第二次世界大戦で日本の敗北がほぼ見えたころの1943年11月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相と中華民国の蒋介石総統の3人がカイロで会議を開き、日本の敗戦後の領土を決めたのです。
台湾と満州は中国に返し、第一次大戦後に日本へ与えられた太平洋の委任統治の島々を日本から取りあげ、朝鮮は独立国にするという決定がなされたのです。
この決定事項は日本が受諾した「ポツダム宣言」の第八条にそのまま継承されたのです。
そしてヤルタ会談で、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相はソ連のスターリンへ参戦すれば南樺太と千島列島を与えると秘密裡に約束したのです。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87)
ソ連は日本の終戦の数日前に参戦し、満州を占領したので約束通り、南樺太と千島列島を領有出来たのです。
北方領土問題は米英ソの秘密協定が原因になっているのです。
安倍総理が盛んに主張している「戦後レジームからの脱却」を深く理解するためにはポツダム宣言だけでなくカイロ宣言とヤルタ会談の極東に関する秘密協定をもう一度読む必要があると思います。
以下の参考資料のカイロ宣言を示しました。関連の写真も下に示します。
===参考資料、「カイロ宣言」とは?=================
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80
カイロ宣言(カイロせんげん、Cairo DeclarationまたはCairo Communiqué)は、第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言。連合国の対日方針などが定められた。
対日方針を協議するため1943(昭和18)年11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。
蒋は会談で、ルーズベルトの問いに答え、天皇制の存廃に関しては日本国民自身の決定に委ねるべきだと論じた。米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。
カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
以下はカイロ宣言の日本語訳です(一部、翻訳されていません)。「日本外交年表並主要文書」下巻、外務省編(1966)から転載しました。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ 各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」
上の写真はカイロ会談にのぞんだ蒋介石、ルーズベルト、チャーチルの三人の写真です。
下はヤルタ会談に臨んだ左からチャーチル、ルーズベルト、スターリンの写真です。