タイタニックという映画があり、多くの人がご覧になったと思います。
美しい恋物語と豪華客船の沈没という悲劇をからませた娯楽作品です。娯楽作品としては大変良く出来ています。それまでも何度も映画化され、ドキュメンタリイ、小説も多く書かれています。
昨日はその建造地の北アイルランドのベルファストで沈没100年目の慰霊祭があったそうです。
インターネットにはタイタニック号のいろいろな情報が沢山あります。
犠牲者のリストもあります。先日NHKテレビがタイタニックの1等客、2等客、3等客の生存者が、それぞれ65%、45%、25%であったと報じていました。
710名の3等客には救命胴衣も用意してなくて、救命ボートのある上層デッキに通じる鉄扉に鍵がかかっていたことも報じてしました。一部の乗組員は3等客も助けようとしましたが、海運会社の方針として3等客のための救命胴衣や救命ボートは用意していなかったのです。
非常に高価な乗船料金を払った1等船客を優先して救助することが当然だったのです。3等客は死んでも仕方がないのです。
これがタイタニック建造当時の1912年のイギリス社会の常識でした。1912年と言えば1915年に始まる第一次世界大戦の直前で、イギリスの絶頂期でした。
このような階級差別の徹底ぶりは横須賀に展示してあるイギリス製の戦艦、三笠の内部構造を見てまわると良く分かります。艦長室は立派なバス・トイレ付きです。将校室は個室です。水兵の居室には窓もない雑魚寝です。もっと悲惨なのは船底の蒸気機関のためのボイラー室です。何十人もの石炭くべが真っ黒になって昼夜働いていたのです。映画タイタニックにも一瞬その石炭くべの光景が出てきます。
タイタニックの華やかな一等船客の広いラウンジンの下には地獄のような石炭炉が燃え盛っていたのです。
イギリス社会は産業革命以来、貧しい悲惨な労働者階級が急に出来たのです。それこそが当時のイギリス社会の闇でした。暗黒でした。タイタニック号も例外ではなかったのです。
しかしこのイギリスの闇を打ち消すような輝きもあったのです。
艦長が船と運命を共にしました。
乗組員が救命ボートの操作と子供と女性の優先避難を短銃を構えながら整然と進めたのです。
乗客も立派でした。聖歌を歌いながら沈んで行きました。
楽団は室内楽を奏でながら船と運命しました。
そして船底で働いていた機関長とボイラーマンたちは静かに自分たちの義務を最後まで続け、浸水するボイラー室の中で発電機を最後まで動かしていたのです。発電が止って、巨大なタイタニックが真っ暗になれば客は避難も出来ません。停電したのは沈没と同時だったといいます。機関長と機関員、そしてボイラーマンが命をかけて客が困らないように電気を送り続けたのです。
これこそがイギリスの栄光を守ったのです。イギリスのシーマンシップなのです。
ボイラーマンの出身地はイギリスのサウザンプトンでした。後にイギリス国王が機関長と機関員、そしてボイラーマンたちを正式に表彰し、彼等の犠牲的精神を讃えたのです。
そして余談になりますが、イギリスのシーマンシップは日本の海軍も導入したのです。横浜には英国製の帆船日本丸が公開展示してあります。見学するとこのイギリスのシーマンシップが実感できます。
映画タイタニックは架空の恋物語が中心の娯楽作品です。しかし当時のイギリス社会を描き出す貴重な証言者なのです。そのような角度からタイタニックのことをいろいろ検索して調べると興味深いと思います。
それはそれとして、
今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)