後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の年間第16主日のミサの動画の紹介」

2021年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年7月18日の10時から始まるミサのカトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、https://www.youtube.com/channel/UCc2LbUPcHohKUgO2dYhrCvw

聖イグナチオ教会 、https://www.youtube.com/channel/UC-Zwcc_MbnyglsQdyOByc-Q

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


今日の挿絵代わり写真は私ども夫婦が1971年に塚本神父様から洗礼を受けたカトリック立川教会です。若かった塚本神父様は赤丸で囲ってあります。立川教会に併設されていた幼稚園の入園記念写真です。

もう一つの写真は塚本神父様のお墓です。府中市にあるカトリック東京大司教区の神父様たちのお墓です。数十名の神父様たちの名前が刻んであります。塚本金明神父(1919年生まれ、1991年帰天)と刻んであります。

「貴方は花の名前をよくご存知でしょうか?」

2021年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
先週、東京都立薬草植物園で撮ってきた花の写真を5枚お送り致します。貴方は花の名前をよくご存知でしょうか?
もし5種全ての名前をご存知でしたならお教え下さい。









「写真とともに語る富士山から流れるの桂川ものがたり」

2021年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日ついに梅雨が明け青空が広がりました。久しぶりに遠くに行こうと思い山梨県の桂川の写真を撮りに行きました。桂川は富士五湖の山中湖から流れ出ている川です。外輪山の内側から流れ出ている唯一つの川です。
考えてみるとこの川にには東京に住み始めた1962年以来ずいぶんとお世話になりました。川沿いの景色が良く魅力的な川なので何度も遊びに行きました。

今日はこの富士山から流れるの桂川を写真とともにご紹介したいと思います。写真は昨日と以前に自分で撮った写真ですが2枚だけ他からお借りしました。
さて山梨県の桂川は山中湖村から流れはじめます。山中湖が水源です。富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ富士吉田市で北東に折れ曲がります。
都留市を経て大月市で流れる向きを東に変え上野原市で相模湖に流入しています。相模湖から下流は相模川と名前を変えます。そして津久井湖(相模原市)を経てゆるやかに進路を変神奈川県中部を貫き平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注いでいます。
都留市より上流地帯では富士山の噴火による噴出物に関連した地形が見られます。大月市付近より下流では河岸段丘が分布しています。

1番目の写真は秋の陽光に輝く山中湖です。風光明媚なので山中湖グランドホテルや富士ビューホテルに何度も泊まりました。

2番目の写真は忍野八海から見た富士山です。忍野八海には透明な水が豊富に湧き出る大きな泉が数個あります。美しい湧き水を眺めているだけで楽しいので何度も行きました。

3番目の写真は大月市の国指定登録有形文化財の駒橋水力発電所です。東京送電水力発祥の地です。
明治39年に着工し、工事は順調に進み明治40年に完成しました。55,000Vの送電電圧により東京の麻布、麹町一体に歴史に残る灯をつけました。これが我が国初の水力発電長距離送電の草分けとなりました。なおこの写真は他からお借りしたものです。

4番目の写真は観光名所の猿橋です。「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつで、広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい構造が描かれています。
長さ30.9m幅3.3m高さ31mのその姿は、橋脚を全く使わない特殊なもので鋭くそびえたつ両岸から張り出した四層のはねぎによって支えられています。なおこの写真は他からお借りしたものです。

5番目の写真は国宝・重要文化財の八ツ沢発電所です。八ツ沢発電所は桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設です。明治43年に着工,大正3年に竣工しました。    
八ツ沢発電所は大規模調整池を有するわが国最初の本格的水力発電所施設です。わが国の重要文化財のなかで最大規模のものです。この八ツ沢発電所の力強い景観に感動して何度も写真を撮りに行ったものです。

6番目の写真は昨日撮った上野原市を流れる桂川です。川の中に鮎釣りの人が何人も見えました。

7番目の写真も昨日撮った上野原市を流れる桂川です。ここから下流で相模湖へ流れ込んでいます。

以上のように富士五湖の山中湖から流れるの桂川には数多くの魅力的な場所があるのです。

梅雨明けの晴天の季節になりました。是非、家族連れで桂川へ遊びに行って下さい。

それはそれとして、夏の季節の皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今年の『風の盆』は中止、『阿波踊り』は小規模に」

2021年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
全国的に人気のある『風の盆』は今年も中止で徳島の『阿波踊り』は小規模にホール内で開催すると決定されています。
​おわら風の盆行事運営委員会は​ 7月2日の臨時総会において、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、昨年に引き続き本年のおわら風の盆行事の中止を、全会一致で決定いたしました。
一方、徳島市の発表では2021阿波おどりは「選抜阿波おどり」を8月13日(金曜)・8月14日(土曜)13時・16時・19時に「あわぎんホール」で開催します。なお私が住んでいる小金井阿波おどり踊りは中止と決定しています。
多くの人が​おわら風の盆と阿波おどりを楽しみにしているので残念です。淋しい夏になります。

そこで今日は過去の写真や思い出をお送り致します。
「おわら風の盆」は14年ほど前に見に行きましたが、その美しさと深い宗教性に感動しました。一方、阿波踊りは、陽気で楽しい娯楽性の故に全国の各地で踊られています。今日ご紹介するのは私の住んでいる東京の小金井市で40年も続いている恒例の阿波踊りです。
盆踊りは元来、帰ってきた先祖の霊魂を慰めるために始まったといいます。

さて富山県富山市八尾町の「風の盆」は非常に静かで優雅です。哀調さえ感じさせます。
帰ってきた先祖の霊魂を慰めようとする踊り手の気持ちが心に伝わります。
「風の盆」には深い宗教性があるのです。しかし踊りですから娯楽性もあります。踊り手は練習を重ね、その結果を見物の人々に披露するのです。踊り手も楽しく、見物の人々も楽しむ娯楽性もあるのです。
それでは、「おわら風の盆」から4枚の写真で示しましょう。
写真の出典は「富山市の観光ホームページ」からです。







