後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦後の日本の領土を決定したカイロ宣言を読んでみよう!

2014年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

第二次世界大戦で日本の敗北がほぼ見えたころの1943年11月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相と中華民国の蒋介石総統の3人がカイロで会議を開き、日本の敗戦後の領土を決めたのです。

台湾と満州は中国に返し、第一次大戦後に日本へ与えられた太平洋の委任統治の島々を日本から取りあげ、朝鮮は独立国にするという決定がなされたのです。

この決定事項は日本が受諾した「ポツダム宣言」の第八条にそのまま継承されたのです。

そしてヤルタ会談で、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相はソ連のスターリンへ参戦すれば南樺太と千島列島を与えると秘密裡に約束したのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87

ソ連は日本の終戦の数日前に参戦し、満州を占領したので約束通り、南樺太と千島列島を領有出来たのです。

北方領土問題は米英ソの秘密協定が原因になっているのです。

安倍総理が盛んに主張している「戦後レジームからの脱却」を深く理解するためにはポツダム宣言だけでなくカイロ宣言とヤルタ会談の極東に関する秘密協定をもう一度読む必要があると思います。

以下の参考資料のカイロ宣言を示しました。関連の写真も下に示します。

===参考資料、「カイロ宣言」とは?=================

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80

カイロ宣言(カイロせんげん、Cairo DeclarationまたはCairo Communiqué)は、第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言。連合国の対日方針などが定められた。

対日方針を協議するため1943(昭和18)年11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。

蒋は会談で、ルーズベルトの問いに答え、天皇制の存廃に関しては日本国民自身の決定に委ねるべきだと論じた。米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。

カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。

以下はカイロ宣言の日本語訳です(一部、翻訳されていません)。「日本外交年表並主要文書」下巻、外務省編(1966)から転載しました。

「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ 各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。

三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右弾圧ハ既ニ増大シツツアリ。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スヘシ」

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上の写真はカイロ会談にのぞんだ蒋介石、ルーズベルト、チャーチルの三人の写真です。

下はヤルタ会談に臨んだ左からチャーチル、ルーズベルト、スターリンの写真です。

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この日本に住む幸せ(3)世界一豊かな食生活が楽しめる国

2014年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

世界一とは戦前、戦後の食糧難を経験した私が勝手に称しているだけで客観的な事実でではありません。それは単に個人の体験にもとずく主観的な感じ方なのです。

しかし食糧難を経験している人々は、「世界一豊かな食生活が楽しめる国」という題目に必ずや深い同感を感じるはずです。

戦後生まれでも経済の高度成長期の前、大雑把に云えば1990年以前の食生活を知っている日本人なら、この国の食生活が毎年どんどん良くなって来たことを体験している筈です。

家庭で作った料理だけを食べる食生活から、気楽に美味しいレストランで食事を楽しむ食生活に変わって行ったのです。

料理の種類も和食だけでなく、中華料理、韓国料理、フランス料理、イタリア料理、インド料理、タイ料理、インドネシア料理、そしてアメリカのハンバーガーやフライドチキンまで何でも揃っています。

このような料理の種類の多様なことだけでなく、その提供の仕方にも画期的な発明がありました。

例えば回転寿司店ではいろいろな握り寿司を回転している台の上に載せてお客の目の前に提供する方法です。これは驚くべき発明で、またたく間に世界中に広がったのです。

その上、新鮮な食材が冷凍技術の進歩のおかげで世界中から運ばれてくるのです。

下の写真は群馬県の上州牛の写真です。

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(写真の出典は、http://www.oic-oniku.com/item/pork032/です。)

肉だけではありません。新鮮な魚介類も簡単に買えます。下は私がよく行く魚屋で撮った写真です。

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この写真には北海道のホタテ貝と長崎のサザエが並んでいます。奥の方には宮城県のホタテ貝も並んでいます。冷凍運送技術の進歩のおかげで全国の魚や貝が新鮮なまま入手できるのです。

