後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

後期高齢者は白樺林がお好き?

2012年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

後期高齢者とはまったく不愉快な呼び名だとは思いませんか?

無神経な役人が75歳以上の人を勝手に分類してそういう名前をつけたのです。前期高齢者と後期高齢者の違いは何でしょうか?

後期高齢者は間もなく旅立つ人々ですと言わんばかりです。役人は偉いから何と呼んでも良いと思っているのです。そういう不愉快な名前を一切使わずに、「75歳以上の人」と言えば良いのです。

実は私も後期高齢者なので怒っているのです。

しかし感情的にならないで考えてみると後期高齢者は戦前の生まれで、戦後育ちです。国家の復興のためにつくす事が大切だと教わって成長しました。

そして戦後の流行歌や松竹や日活の映画に囲まれていました。

その中で、「山の淋しい湖」とか「白樺林」というような言葉が盛んに出て来ます。

それらは後期高齢者の意識に焼きついています。憧れの風景になってしまったのです。

一昨日、蔵王温泉ホテルに泊りました。ふとレストランの外を眺めていたら美しい白樺林があったのです。経営者が植えたものに違いありません。

何となく嬉しくなって写真を撮ってきました。

後期高齢者の方々にお楽しみ頂くようにと以下にお送り申し上げます。

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山形城、米沢城を訪ね歴史を想う(続き)

2012年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

さきにも書きましたが、学校で習う歴史は富国強兵と統一国家の建設に都合の良い歴史観で整理したのもです。明治政府や昭和の政府にとって都合の良い歴史だけを教えます。

この偏狭な歴史の教え方は日本国内の歴史の教え方に限りません。世界史を教える時、イスラム圏の国々の歴史を軽視します。欧米の歴史もあくまでも統一国家という考え方を強調して教えます。

ドイツは「ドイツ」という一つのまとまった国として教えます。

昔、ドイツの南部に1年半ほど住みついていたことがありました。住んで見て分かった事ですが、ドイツは昔の王国や独立都市から出来上がった「連合国」なのです。

バエルン王国、シュバーベン王国、ホーエンツェレン王国、バーデン王国、ブルツェン王国、そして南部の人々が外国のように感じている北ドイツの王国。北海沿いのハンザ同盟の独立都市。王国の保護を受けた半分独立した都市国家。このような昔の歴史や地方文化が現在でも息づいているのがドイツという国なのです。ドイツは決して中央集権国家ではないのです。

下に一例としてバイエルン王国から保護さていたローテンブルグ・オプ・デア・タウバーの写真を示します。

まずこの中世の都市の独立を守るための城壁の写真です。私自身もこの古い町に3ケ月間住んでいたので、よくこの城壁の上にある回廊を散歩したものです。

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観光客は勝手に車を駐車して、城壁に登り、回廊を巡り歩きます。

この高い城壁の数か所には頑丈な門があり、その内側には下のような町が出来ています。

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町の中心の広場の前には下の写真のような市庁舎があり、この町を治め、周りのいろいろな王国との外交を賢く進めて独立を守っていたのです。

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ヨーロッパの歴史を学校で教えるとき、明治政府も昭和の政府も統一した国家が存在していたことを強く教えます。日本の国内を団結させて、日本の富国強兵を迅速に進めるためでした。

それは日本が欧米の植民地にならないためには仕方が無かったのです。

しかし、そのような歴史の教え方や歴史観が現在でも横行しているのです。

人々がその事を自覚するように願っています。祈っています。

それが出来れば日本はもっと、もっと幸多い国になると信じています。

(終り)


山形城、米沢城を訪ね歴史を想う

2012年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

山形城は霞城(かじょう)ともいい、慶長年間に最上光義によって建造された壮大な規模の城でした。しかし江戸時代になり最上光義が転封になり、その後は何度も藩主が変わりました。現在の山形市民は最上光義だけを誇りに思っていて、城跡には立派な騎馬姿の像が独り立っています。山形市は村上地方にあります。

村上から高い山越えの峠を越すと、そこは置賜盆地で、江戸時代の米沢藩になります。朝日連峰の東に広がる盆地の南部に米沢城がありました。

米沢城は謙信以後の上杉家の度重なる不運により、35万石に減らされ、会津に転封になります。そしてさらに米沢に転封になり、15万石に減らされます。しかし上杉家は領民を大切にする善政を明治維新まで続けました。特に第9代目の上杉鷹山は江戸時代屈指の名君として、地元の殖産興業を進め、藩財政を立て直したことで有名です。現在の置賜地方の人々は上杉家を誇りに思っていて立派な神社や資料館や記念碑が沢山あります。

忠臣蔵の悪役の吉良家からお嫁さんを迎えた藩主が居たので、米沢の人は決して「忠臣蔵」という言葉は使いません。「赤穂事件」と言います。

日本の地方、地方を旅すると昔の歴史が今でも息づいているのです。そして地方の人々は学校で習う歴史とは違う見方をした歴史観も持っているのです。

私自身は伊達正宗の築いた仙台の城下町に生まれ育ったので関ヶ原や明治維新の時の伊達家の運命から見た歴史観も持っています。

このようなことは日本全国の全ての地方にあると信じています。

学校で習う歴史は富国強兵と統一国家の建設に都合の良い歴史観で整理したものです。明治政府や昭和の政府にとって都合の良い歴史だけを教えます。

そんなことを想いながら山形城跡や米沢城跡を散策して来ました。皆様の住んでいらっしゃる地方はどのような歴史があるのでしょうか?

下に今が盛りと咲き誇っている山形城跡の桜花の写真をお送りいたします。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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