「おわら風の盆」の踊りの所作はあくまでも上品です。ゆっくりした音曲が八尾の町並を流れます。胡弓は寂しげな音色で奏でます。
女の踊り手は笠を深くかぶり決して顔を見せないのです。皆、細身の姿勢が揃っていて、その姿が楚々として美しいのです。
一方、男衆の踊りはあくまでもキビキビとしていさぎよいのです。
町の家々は軒の低い昔風の造りで、人々は明かりを消して家の奥へ引きこんでいます。観光客だけが踊りの列を囲んでいますが、誰も声を上げないので町中が静かです。嗚呼、盆踊りとは元来、仏教の行事だっだと理解しながら楽しい時間を過ごしました。
車の駐車場は町の下の川沿いにあります。観光客はその駐車場から高台にある八尾の町へ歩いて登って行きます。夏の夕風にゆれる提灯のような灯の列の下をゆっくりと登るのです。風の盆を以前に見た人々が混じっているのでしょうか、人々の歩き方も優雅になっています。帰りにこの坂を下る人々は一層静かに歩いていました。
おわら風の盆の詳細は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%8F%E3%82%89%E9%A2%A8%E3%81%AE%E7%9B%86 に御座います。そこには次のようなことが書いてありましす。
・・・おわらの起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼると伝えられています。
『越中婦負郡志』によると、町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び、三日三晩踊り明かしたことに由来するのだといいます。
「風の盆」の名称の由来については、風鎮祭からともお盆行事からともいわれるが、はっきりとしたことはわからないそうです。・・・

さて話は東京の小金井市の阿波踊りに変わります。
毎年7月末の土曜日と日曜日に小金井では市を挙げて阿波踊りを踊るのです。
徳島の阿波踊りを忠実に導入しているのです。徳島県の地方文化を導入し、40年もの間続けているのです。
以前自分で撮った写真を混えて「小金井の阿波踊り」を4枚の写真で示します。







JR中央線の小金井駅前の南と北の広場と付近の通りを7月の最後の週末の2日間、夕方から交通を遮断して数百人の踊り子が阿波踊りを繰り広げるのです。
近所の仲間や職場の仲間でグループをつくり、「さくら連」とか「むさしの連」と染め抜いた揃いの浴衣で踊るのです。
よく見ると阿佐ヶ谷をはじめ東京のあちこちからも「連」が友情参加しています。それを見ると東京のいろいろな町でそれぞれ阿波踊りをしているのが分かります。
阿波踊りの楽しいところは老若男女が一緒に踊っていることです。その光景を見ているのも楽しいのです。踊らない自分も幸せな気分になるのです。音曲も振りも派手で賑やかです。阿波踊りには宗教性があまり感じられません。むしろ娯楽性が強いのです。
盆踊りの季節になると毎年、小金井市に住んでいながら徳島県の阿波踊りを楽しんでいます。

「おわら風の盆」の踊りと阿波踊りはどちらも日本が世界に誇れる地方文化だと私は信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「欧米の植民地だったアジア諸国、それらの日本軍による解放と戦後賠償」

2021年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前生まれ戦後育ちの日本人にとって太平洋戦争と日本の敗戦ほど大きな衝撃はありませんでした。敗戦前後はまさに歴史的激動の時代でした。日本民族の最大の悲劇でした。
何故このような悲劇が起きたのでしょうか? いろいろな見解がありますが私は第二次大戦前のアジア諸国は欧米の植民地だったことが原因と思います。その植民地を日本が軍事力で解放し日本の勢力圏にしようとしたことが原因だったのです。

今日はこの激動の歴史を振り返って見たいと思います。欧米の植民地だったアジア諸国とその日本軍による解放と戦後賠償の歴史を簡略に書きました。

(1)欧米の植民地だったアジア諸国の地図
明治維新以来、日本は富国強兵政策を取って来ました。自分の国が植民地になるのを防ぐためです。しかし勢い余って、朝鮮や台湾や満州を日本の植民地にしてしまったのです。欧米の悪い政策を真似したのです。
そして最後には欧米の植民地だったアジア諸国を軍事占領して日本の勢力圏にしてしまう政策に着手したのです。それは1941年の12月8日のことでした。

1番目の写真は欧米の植民地だった戦前のアジア諸国の地図です。地図の出典は、http://myasia.world.coocan.jp/Shokuminchi.htm です。

日本が朝鮮や満州を植民地にしたた時代には日本そのものが欧米の植民地に取り囲まれていたのです。インド・パキスタン・バングラデッシュはイギリスの植民地。ビルマやマレーシア、ボルネオの一部もイギリス植民地でした、ラオス、カンボジア、ベトナムはフランスの植民地。インドネシアはオランダの植民地。マカオと東チモールはポルトガル植民地。フィリッピンはアメリカ植民地。シンガポールと香港もイギリス植民地であったのです。
独立国は僅かに日本と中華民国とタイの3国だけでした。写真の地図がその様子をしめしています。
考えると物凄い弱肉強食の時代だったのです。

(2)太平洋戦争、別名大東亜戦争による日本軍の欧米の植民地だったアジア諸国の占領
太平洋戦争、別名大東亜戦争は1941年の12月8日の真珠湾攻撃と同時のアジア諸国への侵攻の開始で始まりました。
日本軍は1941年6月からマレー半島攻略に向けた訓練を行っていました。日本軍による最初の攻撃はマレー半島攻略でした。日本時間12月8日午前1時30分、日本の第25軍はイギリス領マレーの北端に奇襲上陸したのです。
イギリス海軍のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは上陸部隊を撃滅すべくシンガポールを出撃しましたがマレー沖海戦で日本軍の航空攻撃により両艦を撃沈したのです。
第25軍はマレー半島西側をシンガポールを目指して進撃を続け、1942年1月31日にマレー半島最南端のジョホール・バルを占領しました。
第25軍は2月8日にジョホール海峡を渡河しシンガポール島へ上陸します。イギリス軍の降伏の使者が到着しました。そしてイギリス軍は10万人が捕虜となったのです。
この後、日本軍はアジア各地をを占領してしまいました.