そしてノルウエイのサーモンや、アラスカやカナダのカレイや、アフリカ沖の大西洋のイカや地中海の黒マグロまで売っています。

食材が容易に入手出来るので、自分でいろいろ工夫して美味しい料理を作って、家族に楽しく食べてもらうことも出来ます。

例えば「世界の料理とレシピ」というブログ(http://cookinghiro.seesaa.net/)にはそのような手作りの美味い料理の数々が並んでいます。その中から下に、「メープルシロップチキン カナダ風」という料理に使う材料の写真を示します。

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鶏は国産ですが、ワインビネガー、メープルシロップ、クローブ、マージョラム、シェリー酒などは外国のものです。食材の輸入システムが完備しているので全て安価に入手出来るのです。

戦前、戦後の食糧難を体験している私はこの天国のように豊かな食生活に歓喜を覚えます。毎日、感謝しています。この日本へ感謝しています。

そしていまだに飢餓状態の人々が多くの国にいることに、暗い気持ちになっています。これらの国は、政治が安定せず内戦が続いているところもあります。社会が混乱していると食糧の流通が出来ないのです。終戦後の日本もそうでした。

飢餓を克服するにはまず政治的安定が非常に重要です。

しかし食糧難の原因は複雑です。インドの階級制度も原因の一つです。種々の差別も原因の一つです。その原因は複雑多岐で一朝一夕には解決出来ないようです。人類の抱える重大な問題です。

そんなことを想うと、日本という国に生まれた幸運にしみじみと感謝します。それは運命なのでしょうか。そんなことを考えながらこの稿を終わりとします。(続く)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


戦後レジームからの脱却と、憲法改正、軍備増強、そして核武装(1)ポツダム宣言に従った戦後体制

2014年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

日本は第二次大戦で米英ソ中国の4国のポツダム宣言を受け入れて敗戦の道を選びました。

戦後の日本人は完膚なきまでの敗戦で自信を喪失しました。戦争の責任を反省します。そして自虐的になりました。人間として自然な心情です。

その後、東京オリンピックの1964年頃から経済の高度経済成長が始まり、日本の国内総生産(GDP)が世界2位になり、1990年代には世界の大国になったのです。

当然、戦後の自信喪失は雲散霧消し、日本人は自信と誇りを取り戻したのです。

当然、屈辱的なポツダム宣言体制の戦後レジームをご破算にして自立した国家としての栄光を取り戻したいという潮流が流れだします。安倍総理はその潮流を敏感に感じ取って国民の支持を拡大したのです。

戦後レジームからの脱却とは具体的には憲法を改正し、軍備を増強、そして最終的には核武装をすることなのです。

安倍総理は、この具体的な目標をアメリカの同調と支援を受けながら達成したいのです。そして中国や韓国とは軍事的に対決したいのです。

この新しい社会的潮流を深く理解するために、「戦後レジームからの脱却と、憲法改正、軍備増強、そして核武装」と題する連載記事を書いてみたいと思います。

そのそも戦後の政治、教育、経済など全ての体制(レジーム)はポツダム宣言の内容に忠実に従って出来上がってきたのです。

第一回はポツダム宣言の内容をもう一度読んでみることにします。

「ポツダム宣言の内容」(http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/610.html より。)

ルーズベルト大統領、チャーチル首相、スターリン書記長、蒋介石総統の4人によって発せられた宣言は以下の通りです。

一条、われら合衆国大統領、中華民国政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣は、われらの数億の国民を代表して協議の上、日本国に対して、次の戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。

二条、 合衆国、英帝国及び中華民国の巨大な陸、海、空軍は、西方より自国の陸軍及び空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し最後的打撃を加える態勢を整えた。この軍事力は、日本国が抵抗を終止するまで、日本国に対し戦争を遂行しているすべての連合国の決意により支持され、かつ鼓舞されているものである。

三条、 世界の奮起している自由な人民の力に対する、ドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を極めて明白に示すものである。現在、日本国に対し集結しつつある力は、抵抗するナチスに対して適用された場合において、全ドイツ国人民の土地、産業及び生活様式を必然的に荒廃に帰させる力に比べて、測り知れない程度に強大なものである。われらの決意に支持されたわれらの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全な壊滅を意味し、また同様に、必然的に日本国本土の完全な破滅を意味する。

四条、 無分別な打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れた、わがままな軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御されるか、又は理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決定する時期は、到来した。

