575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

天高し少女背びれを立てている   遅足

2010年11月14日 | Weblog
えなみドクターの診断です。
ユニークな表現ですが、具体的なイメージがわきませんでした。

この診断は、どういうことなのか?
荻原先生のブログに、こんなことが書いてありました。

           

短歌や俳句の作品評にしばしばあらわれるもので、
あたまでつくられた、という言い回しがある。
実際に見たり聞いたり感じたりしている印象がきわめて薄く、
調べや意味や修辞のためだけに
それが書かれているように見えることを言う。

情報を通して事物を知るのではなく、
五感を通して事物を知るプロセスに表現の重心がある場合、
それは批判的な意味で用いられる。
しかし、考えてみれば、短歌や俳句を書くとき、
あたまでつくらないわけはない。
あたまをつかわないはずはないのだ。

求められているのは、あたまをつかわないことではない。
感覚をみがいたりすることでもない。
それをあたまでつくったにもかかわらず、
それがあたかも五感から生じたと見えるようにするために、
もっとあたまをつかうこと、なのだと思う。

もっと頭を使わないと・・・・

          

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品川を去り冬田歩く六十年     朱露

2010年11月14日 | Weblog

  品川、名古屋、真鶴、豊橋と渡り歩く。
  私だけの横須賀十八年というのがある。
  マリーンが土足で上がり込む強烈なの。
  先日は小鳩にも土足で上がり込まれた。

            


          
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ぼんやりとセーターのなかにいて一人   遅足

2010年11月13日 | Weblog
船団のえなみドクターの診断です。
「セーターの中にいる」という表現が面白かったです。
しかも、ぼんやりして一人。きっと手編みのプルオーバーに違いない。
英語だと、You look lonely in your sweater みたいに言ったと思いますが、
そんな感覚でした。

ありがとうございます。

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冬ぬくし新建材の家並歩く    朱露

2010年11月13日 | Weblog

   頼朝一行が通ったであろう道を散歩。
   古色漂う春日神社を囲む杉の大木群。
   この三十年家並の雰囲気が激変した。
   木ではない建材の家に変わったのだ。

           

           

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キッコウハグマ                       草女

2010年11月12日 | Weblog
海上の森の篠田池奥にあると聞いたのはもう3年も前のことだ。11月5日の観察会の
折、尋ねることにした。篠田池は森のはずれの方の高みに作られたため池である。ど
の道でも登ることになる。この日、ヒノキバヤドリギのその後も見たいので、駐車
場から北側の山道をあるいた。この道はかなりハードだから、歩くのに気をとられて
か、みつけることができないまま、篠田池に着いた。これより北へは道がないことに
なっている。ずっと以前は橋があり赤津方面へ行けたそうだが、橋が落ちて人が通ら
くなり道がなくなった。キッコウハグマは道なき道の途中に生えている。図鑑によれ
ば山地のやや乾いた木陰に生えるとあるが、ここは急流のほとりで水がかかる岩場。
条件がよくないと閉鎖花が多いそうで、ほとんどそればかり。閉鎖花でも撮っておこ
うと熱心にシャッターを押していたら、仲間の1人が1個咲いているキッコウハグマを
みつけ、本日の苦労は報われた。
キッコウハグマはキク科モミジハグマ属の小さな多年草。葉の形や模様が亀の申
羅に似ているハグマというのが名前の由来である。ハグマは漢字で書くと白熊でこの
場合はネパールやチベットの高地に生息しているヤクという牛ににている動物の長い
尾毛のことで、兜や槍につける装飾品として愛好された。特に徳川家康が好み「家康
に過ぎたるものが2つあり、唐の頭(ヤクの尾毛をあしらった兜)に本多平八」と詠
われほど。だから鎖国になっても清国経由で定期的な輸入が行われた。余談である
が、幕末の折、江戸城が新政府軍に接収された際、収蔵されていたヤクの尾毛は黒毛が
薩摩藩、白毛が長州藩、赤毛が土佐藩の手に渡り、三藩の指揮官クラスの軍帽として
使用された。黒毛の軍帽を黒熊(こぐま)、白毛の軍帽を白熊(はぐま)、赤毛の軍
帽を赤熊(しゃぐま)と呼ぶ。
キッコウハグマなど、”ハグマ”の名前のある草は、花びらが細くて長い。そし
て花びらは風車状に回転したり、らせん状に曲がったりしている。このようにヤクの
毛を連想させるのでハグマなのだそうだ。”ハグマ”の花は美しいと思うが、白熊を
見たことがないから、この発想についてはいけない。で、この名前を付けた人の人物
像が気になる。
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焚火する材料と場所なかりけり    朱露