2番目の写真は日本軍の占領地の最大の頃の1942年の地図です。出典は、https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/nihon_saidaihanto.html です。

(3)日本が占領したアジア諸国への戦後賠償
1945年の敗戦後、日本は戦争で損害を与えた欧米諸国だけでなく日本が占領したアジア諸国へも戦後賠償をしました。

3番目の写真は日本が占領したアジア諸国への戦後賠償です。写真の出典は、https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/nihon_saidaihanto.html です。
現在、日本は中国、ベトナム、インドネシア、タイなどに日本の会社が工場を作って利潤をあげています。戦後生まれの日本人がアジアで経済活動をする場合は戦前に日本軍のした色々な圧政を忘れてはいけないと思います。

今日は欧米の植民地だったアジア諸国、植民地だった諸国の日本軍による占領、そして占領したアジア諸国への戦後賠償についての歴史を簡略に記しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

「幸運にも戦後76年も平和だった日本の将来を考える」

2021年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新は1867年でした。それから1945年の敗戦までの78年間は戦争の連続でした。日清戦争、日露戦争、満州事変、上海事変、日中戦争、太平洋戦争、そして1945年の敗戦です。
この歴史とは対照的に1945年から76年間も日本は平和でした。
何故こんなに長く平和が続いたのでしょうか? 今日はこの問題を少し考えてみたいと思います。
「戦後の平和憲法で日本は戦争を放棄したから平和が続いた」とよく言われます。世界に類を見ない平和憲法が日本の平和を守ったのです。このように信じている人が多いのです。
しかしこの理解は酷い錯覚です。全く間違った理解です。
戦後76年も日本が平和だった理由はアメリカの軍事力がソ連や中國に比較して圧倒的に勝っていたからです。幸運にも日本はこのアメリカと安保条約を結んで、アメリカに守ってもらったから平和が続いたのです。この客観的事実を公平に認めアメリカに協力して中国に対抗しなければなりません。そうすることが将来も日本を平和にする最も重要な要件です。ここでアメリカに協力する意味とは軍事的な協力だけでなく外交的な協力も重要になります。

それではアメリカの軍事力を考えてみましょう。一言で言えばアメリカの海軍、空軍、陸軍、海兵隊の戦力は世界のどの国より圧倒的に勝っています。その上アメリカは世界中に軍事基地を設置しているのです。例えばアメリカは約12編成以上の空母打撃群を有しています。これに対して中国は現在2つの空母打撃群しか持っていません。海軍の艦艇から発射する核弾頭ミサイルの数と性能も中国が非常に劣っていると言われています。
軍事力は海軍の艦艇だけではありませんが、ここでアメリカ、中国、日本の艦艇の写真を示します。

1番目の写真は空母セオドア・ルーズベルトと空母打撃群戦闘艦です。(写真:米海軍提供)
アメリカ海軍原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」を旗艦とする第5空母打撃群と、原子力空母「セオドア・ルーズベルト」を旗艦とする第9空母打撃群が西太平洋を守っています。このうち第5空母打撃群は米韓合同演習に参加し日本海も守っています。

2番目の写真は空母ロナルド・レーガンです。飛行甲板の上にF/A-18戦闘攻撃機など艦載機をいかにもアメリカの打撃力を見せつけるかのようにずらりと並べています。

3番目の写真はオハイオ級原子力潜水艦です。オハイオ級原子力潜水艦はアメリカ海軍が現在保有する戦略ミサイル原子力潜水艦です。
西側諸国で最大の排水量を誇る潜水艦であり、また全長と弾道ミサイル搭載数は現役の潜水艦で世界最大と言われています。

4番目の写真は遼寧省大連にある造船所を離れる、中国初の国産空母「山東」です。写真はIMAGINECHINA 提供です。(2019年11月14日撮影)
これで2012年にウクライナから輸入して就役している空母「遼寧」と合わせて2隻の空母になりました。3隻目の空母は目下上海で建造中です。それが完成すれば中国海軍は三隻の空母体制になるのです。
空母、「山東」は排水量が6万トン級の通常動力型で、「遼寧」に比べて甲板の面積を拡張して、より多くの艦載機を積載する能力を持ちます。
中国は「世界一流の海軍の構築」を掲げ、近い将来的に少なくとも4隻の空母の保有を計画しているようです。空母には数隻の駆逐艦や補給艦がつきます。そして空母打撃群になります。

5番目の写真は中国の2隻の原子力潜水艦です。詳細な事は分かっていませんが核弾頭ミサイル発射が出来るようです。

6番目の写真は日本のヘリコプター母艦です。

7番目の写真は日本のミサイル駆逐艦です。

さてアメリカが中国の覇権主義を恐れる3つの理由を考えてみましょう。
強国化した中国がアメリカと争うのが21世紀です。両国が世界の覇権を争う時代です。
中国が覇権主義の道を歩みだしたのは習近平の政権からです。
アメリカが中国の覇権主義を恐れるのには次の3つの理由があると考えられます。
(1)中国の経済のGDPが将来アメリカを抜いて世界のトップになる。
(2)中国の軍事力がアメリカの強大な軍事力以上に成長する可能性がある。
(3)中国がアジア諸国や南米の国々を取り込んでアメリカ包囲網を作る可能性がある。

今日はこれら3つの理由のうち(2)の軍事力の問題のうち海軍戦力について少し詳しく説明しました。
例えばアメリカは12の空母打撃群を持っているのに対して中国は航空母艦を2隻しか持っていないのです。現在の米中両国のその他の軍事力を比較してもアメリカの軍事力が圧倒的に勝っています。しかしながら中国は急速に軍備を増強しているのです。
日本の将来の平和を考えると中国の急速なに軍備を増強が大きな脅威になります。日本が過去76年間平和だったから将来も平和だとは限りません。

