https://www.youtube.com/watch?v=NFXah25vvcs です。
写真で示した「聖イグナチオ教会」のこと:
イエズス会の創立者であったイグナチオ・デ・ロヨラの名から命名された「聖イグナチオ教会」では、日曜にミサが執り行われ、さまざまな国の人たちが集まります。
現在の聖堂は、1999年(平成11年)に建設されました。正式には「カトリック麹町教会」といいます。
戦後いち早く新たな教会として聖イグナチオ教会の建設が計画され、1949年(昭和24年)に現在の場所に竣工しました。
聖堂の中心には、イエスと弟子たちが囲んだ「最後の晩餐」の食卓である祭壇が置かれ、聖堂を囲む12本の柱はキリストの教会を支える12人の使徒たちを表しています。
花々の写真お送り致します。写真はインターネットからお借りしました。
日本の社会風潮は時代によって大きく変ってきました。しかし日本に住んでいる我々は普段その変化を意識していません。私はその変化を考えることは重要だと思います。毎日が新鮮な気持ちで楽しく過ごせます。
今日は1990年頃の日本の縦社会の崩壊が社会を激しく変えたことを書いてみたいと思います。それは日本の社会の大きな変化の一つでした。日本の縦社会が崩壊し、横社会になったのです。
「縦社会」と「横社会」の概念は文化人類学者の中根ちえ女史が言い出した概念です。
この日本の縦社会が1990年の前後に起きたバブル経済の崩壊によって急激に崩壊してしまったのです。
当時、サラリーマンをしていた人々は縦社会の崩壊を強く実感した筈です。
それまでは大会社が数多くの子会社を傘下に従え君臨していたのです。大会社の命令は絶対的で子会社は親会社の指示通りに動いていたのです。
大会社の人が飲食店や酒場に行くと非常に大切にされ、子会社の人々はそうではなかったのです。東京の有名な幼稚園への入学には父親が大会社の課長以上でなければいけませんでした。
会社の中では上司の職務命令は、絶対で下の人は質問すら許されないのです。
その身分制度は昔の軍隊の階級による服従文化がそのまま日本の社会に残存していたのです。
ところがバブル経済の崩壊で、親会社が貧乏になり傘下の子会社の面倒をみることが出来なくなったのです。親会社と子会社の縦の関係は一朝にして崩壊してしまったのです。
子会社は親会社を離れ、独自に製品の販路を世界に求めなければ生き残れなかったのです。これで日本の小さな会社が強く独立するようになったのです。
同時に会社の中の上下の人間関係も崩壊し、上司はあくまでも部下を納得させる説明責任が要求されるようになったのです。
雇用の契約も終身雇用から個人の能力に従った期間限定の雇用契約に少しずつ変っていきました。
この変化が伝統的な「男尊女卑」の思想も消し去ったのです。
女性でもその才能によって差別されず優遇されるようになったのです。結婚して子供が出来て職場を辞めた女性でも才能さえあれば会社へ復帰できるのです。
その上、ボランティア活動や趣味の集まりで、人々は会社の中の縦の関係とは別の横の人間との絆を大切にするようになったのです。縦社会から横社会への変化したのです。そこには一切の上下関係がありません。
しかし日本は現在でもまだまだ男女差別が残っています。欧米の国々に比較すると日本と韓国は女性の社長、部長、課長の数が非常に少ないのも事実です。楽観は禁物です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人
5番目の写真はウスベニタチアオイです。色合いが柔らかく優しそうなたたずまいです。
それにしても藁ぶきの農家は少なくなりました。時代の流れです。嗚呼。
はじめの2枚の写真は小金井公園で昨日、私が撮りました。あとの写真はインターネットからお借りしました。
今日は晴天ですが冷たい風が吹いていて寒い日です。サクラの蕾もちぢこまっています。午後から小金井公園の花々の写真を撮りに行ました。
1番目の写真は北杜市の真原地区の桜並木です。後ろは甲斐駒岳です。
2番目の写真は甲斐駒岳の近景です。私の小屋はこの甲斐駒岳の麓にあります。
3番目の写真は北杜市の畑作地域です。
4番目の写真は北杜市の清里の駅前通りです。
写真はインターネットからお借りしました。
これらの写真のように風景はとても良い所です。空気も新鮮で気持ちの良い場所です。
白樺林の風景を見ると何故かロマンチックな気分になります。
そんな風景写真をお送り致します。
写真はインターネットからお借りしました。