五条、  われらの条件は、以下のとおりである われらは、右の条件より離脱することはない。右に代わる条件は存在しない。われらは、遅延を認めない。

六条、 われらは、無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは、平和、安全及に正義の新秩序が生じえないことを主張することによって、日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に除去されなければならない。

七条、 このような新秩序が建設され、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証があるまでは、連合国の指定する日本国領域内の諸地点は、われらがここに指示する基本的目的の達成を確保するため、占領される。

八条、 カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される。

九条、 日本国軍隊は、完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。

十条、 われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようとする意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。 日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない 。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。

十一条、日本国は、その経済を支持し、かつ公正な実物賠償の取立を可能にするような産業を維持することを許される。ただし、日本国が戦争のために再軍備をすることができるような産業は、この限りではない。この目的のため、原料の入手(その支配とはこれを区別する。)は許可される。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許される。

十二条、前記の諸目的が達成され、かつ日本国国民が自由に表明する意思に従って平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収する。

十三条、 われらは、日本国政府が直ちに 全日本国軍隊の無条件降伏を宣言 し、かつこの行動における同政府の誠意について適当かつ充分な保障を提供することを同政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択には、迅速かつ完全な壊滅があるだけである。

戦後の日本の政治体制、教育内容、社会構造、経済活動は全て上記のポツダム宣言の第5条から第13条で要求された内容に忠実に従って出来てきたのです。

戦後生きてきた私としてその通りだったと納得できます。

私は戦後レジームの中で今後も堅持すべき内容があり、それ以外は改正すべきと考えています。

次回はこの戦後体制の何処を残し、何処を改正すべきたについて考えてみたいと思います。(続く)

=====参考資料================

(1)日本は「とてつもなく悪い国」だったか?

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi01.htm

(2)「日本の核武装論」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A0%B8%E6%AD%A6%E8%A3%85%E8%AB%96

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この日本に住む幸せ(2)人々が親切で何処へ行っても安全な国

2014年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

自慢話のようですが、私は後期高齢者です。歩く姿がそのように見えます。すると若い人々が実に親切にしてくれるのです。電車に乗ればすぐに席を譲ってくれます。買い物に行けば店の人が重いものを運んでくれます。

人々は高齢者に感動的なほど親切なのです。優しいのです。

高齢者に対してだけ親切なのではありません。弱い立場にある全ての人を助けるのです。

東日本大震災の後で、全国のボランティアが悲惨な現地へ行って人々を助け、励ましたのです。それを見て多くの人々の胸が熱くなったと信じています。

そのような大震災でなくても私も助けられたことがあります。車で遠方に行って故障したことが何度かありました。通りかかった若者が直してくれたり、ガソリンスタンドの人を連れてきてくれます。

日本で旅行中に持ち物を盗まれたことは一度もありません。外国ではよく盗まれると聞きます。

日本では夜に女性が一人で歩いても安全なのです。外国では想像もつきません。

とにかく日本では安心して何処へ行っても良いのです。

まだ現役の頃は仕事でいろいろな外国へ行きました。そして怖い思いもしました。

日本ほど安全で人々が親切な国がありません。当然のことですが次第に私の心には愛国心が湧いてきます。

日本人は清潔好きで、弱い者に親切なのです。

ですから世界中の人々から好感を持たれているのです。

イギリスのBBCは毎年、「世界の国々の好感度ランキング」の世論調査をして発表しています。下に日本が世界一だった2012年度のランキングを示します。

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上の棒グラフの左側の青い棒が「好き」です。右のオレンジ色の棒が「嫌い」です。

左の青い棒の長さを見ると1位日本、そして続いてドイツ、カナダ、イギリス、中国、フランス、アメリカ、ブラジル、インド、・・・と続きます。

このグラフの上位の国々の特徴は自国の利害を声高く主張しない穏健な国々のようです。中国はヨーロッパから見ると遠方なので、危険な国に見えないのでしょう。

上のグラフは2012年度の世論調査でしたが、2013年度では日本のランキングが4位に下がってしまいました。原因は分かりませんが日中間や日韓間の激しい論争が影響しているのかも知れません。