現在のアメリカ海軍の戦力は中国を圧倒しています。しかし中国は急速に軍備を増強しています。中国の経済のGDPの増大は目覚ましく2040年以前にアメリカのGDPを追い抜くと見られています。その頃になると中国の軍事力がアメリカと並ぶ可能性があると考えられます。
アメリカが中国の覇権主義を恐れています。中国の急速な軍事力増大も恐れています。これは日本にとっても困った問題なのです。

幸運にも戦後76年も平和だった日本です。しかし今日は日本の将来のことを考えてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏の海の写真をお送りいたします」

2021年07月13日 | 写真
偶然にも「私はワタシと旅に出る、、、」というある方のブログ、(https://rtrp.jp/articles/83879/?fbclid=IwAR1bQd4YtpyGHs-Q3AZKz-1gYT4B8KwVl_sUM9LtQYbgVMTpmy0t4uKGHkk#google_vignette )を見ていたらあまりにも美しい風景写真が沢山掲載されていました。
その中から夏の海の写真をお借りしてお送り致します。
場所は高知県にある大月町の西南端に浮かぶ周囲約4kmの小さな島、「柏島」です。思わず目を疑ってしまうような透き通るビーチの絶景が広がっています。写真を楽しんで頂けたら嬉しく存じます。







「住んでいる町の夏祭りと全国の祭りの一覧」

2021年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナ問題で昨年と今年の全国のあちこち行われていた夏祭りは殆ど中止になりました。夏祭りは日本の夏の風物詩です。それが無くなって淋しい夏になります。
今日は全国の夏祭りが再び行われるように祈りながら私どもの町の以前の夏祭りの写真と全国の祭りの一覧をお送りいます。
自宅のすぐ裏にある小金井市「なんじゃもんじゃ通り」の納涼祭は以前は盛大に行われていました。毎年盛大だった小金井阿波踊りもコロナ問題で消えてしまいました。例年楽しんできた納涼祭や小金井阿波踊りが無くなって残念です。
家内が祭り好きで浴衣に帯を締めてウチワ片手に出かけていました。私もついて行きました。数多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしていました。
ここで2015年に撮った近所の「なんじゃもんじゃ通り」の納涼祭の写真をお送り致します。









人々が家族連れで楽しそうに祭りを楽しんでいます。駅前で阿波踊りに出ていた本町5丁目の子供達がこれから阿波踊りをしようとしています。
たこ焼きや枝豆や綿アメを売っている夜店が楽しみです。通りに面して簡単な舞台を作り余興を演じています。ここに出演していたシテイボーイズという3人組のタレントがその後有名になりました。余談ですが一番目の写真の右の方に浴衣を着た家内の後姿が写っています。

さて全国のお祭りの8月の一覧表を末尾の参考資料:全国のお祭りの8月の一覧表として示しました。その一覧表をザッとご覧下さい。
全国の8月の表ですから非常に数多くあります。私はその数の多さに吃驚しました。そして今日ご紹介した小さな納涼祭りはこの一覧表には入っていません。従って小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?
この数の多さは日本だけかも知れません。私は祭りに関しては素人ですが、欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。
狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではState Fair (州の農産物市場)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようです。そして南ドイツでは10月になるとOktobar Fest (十月祭)がありオハイオ州のState Fair と同じです。しかしドイツでは牛の丸焼きや大きなジョッキのビールが出ます。そしてローテンブルグに近い村では提灯行列祭りもありました。
これは私の思い込みかも知れませんが、欧米の祭りでは伝統を重んじ、規模も大きいような気がします。日本のような気軽な納涼祭は無いようです。
それはそれとして、祭りは人々が楽しければ良いのです。子供たちが納涼祭で楽しんでいる光景を見て平和のありがたさを感じます。
以前は大いに祭りを楽しみ夏の猛暑を吹き飛ばしていたものです。それがコロナ問題で無くなってしまいました。
仕方がないので冷房を強くして家にこもって夏を過ごそうと思います。

皆様の住んでいらっしゃる町の夏祭りは如何でしょうか?如何ようにして夏を過ごそうと思っていらっしゃるでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:全国のお祭りの月別の一覧表========
8月のお祭り予定表の一覧: (http://www.maekawa.co.jp/valeur/maturi/index.html )
祭りの開催日は、その年で変わることがありますので、必ず確かめてから、お出かけ下さい。

