山梨県の西、甲斐駒岳や八ヶ岳の麓に広がる北杜市では近年、イノシシや鹿や猿が急増し、農作物の被害が深刻な問題になっています。私はそこに小さな山小屋を持っているのでもっと猟師に獲ってもらいたいと思っています。ところが狩猟を趣味にする人が減る一方で農作物の被害はますます増えています。そこで今日は狩猟のことを考えてみます。
歴史的にみると欧米の狩猟の趣味にはいろいろなルールがあり、ハンテイングというスポーツとして上流階級の人々が楽しんでいました。誰が見ていなくてもルールを守り、猟犬をつれ猟銃を持って鹿やイノシシを撃つのです。
その一方、生活のための食糧を取る狩りには、その手法にはルールがありません。取れるだけ取るのです。これが趣味の狩猟と生活の糧を得るための狩りの違いでした。
ところが現在の日本で獣害が増えすぎたので狩猟にはもう一つの目的が加わりました。林業や農業の鳥獣被害を防ぐための害獣の駆除という重要な目的が加わったのです。
しかしこの害獣駆除は動物愛護運動をしている人々の反対する行為です。そこで行政は駆除する数を制限して動物愛護と害獣駆除のバランスをとろうとしています。
しかし狩猟をする人が高齢化で減少してしまっているので害獣被害はおさまりません。
仕方なく罠や電気柵で害獣の被害を小さくしようとしていますが、今度は人間が犠牲になります。
そこで狩猟の現状を知り、害獣被害と動物愛護の問題について理解を深め、冷静に考えてみたいと思います。
まず狩猟を趣味にしてきた人の手記をご紹介します。その人は青森県に住んでいるKGさんという方です。狩猟を趣味にして30年以上にわたりイノシシや鹿の銃猟をしていた方です。
=====GKさんからメールで頂いた手記========
日本での狩猟はほとんどは生活の糧を得るための狩でした。個人もありましたが、村単位、地域単位が多かったようです。銃猟が主でした。
私が何故狩猟を趣味にしたか?その経緯を少しお話しします。
子供の時より狩猟に憧れていたため、30歳後半で家族の同意を得て始めました。
警察へ申請に行くと「貴方のような方は鉄砲などせず、ゴルフをやりなさい」と言われました。職場では接待ゴルフのように役に立たない事は知っていました。接待狩猟は聞いた事がありませんね。
それでも始めました。
元いた職場に先輩がいたので、その方の生徒になりました。
その方は鳥猟で、セッター種の猟犬を飼っていました。叔父の知人だったので親切に教えてくれました。
銃の安全装置は全く使用せず、脱苞と装填時期だけ厳しく言われました。要は弾を入れるな、必要なければ直ぐに抜け、です。
犬が獲物の位置をポイントしてから弾を入れました。鉄砲の腕前は射撃場でスキートをやれと言われました。マナーも身に付くから射撃場へ行けと言われました。
これがハンターの基本です。法を守る、マナーを守るはハンター以前の事です。
禁鳥は撃たない、雉は飛び出してから撃つ、畑で見えた雉は絶対に撃たない。鴨が池に浮いているのは撃たない。たまたま兎が出ても撃たない。メス雉は撃たない。
農家の人がいたら必ず挨拶する。許可なく耕作地に入り狩猟しない。その他を5年間みっちりと教えられました。
スポーツであるからには規則があり、窮屈なものです。しかしどの項目も守らなければならない狩猟の基本です。
ところが一方、日本の狩りは農家や林業の人が農閑期に仲間と始めたことです。地主さんがパトロンになり犬を飼育し、田畑を荒らす獣を捕獲しました。
それが一般化し本業のような猟師も出てきました。猪を一頭獲れば料理屋や旅館に売ります。獲物の分配はそのグループ毎に決まっています。獲物を見つけた人は肉が増量されます。
そして、よく訓練された自分の猟犬も連れて行かねばなりません。
昔は無線機がなかったので、旗で合図しました。向かいの山へ勢子長がのぼり旗で命令したそうです。のんびりした猟ですね。
勢子長が鉄砲を撃つ場所の「矢場」を決めます。新人は逃がしても次の者が撃てる場所とか、ほとんど来ない所とかいろいろ配置を考えます。
昔は金が目的で、このイノシシ猟をやりました。逃がしたら何万円も逃がしたのと同じですから、みんな必死でした。私も逃がした時は白菜と米を勢子長の奥さんに渡しました。
この頃貰った猪肉は石鹸1個ほどの大きさでした。ベテランは数倍の肉をもらいます。私が初めて命中させた時はロース肉を石鹸箱2個ほど貰いました。
都会のハンターは地元の猟師を卑しむようですが、ハンターは町の道楽者です。
さて話は北海道の猟に変わります。
増えすぎたエゾシカ猟の狩人はアイヌの末裔が多いのです
彼らの猟と内地から行ったハンターは本質的に違います。土地の猟師による鹿狩りは食べるための狩でした。肉や熊の胆を売るためでした。
内地のハンターは高価な銃とスコープそして服装です。土地の者をガイドに雇います。1匹獲れればボーナスを与え、皮剥ぎや精肉を彼らに請け負いさせます。そして温泉に浸かり、また都会へ帰って行きます。
少しベテランの連中はガイドになります。資格なんてありませんから「僕、ガイド」と言えばなれます。弾道力学を少し勉強し、お客を案内し、エゾシカを見つけて客に撃たせます。
ガイドは肉を売ります。土産のないハンターは肉や角を買います。これに味を占め、ガイドが肉屋を始めます。原価は500円位で、何十万円の鹿肉は自然が供給してくれます。以下省略。
=====手記の終わり==================
これが日本の狩猟の趣味の実態なのです。
狩猟は高尚な趣味ということからほど遠いのが日本の狩猟界の現実です。
上のGKさんの手記を読むと銃猟の猟師になるには何年間も修行しなければなりません。その上、自分の猟犬は手塩にかけて大切に育てなけらばなりません。狩猟の趣味は一朝一夕に始められる手軽な趣味ではないのです。
ですから若い人はこの趣味をしません。後継者がいなくなるのですから害獣駆除は進まないのが現状です。
その一方で、地方に行くとイノシシの肉や鹿肉を売っている店があります。エゾシカの肉はインターネットで買えます。イノシシの肉もインターネットで購入できます。かなり高価です。
現在の日本の狩猟はイノシシと鹿の肉の売買という商業活動と害獣駆除とが重なり合って複雑な問題なのです。
駆除だけを目的にして鹿やイノシシを買い上げて、廃棄処分にしている自治体もあるようです。しかし食べられる肉まで廃棄処分をするのはどのように考えたら良いのでしょうか?
これらの問題について動物愛護運動をしている人々はどのような意見を持っているのでしょうか?難しい問題です。
最後に山梨県の西、甲斐駒岳や八ヶ岳の麓に広がる北杜市の写真を示します。
下の写真は釜無川の七里ケ岩の崖の上から見た北杜市の武川町の近辺の風景です。
上の写真の右の方に写っている峰が甲斐駒岳です。
この地区に下の写真のようなイノシシの大群が棲んでいるのです。
鹿も猿も多数棲んでいます。
上の写真は有名な武川米の水田が広がっています。しかしイノシシは水田をあまり荒らさないようです。
イノシシや鹿は畑のジャガイモ、スイカ、トマト、トウモロコシなどを徹底的に食べます。一夜にして農作物が根こそぎ食べられてしまうのです。
上の写真は以前は畑だった場所です。畑作を止めたので自然の野原になりました。それを都会から移住した人が借りて花を植えたのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)