この安全な日本は外国人にとって魅力的な文化があります。最近はアニメやマンガが外国の若者に人気があります。

その上、古い文化を大切にして旅行者を楽しませてくれます。京都や奈良だけではありません。地方、地方の各地が大切にしているのです。

下に長野県の中山道の古い宿場町の奈良井の風景写真をお送りします。以前、私が撮った写真です。

その説明文は、遥かな旅の思い出・・・中山道の江戸時代の奈良井宿への小さな旅 にあります。

このように素晴らしい国、日本に住んでいて本当に幸せなことだと思います。日本という国へ感謝しています。私は愛国者です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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国立市、谷保の天神様の梅林

2014年02月12日 | 写真

天神様には梅林がつきもののようです。

菅原道真が藤原時平との争いに負けて大宰府へ左遷され、そこで58歳の生涯を終えたのです。

その時、道真公を慕って庭の梅の木が、京都から大宰府へ飛んで行ったのです。

飛梅伝説ですね。

京都の邸宅の庭の梅の木との別れを惜しんで詠んだ和歌が有名です。

東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな

(春な忘れそ  春を忘するな  とも)

そんなことを思い出しながら、今日は国立市の谷保の天神様の梅林を散歩してきました。その折に撮った写真を下にお送りします。

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この日本に住む幸せ(1)何処に行っても清潔な国

2014年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

下の写真は神代植物公園の芝生の広場です。中心に南米からやって来たパンパスグラスが生えています。

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よく行く公園ですが、行くたびに感動しています。樹木や池や広場の配置が良く考えてあり、散歩していると、新しい景観が次々と現れて来るのです。

感動していることはその配置の巧みさと、公園の完璧な掃除です。落ち葉が綺麗に掃いてあり、その上紙屑一つ落ちていません。

多くの大人や子供が遊びに来ますが、ゴミを捨てる人がいないのです。公園に屑籠がほとんどないのです。皆がゴミを家に持ち帰っているのです。

戦前生まれ、戦後育ちの私にとってはこのような公共の施設が清潔なことに感動するのです。そして心の底から幸せな気分になるのです。

戦後の日本の公共施設の汚さはひどいものでした。駅や電車の中は紙くずやタバコの吸い殻だらけで、その上、痰を吐く人も多く大変汚れていたのです。

公園の中のあちこちがゴミ捨て場のようでした。

それが少し綺麗になりかけたのが1964年の東京オリンピックの頃からです。

清潔になったのは公園だけでないのです。今や日本国中、津々浦々どこに行っても綺麗に掃除されているのです。下の写真は山梨県の八ヶ岳の下の農道の景観です。

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舗装道路の右側が水田です。しかし道路には藁屑一つ落ちていません。はるか遠くに白っぽい家が2、3軒見えます。しゃれた別荘ふうの家々ですが水田農家の家なのです。日本中の農村が清潔になったのです。掃除が完璧なのです。

このような掃除の行き届いた景観には感動します。

山に登っても登山道にゴミが一つも落ちていません。

海に遊びに行っても海岸が綺麗に掃除してあります。

このように掃除が完璧な国に住んでいる幸せに感謝しています。このような国にしてくれた全ての先人たちへ感謝しています。

戦前、戦後の日本の汚さを知っている私にとっては幸福感で身が震えるのです。

どんな国でも良いところもあれば悪いところもあります。日本の良いところを書き、感謝すれば幸せな気分になります。読んで下さる方々も幸せな気分になります。

そこで今日から、「この日本に住む幸せ」と題した連載記事を書き始めました。

読んで下さった方々が幸せな気分になりますように祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


梅の花、そして崖の上の雑木林

2014年02月11日 | 写真

久しぶりに雪が降り、雪のある風景が珍しく、あちこちで出歩いています。

昨日は小金井公園の梅林、そして今日は稲城市の医王寺裏の崖を見に行きました。

梅の花はまだ咲き出したばかりですが、木によっては満開のものもあります。

そんな梅の花の写真と崖の上の雑木林の写真をお送りします。

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雪の都立小金井公園

2014年02月10日 | 写真

道路の雪もだいぶ消えて車が通れるようになりました。

広々とした雪原の写真を撮ろうと小金井公園へ行ってきました。

北国の雪原を思い出しながら意味も無く歩きまわって来ました。

梅林に梅がチラチラ咲いていました。爽快な気分です。

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田母神氏の得票59万票が暗示する日本の右傾化

2014年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の東京都の知事選挙は、舛添氏が198万票、宇都宮氏が94万票、細川氏が91万票、そして田母神氏が59万票でした。(得票数は千の位で四捨五入しました)。