開催日   名称    場所
第1金・土・日曜日 富山祭り 富山市
上旬 ひまわり祭り 北海道北竜町
上旬 水戸の七夕・黄門まつり 茨城県水戸市
初旬および14日 平戸南蛮まつり 長崎県平戸市
1日 米子がいな祭 鳥取県米子市
1日 諏訪神社下社御舟祭 長野県下諏訪町
1日 筑波山がま祭 茨城県筑波町
1日 足利花火大会 栃木県足利市
1日 石崎奉燈祭 石川県七尾市
1日 山中湖湖上祭 山梨県山中湖村
1日 PL教祖祭花火大会 大阪府富田林市
1日 錦川水の祭典 山口県岩国市
1~2日 石巻川開き 宮城県石巻市
1~2日 わらじまつり 福島市
1~2日 ふるさと宮まつり 栃木県宇都宮市
1~2日 湯河原やっさまつり 神奈川県湯河原町
1~2日 野々市じょんからまつり 石川県野々市町
1~2日 清水港まつり 静岡県清水市
1~2日 万灯まつり 愛知県刈谷市
1~2日 松江水郷祭 島根県松江市
1~3日 草津温泉祭 群馬県草津町
1~3日 長岡まつり 新潟県長岡市
1~3日 大四日市まつり 三重県四日市市
1~3日 萩夏まつり 山口県萩市
1~5日 函館港まつり 北海道函館市
1~7日 弘前ねぷたまつり 青森県弘前市
1~7日 高岡七夕祭 富山県高岡市
2~3日 吉備津彦神社御田植祭り 岡山市
2~3日 気仙沼みなと祭 宮城県気仙沼市
2~3日 高崎祭り 群馬県高崎市
2~3日 糸魚川おまんた祭 新潟県糸魚川市
2~3日 石取祭 三重県桑名市
2~4日 苫小牧港まつり 北海道苫小牧市
2~4日 盛岡さんさ踊り 岩手県盛岡市
2~4日 うねめまつり 福島県郡山市
2~7日 青森ねぶた祭 青森市
2日 西祖谷神代踊り 徳島県西祖谷山村
3~4日 鮎川くじら祭 宮城県牡鹿町
3~4日 キュリー祭 鳥取県三朝温泉
3~5日 沼田まつり 群馬県沼田市
3~5日 万灯祭 滋賀県多賀町多賀神社
3~5日 わっしょい百万夏まつり 福岡県北九州市
3~6日 生田神社大海祭 神戸市中央区
4日 千歳航空祭 北海道千歳市
4~5日 塩釜みなと祭 宮城県塩釜市
4~7日 虫おくり・火祭り 五所川原市
5日 芦の湖鳥居焼まつり・流灯祭 神奈川県箱根町
5日 河口湖湖上祭 山梨県河口湖町
5~6日 高崎祭り 群馬県高崎市
5~7日 竿燈 秋田市
5~7日 花笠まつり 山形市
5~7日 銚子港まつり 千葉県銚子市
5~7日 七夕祭提灯祭り 山口市
5~7日 七夕絵どうろう祭り 湯沢市
6日 びんずる祭り 長野市
6日 鎌倉ぼんぼり祭 鎌倉市鶴岡八幡宮
6日 能代ねぶ流し 能代市
6~8日 仙台七夕まつり 宮城県仙台市
6~9日 姫路お城まつり 兵庫県姫路市
7日 神明の花火大会 山梨県市川大門町
7日 御岳山頂御岳教大御神火祭 長野県三岳村
7~8日 びわ湖まつり 滋賀一円
7~8日 彦根ばやし総おどり 滋賀県彦根市銀座街
7~8日 諏訪神社たてもん祭 富山県魚津市
7~8日 安城七夕まつり 愛知県安城市
7~8日 わらじ祭り 福島市
8日 けんか七夕 陸前高田市気仙町
7~9日 北上みちのく芸能まつり 岩手県北上市
7~9日 新潟まつり 新潟市
7~9日 やっさ祭り 三原市
7~10日 陶器祭 京都市五条坂一帯
8~10日 珍皇寺六道詣 京都市東山区
8日 厳島神社管弦祭 広島県宮島町
8日 琵琶湖花火大会 大津市
8日 按針祭 伊東市
9~10日 壬生寺万灯会・六齋念仏踊り 京都市中京区
9~12日 よさこい祭 高知市
中旬 黒石よされ 青森県黒石市
中旬 シャンシャン祭 鳥取市
中旬 水中花火大会 広島県宮島町
お盆の頃の金・土・日 日本のまつり 東京都神宮外苑
第2日曜を含む3日間 三原やっさ祭 広島県三原市
10日 王子神社槍祭り田楽祭り 東京都北区王子神社
10日 鎌倉花火大会 神奈川県鎌倉市
10日 太田川花火大会 広島県広島市
10日 白樺湖夏祭り 芽野市
10日 ひがしね祭り 東根市
11日 三国夏祭り 福井県三国町
11~12日 生国魂神社 薪能 大阪市天王寺区
11~13日 松山まつり 愛媛県松山市
11~13日 火の国まつり 熊本市
11~14日 高松まつり 香川県高松
12~13日 焼津神社祭り 静岡県焼津市
12日 おろち祭り 出雲市
12~15日 阿波おどり 徳島市
13~14日 八朔祭 石川県富来町
13~14日 高松祭り 高松市
13~15日 深川富岡八幡宮祭 東京都江東区
13~15日 じゃんがら念仏 福島県いわき市
13~16日 郡上盆踊り 岐阜県郡上郡八幡町
13~18日 東山盆踊り 会津若松市東山温泉
14~15日 中元万灯籠 奈良市春日大社
14~15日 放下 愛知県新城市
14~15日 三嶋神社踊奉納 山口県宇部市
14~16日 白石踊り 岡山県笠岡市
14~17日 月の輪神事 島根県安来市
15日 鳥羽・河内火祭り 三重県鳥羽市河内町穏田岡
15日 松島灯籠流し花火大会 宮城県松島町
15日 諏訪湖祭湖上花火大会 長野県諏訪市
15日 精霊流し 長崎市
15~16日 山鹿灯籠祭 熊本県山鹿市大宮神社
15~17日 三嶋大社例祭 静岡県三島市
16日 舟っこ流し 岩手県盛岡市
16日 箱根大文字焼 神奈川県箱根町
16日 時又灯ろう流し 長野県飯田市
16日 宮津灯籠流し 京都府宮津市
16日 京都大文字五山送り火 京都市
17~18日 デカンショ祭 兵庫県多紀郡篠山町
19~20日 花輪ばやし 秋田県鹿角市
19~21日 石和温泉まつり 山梨県石和町
下旬 鶴市の傘ぼこ 大分県中津市
下旬 三沢祭り 青森県三沢市
20~22日 片山津湯のまつり 石川県加賀市片山津温泉
22日 全国花火競技大会 秋田県大曲市
23~24日 千灯供養 京都市化野念仏寺
23~25日 地獄まつり 北海道登別市
24~26日 新庄祭 山形県新庄市
26日 吉田の火祭り 山梨県富士吉田市
26~27日 三河一色大提灯祭 愛知県幡豆郡一色町
26~28日 高円寺阿波おどり 東京都杉並区
26~28日 おしょっぺ祭り 石川県粟津温泉
27~29日 神発田祭り 新潟県新発田市
27~29日 大山阿夫利神社秋期例大祭 伊勢原市
2830日 木崎神社小木港祭り 新潟県小木町
29~30日 臼杵石仏火まつり 大分県臼杵市
29~30日 水軍祭り 広島県因島
31~9/1日 岩木山お山参詣 青森県岩木町
旧暦7月13~16日 チャンココ踊り 長崎県福江市
旧暦7月13~16日 エイサー 沖縄県本島北部

