導入し富岡製糸場を開業したのです。それは明治5年のことでした。

この製糸工場の目的は全国から女工を集め、技術を習得させることだったのです。ですから技術を覚えた女工達は出身地に帰って、その出身地の製糸工場の指導者になったのです。

明治の女性は日本が独立国家になることの重要性を自覚し、各地から富岡に馳せ参じたのです。その出身地は群馬、埼玉、長野、神奈川、栃木、茨城、新潟、東京、山形、宮城、青森、岩手、静岡、愛知、岐阜、石川、京都、兵庫、滋賀、大阪、奈良、島根、鳥取、山口、徳島、大分、長崎、北海道でした。その総計は明治6年には556人でした。

その中の一人の和田 英(旧制、横山 英)が長野に帰り、技術指導をしている時に書いた「富岡日記」が当時の女工たちの向上心について書いています。

・・・「私ども一行は皆一心に勉強しておりました。・・・何を申しても国元へ製糸場が立ちますことに成っておりますから、その目的なしにいる人々とは違います。・・・・その内に一等工女に成る人があると申す大評判があり、西洋人が手帳を持って、中回りの書生や工女といろいろ話して居りますから、中々心配で成りません。・・・その内に呼び出されました。横田英一等工女申しつけ候事。・・・呼び出しの遅れた人は泣きだしまして、えこひいきだの、顔の美しい人を一等にするだとさんざん申して・・・。」・・・

富岡製糸場は明治政府がまだ週休制をとる前から日曜日は休み、労働管理はフランス式でした。年功序列は一切無しで、良質の絹糸を沢山作った女工が昇給するという能率主義でした。女工たちは技術だけでなく工場の労働管理、昇進制度なども習得して日本各地の製糸場へ散って行ったのです。下に富岡製糸場で撮って来た写真をお送り致します。

明治の人々は偉かった。昭和の軍部は馬鹿だった。こういう言い方をよく聞きますが、明治の女性は偉かったのです。

明治育ちの私の祖母も家内の祖母も偉かったです。気概があって意気に燃え、それでいて滅法優しかったのです。最近はそのような女性は居なくなりました。男性が駄目になったから居なくなったのでしょう。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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