いささか人徳はありませんが、バランス感覚のよい、そして頭の回転の速い舛添氏が都知事になることを有権者が選んだのです。

いろいろな問題のある都政を見事にさばいて、2020年の東京オリンピックを成功させる有能な都知事になると信じています。

さて問題は田母神氏の59万票もの得票数です。

選挙妨害になってはいけないと思い、今日まで書かなかったのですが、彼は現在日本で一番活躍している右翼運動家なのです。

日本の右翼化の為に数多くの本を出版し、右翼思想の普及のために全国各地で精力的に講演会をしている方なのです。

誤解しないで下さい。私もどちらかと言うと右翼が好きです。右翼が悪いと簡単には断罪しません。問題は右翼的意見や信条の具体的な内容です。そのことは稿を改めて書いていきたいと思います。

さて話を田母神氏のことに戻します。

私も彼の選挙運動の様子や演説を何度もテレビで見ました。義理人情に篤く、誠実な人のようです。話も上手で人々を魅了します。

土砂災害のあった大島を訪問し、犠牲者の墓に頭を下げていました。その様子には演技ではない本気の祈りが感じられたのです。

気さくで、ユーモアのある田母神氏のそのような一面に魅力を感じて投票した人々も多かったと思います。

私も親しみを感じましたが彼には投票しませんでした。

東京都の都知事の立場を右傾化運動に利用されたくなかったからです。

さて彼の演説会の様子の写真を下に示します。

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(上の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E%E4%BF%8A%E9%9B%84です。)

上の写真を見て後期高齢者の私はさきの戦争中の大政翼賛会の演説会の様子を思い出したのです。

巨大な日の丸。扇動的な垂れ幕の文字。それらに囲まれた演台で田母神氏が熱弁をふるっているのです。

彼の演説内容は以下の資料から想像がつきます。

======田母神氏に関するWikipedeaより抜粋========

憲法9条に関する発言

田母神は2008年11月に第170回国会参議院外交防衛委員会に参考人招致された際、「集団的自衛権を認めるべき」とする改憲論を述べていた。また質問にたった浅尾慶一郎に「集団的自衛権の行使を認めるべきだという趣旨で書かれたのではないということですか」と問われたのに対し、田母神は「特にそこまでは訴えておりません」としつつも「国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がいいと思います」という答弁をしている。

2009年5月2日に日本青年会議所大分ブロック協議会で開催された護憲派、改憲派による憲法タウンミーティングで、改憲派として参加した。ここで田母神は現行憲法を「何がやりたいか明確でなく、自分の身も守れない永久子ども憲法だ。今のままでは国益を守れない」や「軍人は好戦的と言われるが、自分の部下を死なせたくないから、戦争には慎重だ」と述べ、「憲法9条に『陸海空軍はこれを保持する』と書いたらいい」など日本の現状に即した独自の改憲論を主張した。

広島における講演騒動

日本会議広島支部(会長・松浦雄一郎広島大学名誉教授)の主催で2009年8月6日の原爆忌当日に広島市中区のメルパルク広島で「ヒロシマの平和を疑う」との題目で講演を行うことが計画された。これに対し6月29日に広島市長の秋葉忠利は、日本政府に核武装を主張している田母神が原爆の日に被爆地で行う講演を問題であると講演日程の変更を求め、正式に田母神側に要請書を送付した。

これに対し主催者からは、「とても過激な過剰な反応だと思う」「あたかも圧力をかけるようなやり方は理解できない」などと反発し、「話を聞く前から拒否反応をするのは間違っている」や「核武装の議論をするが、核武装を主張するための講演ではない」と反発したが、田母神が6月20日に広島の新聞社に対し「核兵器は絶対に使われることのない兵器だが、持つか持たないかで国際的な発言力は全然違う。日本のために核兵器を持つべきだと考えており、講演ではそこに触れる事になると思う」と、講演で核武装論に触れる予告をしていたことが明らかになった。