「共産党独裁の中国における宗教の隆盛と、その驚くほどの自由さ」

2021年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム
神の存在や宗教を否定するのが本来の共産主義です。ところが中国共産党は宗教の自由を保障し、経済は資本主義の市場経済主義をとっています。
ですから中国は共産主義を捨てているのです。共産党という名前と独裁政治だけが残りました。
中国の宗教は共産党独裁に反対しないかぎり全く自由です。もっとも全ての宗教組織は当局に届けなければなりませんが、届けてない組織も多いと言われています。
元来、宗教というものは政治には関心があってはいけないものなのです。カトリックのミサでの説教では政治の話題は禁物です。
したがって中国の全ての宗教組織は共産党と仲良く出来るのです。例外は法輪功だけです。
中国の宗教には仏教、道教、回教(イスラム教)、カトリック、プロテスタント系キリスト教、その他の原始宗教があります。
中国には宗教を信じている人が数千万人から数億人いると言われていますが、統計の不備で実数は分かっていません。
しかし多数の道教の寺院や仏教寺院や回教(イスラム教)の寺院、あるいはカトリック(天主教)の教会の写真を見ると宗教の隆盛に驚かざるを得ません。

今日は写真で中国の宗教的風景をご紹介いたします。
まず蘇州の道教寺院の玄妙観での光景の写真をご覧ください。玄妙観は蘇州にあります。

1番目の写真は夕暮れの玄妙観の境内です。人々が寛いで歩いています。乳母車を押している母親もわき見をしながらのんびり歩いています。のどかで平和な光景です。

2番目の写真は祀ってある神々の像です。本尊を補佐する神々のようです。道教は元来、多神教です。

3番目の写真では女性が膝まづいています。
以上の写真は、中国に住んでいた親しい友人が2014年9月に蘇州で撮ったものです。
中国の道教寺院は日本の神社のようなものです。家内安全を祈る場所です。商売がうまく行くように祈る場所です。祀ってある神は関帝や昔の偉人などなどいろいろです。道教は中国で生まれた宗教であり、その歴史は1700年以上も前に遡ります。国内には道教寺院1500ヶ所があり、2万5千人以上の道士がいるそうです。
道教は仏教と儒教とともに中国の三大宗教と言れています。ですから大部分の中国人はこの三大宗教を信じています。そのどれかを信じる人もいますが、多くは同時に、それぞれを信じています。

4番目の写真は中国のある回教、イスラム教の寺院です。中国の仏教風の寺院のようですが、塔の上の球体と三日月から回教(イスラム)寺院ということが分かります。回教寺院には必ず清真寺という名前が付いています。
この写真の出典は、http://4travel.jp/travelogue/11129689 です。
なお回教のお寺は北京にも多数あります。街で白い布を被って歩いている人が回教徒で、多数見かけます。
イスラム教は7世紀に中国に渡りました。イスラム教は主に回族、ウイグル族など少数民族の他に、多数の漢族にも信仰されています。信者はおよそ1800万、モスクは3万ヶ所あると言われていますが実数は分かりません。

5番目の写真は仏教寺院の写真です。
写真の出典は、http://blog.livedoor.jp/shyougaiitisekkeisi2581/archives/51818531.html です。
中国の仏教は2千年の歴史を誇ります。中国には現在、仏教寺院がおよそ1万3千ヶ所あり、出家した僧侶・尼僧は20万人、そのうち西蔵(チベット)系仏教のラマ僧は12万人、活仏は1700人、寺院は3千ヶ所、巴利語系仏教の比丘(びく)や長老はおよそ1万人、寺院は1600ヶ所に上ると言われています。

6番目と7番目の写真は中国のあるカトリック(天主教)の教会の風景です。
写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/04e67def473bfbaf22720ac2634718fc です。

カトリックは7世紀に中国に渡り、1840年のアヘン戦争後、信者の規模が増えます。中国には現在、カトリック信者400万人、教職員4千人がおり、教会などの活動施設4600ヶ所があると言われています。
カトリックの他にプロテスタントのいろいろな宗派もあり、キリスト教信者総数は少なくても1000万人以上、数千万人以上とも言われています。宣教師1万8千人がおり、また教会は1万2千ヶ所、そしてその他の集会所2万5千ヶ所があると言われています。

最近、中国は宗教ブームでいろいろな宗教が活性化し、それぞれの信者数が急増しているようです。 その理由は独裁政治を続けている中国共産党が宗教の自由を大幅に認めているからです。中国の民主化を主張したり、独裁政治を批判しない限り、自由に宣教し、自由に信仰してて良いのです。ただし全ての宗教組織は政府へ届けるのが命令されています。
この宗教の流行は今後も続き、中国では宗教はますます盛んになると思われます。
しかし最後に一言付け加えると、中国本土のカトリックはローマ法王傘下に入れません、共産党政府がローマ法王組織から台湾のカトリックを切り捨てれば本土のカトリックがローマ法王傘下に入っても良いというのです。非道な話です。

中国の宗教については末尾につけた参考資料をご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
======参考資料:「中国の宗教政策」===========
 1997年10月発表の中華人民共和国・国務院報道弁公室の宗教に対する政策の概略;
http://j.people.com.cn/special/religion/baishu.html
1.中国の宗教の現状
2.宗教信仰の自由の法的保障
3.司法と行政による宗教信仰の自由の保障および監督
4.独立自主運営の宗教事業に対する支持
5.少数民族が宗教を自由に信仰する権利の保護

1.中国の宗教の現状

中国では様々な宗教が信仰されている。中国には主に、仏教、道教、イスラム教、カトリック、キリスト教の信者がいる。中国公民は、信仰する宗教を自由に選び、自分が信じる信仰を表現することができ、また宗教的身分を明らかにすることができる。統計によると、国内には宗教を信仰している人々は1億人おり、宗教活動施設は8万5千ヶ所、宗教関連の教職員はおよそ30万人、3千以上の宗教団体がある。これらの宗教団体は、宗教関連の教職員を育成するための宗教学院・大学74ヶ所を運営している。

中国の各宗教団体は自主的に教務活動を進めており、必要に応じて、宗教学校の開校、宗教経典の発行、宗教的刊行物の出版、社会公益事業を行なっている。中国は各国同様、宗教と教育の分離を原則としており、国民教育に宗教教育が持ち込まれることはない。一部の大学や研究機関では、宗教学教育や研究が行なわれている。各宗教組織が運営する宗教学校では、その宗教の必要性に基づいて、宗教的な専門教育が行なわれている。宗教教職員による正常な教務活動については、宗教活動の場所で、あるいは宗教的習慣に基づいて信者の自宅で、あらゆる正常な宗教活動が行なうことができ、これらは法的により保護されており、いかなる干渉も受けない。以下省略。

「今日の 年間第15主日のミサの動画の紹介」

2021年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年7月11日の10時から始まるミサのカトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、https://www.youtube.com/channel/UCc2LbUPcHohKUgO2dYhrCvw

聖イグナチオ教会 、https://www.youtube.com/channel/UC-Zwcc_MbnyglsQdyOByc-Q

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


今日の挿絵代わり写真はカトリック小金井教会のミサの写真です。以前に自分で撮りました。

「花の写真に対する夫婦の意見の違い」

2021年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、都立薬用植物園で撮った花の写真を掲載するにあたって夫婦で意見が対立しました。
家内は花がどのような環境に咲いているか分かるようにい周囲の風景を入れると言います。花だけのクローズアップをしてはいけないと言います。さりげなく咲いている花の写真が良いと主張します。
私は全て反対の意見です。
しかし今日は全て家内の意見に従ってさりげなく咲いている花の写真をお送り致します。トリミングは一切しておりません。全ては日本の野の花です。家内はそういうことにもこだわります・
昨日の記事、「今日の日記、久しぶりに薬用植物園に行き花の写真を撮って来ました」の3枚の花の写真は私の考えでトリミングした写真です。
皆様はどちらの仕方がお好きでしょうか?

1番目の写真はヤマユリです。

2番目の写真はユースゲです。

3番目の写真はギボシです。

4番目の写真はヤブカンゾウです。

5番目の写真はマツムシソウです。

「戦争の足音、米軍予想『中国の台湾侵攻は6年以内』」

2021年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム
日本を巻き込む戦争は中国が台湾へ武力侵攻です。それが起きれば当然アメリカ軍が参戦します。中国は日本にある米軍基地をミサイル攻撃をします。自衛隊は日本の本土防衛のため中国のミサイル基地を攻撃します。
中国軍は人海戦術で台湾に上陸します。国連による仲介で停戦に成功しなければ泥沼の戦争が続きます。日本も中国対(台湾、米国)の戦争に本格的に巻き込まれるのです。以上は誰でも考えられるシナリオです。

ここで問題になるのは何時中国が台湾侵攻に着手するかという問題です。
米軍は中国の台湾侵攻の可能性は6年以内と予測しているのです。防衛ジャーナリストの半田 滋氏が、PRESIDENT Online に最近、書いている記事の抜粋を示します。(https://president.jp/articles/-/45936?page=1#google_vignette )
・・・米国のインド太平洋軍司令官は、中国による台湾侵攻を「6年以内」と明言する。コトは遠い未来の話ではないようだ。
菅義偉首相とバイデン米大統領による初の日米首脳会談後の共同声明には《台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する》とあり、日米が連携して抑止する、つまり台湾有事の未然防止に努めると解釈できる。その一方で抑止が破られた場合、台湾海峡の《平和と安定》のために武力の行使も厭わないと読むこともできる。

この共同声明に対し、中国は「強烈な不満」を表明した。いまや米中の対立は、冷戦が始まったころの米国とソ連の関係を彷彿とさせる。
・・・日本は2021年度過去最大の防衛費5兆3422億円を計上したが、米軍は毎年80兆円もの国防費を使って最新の兵器を揃え、実戦に備えている。いざという場面で米軍の足手まといと思われがちな自衛隊だが、実は米軍との間で対中国を想定した共同訓練を繰り返している。・・・・

なぜ台湾有事は「6年以内」なのだろうか。
注目の発言は3月9日、米国の上院軍事委員会であった。
インド太平洋軍のフィリップ・デービットソン司令官は「中国は21世紀の安全保障にとって最大の長期的な戦略的脅威だ」と指摘し、「台湾への脅威は今後、6年以内に明白になるだろう」と期限を区切って台湾有事の発生に言及した。
また、後任の司令官に就任するジョン・アキリーノ海軍大将は3月23日、やはり上院軍事委員会で、中国が台湾に侵攻する可能性がある時期について「大半の人が考えているよりもはるかに近いと思う」と語った。
中国を管轄区域内に持つ2人の司令官の見解は「台湾有事は迫る」で一致する。それには理由がある。

習近平国家主席は「武力の使用は放棄しない」と明言。
中国の習近平国家主席は2019年1月2日、将来の台湾統一に向けた方針についての演説で「武力の使用は放棄しない」と明言。2020年5月22日には李克強首相が全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で、台湾との再統一に触れた政治活動報告から初めて「平和的」との文言を削除した。
台湾統一に武力行使も辞さないとする習近平氏の国家主席任期は、2018年の憲法改正で2期10年の制限が撤廃され、2期目の終わる2022年以降も国家主席の続投が可能となった。その場合、3期目の終わりは2027年となる。一方で、中国共産党総書記の任期が切れるのが2027年秋。これに2027年8月の人民解放軍の創建100年が重なる。
こうした背景と中国軍が米軍に対し優位に立つ期間も2027年までであり、これが「6年以内」の根拠とみられる。・・・・