講演は予定どおり8月6日に開催され、当日は会場に入りきらず別室でモニターで視聴したものを含め主催者発表で1400人が集まったが、講演会ではジョークを交えサービス精神旺盛なところを見せて持論を主張した。その中で核廃絶は夢物語であり無理であるが、核保有国は報復が恐ろしいので使用することはないだろうと核抑止についての講演を行った。

福島第一原子力発電所事故に関する発言

東京都で2011年7月末に開かれた『福島支援シンポジウム』で、菅内閣の原発対応に対して「危ない危ないと言われるが、実際そんなに福島の放射線は危なくない。原発の上を飛ぶカラスが落ちましたか。原発近くの海で魚がどんどん浮きましたか。危なくないということがだんだん実証されてきている」と述べている。そして、福島第一原子力発電所の放射線の危険性に疑問を投げかけ、「私は原発推進派。一流の国を目指す上で原発は必要」と主張した。また、稲恭宏の「自然界の世界平均の数倍から数十倍くらいの極低線量率放射線・極低レベル放射能は人間や各種生物の生体機能にとって有益である」とする学説を頻繁に紹介し、当時の民主党政権による福島県民への強制避難指示を「平成の強制連行」と主張している。 なお、これらの考えをきっかけに、原発に批判的な考えを持つ小林よしのりとは、対立することになった。その後も、「福島の『汚染水』レベルの水は欧米では飲食用水なのです。これも情報戦です。」との見解を述べている。また、福島県の放射能避難者に対しては「人の支援を得て避難することが当然という風潮はおかしい。自分で勝手に避難しろと言いたい。甘えるな。」と述べている。

・・・・・以下省略。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E%E4%BF%8A%E9%9B%84をご参照ください・・・・

この記事で言いたい結論を書きます。

「田母神氏の今回の59万票の得票数は日本社会の右傾化現象を示しているのです。」

日本が本当に曲がり角を曲がりつつあるのです。私は喜びも悲しみもしません。これが厳粛な歴史なのです。国民が選んでいる社会現象なのです。


木内山荘の大雪と越冬生活

2014年02月09日 | 写真

山梨県の甲斐駒岳の山麓の雑木林の中に木内山荘があります。

もう何十年も一人で山荘の生活を楽しんでいます。私にブログの作り方を教えてくれた方です。

昨日の大雪のあとの写真が彼のブログに数枚掲載されましたので、2枚だけお借りして以下に示します。

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上の家は木内さんがご自分で作った2階の部屋です。

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上の写真は庭に流れる沢の上に架けた手作りの橋です。

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上の写真が甲斐駒岳です。

なお興味深い越冬生活の様子は、http://sizen068.blog95.fc2.com/ にありますので、是非ご覧になってください。以下にその抜粋を添付しておきます。

山の中で独りで暮らしていますが、いつも意気軒昂なのです。

元気を貰えます。(終わり)

===越冬生活=====

・・・・越冬生活も半分を超えたようです。よくブログに越冬生活と書いたりしますが、寒い冬を皆も乗り越えているので、あえて越冬生活と書く必要はないと思っている人もいると思います。

我家は一冬で灯油は10缶、180㍑しか用意しませんので、殆どが暖房無しの生活をしています。室温1-5度が生活温度なのです。

薪ストーブもありますが、夕食の支度に1時間ほど燃やすだけ、後は別の部屋ですぐ寝床に入ってしまいます。電話1本で灯油を届けてくれる場所と違い、我家は自動車が入らないのです。ジムニーとか軽トラックは入れますが、普通乗用車だと130メートルも灯油を持って運ぶ事になります。