以上の半田 滋氏が、PRESIDENT Online に最近、書いている記事のようにアメリカ軍と自衛隊の間で対中国を想定した共同訓練を繰り返しているのです。日本のマスコミはほとんど報道していないので国民はアメリカ軍と自衛隊の共同訓練のことを知りません。
日本は米中の軍事衝突を回避するため米中両国へ外交交渉を重ね努力して中国の台湾侵攻をさせないようにすべきではないでしょうか。
日本国民は中国の台湾侵攻の可能性をもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。オリンピックも重要ですが戦争の可能性を常に真剣に考え戦争回避に努力するのも重要なことです。

今日は戦争の足音として、中国の台湾侵攻は6年以内というインド太平洋軍のデービットソン司令官の予測をご紹介しました。そしてアメリカ軍と自衛隊の間で対中国を想定した共同訓練を繰り返している事実を記しました。中国の台湾侵攻の可能性をもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


挿絵代わりの写真は平和な台北市の夜景と繁華街と観光地の美麗な塔のある風景写真です。






「今日の日記、久しぶりに薬用植物園に行き花の写真を撮って来ました」

2021年07月09日 | 日記
コロナで昨年から休園していた都立薬用植物園が再開したので久しぶりに行きました。撮ってきたヤマユリ、ヤブカンゾウ、セイヨウフウチョウソウの写真を撮って来ました。順に写真で示します。





都立薬用植物園は小平市の西の端にあります。HPは、https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/072/072025.html です。

「道奥の幻想的な夏祭り、ねぶたの動画を見て下さい」

2021年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム
みちのく青森のねぶた祭ほど幻想的で魅惑的な巨大な張子は他にありません。武者絵や馬や鬼を描いた張子の中に明るい電球が入っていて夏の夜空を舞うのです。兎に角強烈な色彩と太い輪郭線の巨大な灯篭の舞う動きが神秘的で玄妙な動きをするのです。その迫力は見ている人の魂を奪ってしまいます。祭囃子と跳人の腰に着けている鈴の音、掛け声も一層気分を盛り立てます。観ている人も興奮し、この世の祭りでなくなるような陶酔感に浸ってしまうのです。私は青森の「ねぶた」を10年以上前に初めて見た時の驚きと興奮は今でも強烈に覚えています。
このねぶた祭は残念ながら今年もコロナで中止です。そこでねぶたの動画をお送りいたします。次の3つの動画のうちから一つ選んで是非ご覧下さい。なお青森のねぶた祭は例年ですと8月2日まら8月7日まで開催して来ました。

https://www.youtube.com/watch?v=-gGXjEdFjzc
https://www.youtube.com/watch?v=C3IRB7GNKdw
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990693_00000

ねぶたの不思議な雰囲気は筆舌では絶対に伝えられません。皆様に今日お願いすることは上記のどれかの動画を見て頂きたいことです。ご面倒でもはじめに動画を見て頂きたいのです。お願い申し上げます。
これぞ日本を代表する北国の素晴らしいローカル文化と断言できます。ねぶた祭が大きぼに行われるようになったのは江戸時代の天保年間からと言われています。
下にその青森の「ねぶた」の写真を何枚かお送りします。特に写真に写っている人間の大きさと「ねぶた」の大きさを比較して下さい。ねぶたの巨大さがお分かりになると存じます。
写真は「青森ねぶたの画像」をネット検索して見つけました。また、https://readyfor.jp/projects/nebutashi からも引用しました。なお「ねぷた」は弘前の祭りです。









動画や写真をご覧になれば青森ねぶたこそ日本を代表する北国の素晴らしいローカル文化という表現に同感して頂けると思います。
この先はお読み頂かなくても結構ですが、以下に青森に生まれ育った棟方 志功(むなかた しこう)の作品がねぶたの影響を深く受けていることをご紹介したいと思います。そして末尾の参考資料には古くからあったねぶたの変遷の歴史を詳細に書いた資料をご紹介いたします。
さて、棟方 志功は1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの三男として生まれました。豪雪地帯出身のため、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となったと言われています。数々の名作を残し1975年に没しました。
少年時代にゴッホの絵画に出会い感動し、「ゴッホになる」と芸術家を目指したという話は有名です。少年のころから青森市内の善知鳥神社でのスケッチを好んだという話も残っています。棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けています。
第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』など仏を題材にした作品が特に有名です。
大のねぶた好きであり、作品の題材としても描いています。そして中にはねぶたに歓喜する自身の姿を描き込んだものもあるそうです。
棟方 志功の作品の多くは版画です。暗い北国の風景を表現した版画や天真爛漫とした明るい女性の版画が多数あります。そしてエネルギーのほとばしるような絵画もあります。
しかし全ての作品の低音基調は暗く寒い冬の北国に棲みついているような情念と思います。その情念とは何だと問われても言葉では説明出来ないのです。東北地方に生まれ育った私には判る心の在り方です。それは都会にたいする反発心や洗練されたものに対する嫌悪感などいろいろな心理が混じり合ったものです。
棟方 志功の作品の写真はネットの上で多数見ることができますので彼の作品も是非ご覧下さい。

それはさておきねぶたはコロナで2年連続して中止です。「ねぶた」を毎年制作することで収入を得ている「ねぶた師」にとって、この状況は失業と同じ意味を持ちます。日本の伝統文化である「青森ねぶた祭」自体の存続も危うい状況になっています。この「ねぶた師」を支援する活動を行っている運動もあります。 https://readyfor.jp/projects/nebutashi をご覧下さい。
日本のローカル文化が豊かに伝承するように願っております。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料==============
青森ねぶたの歴史: https://artsandculture.google.com/exhibit/ggKyJ5XW32KpLA?hl=ja たの由来・変遷、
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。
 奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
 初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったのでしょう。そこに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であねぶり、七夕祭は7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流して無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。
 「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民族語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられています。
・・・・以下省略。