自分で運べないため弟などに頼みますが、10缶が頼める限度です。

なにしろ冬は耐え忍び春の来るのを待つだけの生活です。

晴れれば、サンルームに逃げ込み、曇などの寒い日は昼でも寝床に逃げ込みます。

寒地で1ヶ月灯油2缶は厳しいが後1ヶ月半の辛抱です。

でも、慣れとは凄いですね、12月頃寒くて我慢できなかったが、2月には同じ気温でも我慢できるようになってきます。・・・・


大雪のあした

2014年02月09日 | 写真

雪国の人たちには笑われるでしょうが、昨日の関東地方の雪には吃驚しました。

夜中までしんしんと降り続けていた雪です。

ところが、なんと今朝は快晴です。

屋根の厚い雪がどんどん融けていきます。車もソロソロと動いています。近所の人たちが大人も子供もなにやら楽しそうに雪掻きをしています。

しかし、雪の多い地方では何日も何日も降り続くのでしょう。

掻いても掻いても道に積もり、降ろしても降ろしても屋根に積もるのです。太陽の光も暖かさにも恵まれぬ日々なのでしょう。

神様は何故公平でないのでしょう。

本当にこの世は苦しみや悲しみが絶えません。

そんなことを考えながら下の写真を撮りました。

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狭量な冬季オリンピック報道姿勢を悲しむのは私だけでしょうか?

2014年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

ソチで開催されている冬季オリンピックのテレビ報道を長時間見ています。

ところが昔あった滑降とか大回転とかクロスカントリーのテレビ報道がありません。

つまるところ日本選手がメダルを取る可能性の無い競技種目については報道がないのです。

しかし古い人間にとって、冬季オリンピックの醍醐味はスキーの滑降や回転、そしてクロスカントリーにあると思っています。

そこで英語で、Sochi Olimpic を検索してみると昔あった競技種目がちゃんとあるのです。

そして公平に万遍なくその競技開催日程や競技場が明快に出ています。そしてそれぞれの競技種目の優勝候補者の紹介記事もあるのです。

日本人がメダルを取れそうなフィギュアスケートやジャンプやモーグルだけのテレビ報道を見ているとなぜか悲しくなるのです。

自分のことだけに関心があるという人間の矮小な性質を賛美しているような報道姿勢に悲しい思いがするのかも知れません。

開会式のロシア文化のいささか大げさな自慢ぶりに、ついスターリンの大粛清を連想してしまいます。 それにしてもソ連も良い時代になったと嬉しく思います。

それよりも下のソチの背後にある雪山の連峰をご覧下さい。

「温暖なリゾート地」という決まり文句を繰り返すテレビは、その背後にある険峻な雪山を丁寧に報道すべきではないでしょうか。

Sochiolympicvillagerendering1

険峻な雪山が近くにあるからソチが冬季オリンピックの場所に選ばれたのです。

それにしても、偏狭な報道姿勢を気にしなければ、冬季オリンピックの素晴らしさは私を元気にしてくれます。

高齢になって身体の運動能力が衰退してしまった者にとって、各種競技の若い選手たちの神業のような動きを見ていると、しみじみと人間の素晴らしさが身に沁みます。

ですからこそ日本人だけでなく全ての種目の外人選手の健闘ぶりをゆっくりテレビで見たいのです。

下にスキー競技の写真を示します。全ての写真の出典は、Sochi Olimpic を検索して見つけた、http://www.sochi2014.com/en/schedule-and-results から転載しました。

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日本の歴史教育はイギリスのBBCでどのように報道されているか?その三、記事に付けられた写真

2014年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

Japanese boys taking place in historical re-enactment
上は日本の少年たちの武装行進の写真(なにかのお祭りの行進のようです)
下は 南京虐殺へ供える花。Nanjing massacre, 1937-38
Flowers at memorial for Nanjing massacre

下は自虐的記述を削除した教科書を作った右翼的な藤岡氏の写真。

Nobukatsu Fujioka

下は慰安婦問題に抗議する韓国人のデモ(Comfort women)

Former comfort women in South Korea protest against Japan

そして下は昨年の安倍総理の靖国参拝の時の写真です。

Japanese Prime Minister Shinzo Abe, visiting the Yasukuni Shrine in 2012
下は中国における抗日デモの写真です。
Chinese demonstration 18 September 2012
下は韓国内での教科書問題に関しての反日デモ。
2005 protest in South Korea against Japanese history textbooks