2010年11月12日 | Weblog

     思えばここ半世紀焚火をした覚えがない。
     従って子供たちは焚火の楽しさを知らぬ。
     どうしてこんなことになってしまったか。
     焚火のない冬は花見をしない春と同じだ。


                  
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小春  麗

2010年11月11日 | Weblog
雲一つない青空が広がった冬晴れの一日。
来年の姪の成人式に、私の振り袖を着てくれることになり久しぶりに
和箪笥を開けました。
母が心を込めて刺繍をしてくれた半襟を見ると
今更ながら感謝の気持ちがわいて来ました。
山口百恵の「秋桜」の世界です。
「こんな小春日和の穏やかな日はあなたの優しさがしみてくる」♪

    閉め切った和箪笥を開けて小春かな  麗
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神無月止まったままの腕時計    遅足

2010年11月11日 | Weblog
11月句会が近づいてきました。
今回の宿題は「神無月」です。旧暦の10月。

ウィキペドアによれば、神無月の語源には定かではないとのこと。
「神無」は宛て字だそうです。
しかし、「神無」という宛て字から「神のいない月」という解釈が
広く行われるようになり、
出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合う月と
考えられています。

ここ十年近く、腕時計をしなくなりました。
時間に追われる仕事を離れたこともあると思います。
抽斗に腕時計がいくつか眠っています。
なかには父の形見のものも。
母の女ものの腕時計もあります。

一つ一つの時計は、もう時を刻むことがありません。

神様も腕時計を持っているんでしょうか?

       








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死に順は突然決まる葉付き柚子  池田澄子

2010年11月10日 | Weblog
「がんばれ」というコトバが敬遠されるようになって久しい。
しかし昔人間は、ついついガンバレと声をかけてしまう。
生き方の根っ子に染み付いたものは
骨になるまで変わらないのだろう。

俳句もついついガンバル精神が出てしまうので、
面白みにかける句になってしまう。

池田さんの句には、そういうガンバル精神のカケラも見当たらない。
力まない、脱力系の句である。

   死んでもいいとおもうことあれどヒロシマ忌

力が入っていないから視点の自由度が高い。
こうした句は知的な能力が高くないと出来ない。

   ピーマン切って中を明るくしてあげた

脱力系俳句の典型ではないでしょうか?
私にはとても出来ない句です。    遅足







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朝飯は昨夜のおでん冬日輪     朱露

2010年11月10日 | Weblog

   食べ終わって外は東の山が明るい。
   テレビはカーナビ泥棒が増えた話。
   おでんとカーナビ泥棒は相性悪し。
   おかしな国になってしまった日本。

            



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荻原教室の報告⑬   鳥野

2010年11月09日 | Weblog
お約束の荻原教室の報告、遅れおくれでごめんなさい。

酷暑の夏も、ほとんどの勉強会を、オールメンバーでやり抜きました。

先生は何時までも若き旗手。みずみずしい心象詠をみせてくださいます。

題は続いて、地下鉄駅の1字から。

 「本」
 ・ 本体はここに在るのに叫びつつわたしが夏を駆けてゆく窓

 「丘」
 ・ あかるさはあかるさなりに苦しくてどこまでもみどりの夏の丘

 「田」
 ・ 東京にも田園にもまだ住んだことなくて秋めく雲を見てゐる

 「音」
 ・ 機嫌はやや上向いて来たか比較的住まい音がする妻のあけくれ

 「伝」
 ・ ことば尽くして伝はらぬもの鰯雲のやうにこころに浮かぶ秋の日

 「橋」
 ・ なんでもない花束提げて秋の橋ゆけばなんでもなく日は暮れて
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小鳩来て玄関上がる冬の雨     朱露

2010年11月08日 | Weblog


      追われて飛び込んだ姿ではない。
      気がついたら玄関に居た形かな。
      知らぬ振りをしていると上がる。
      何思い出したか窓から飛び出す。

               

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みんな俳句が好きだった①  森鴎外の俳句       ぐ

2010年11月08日 | Weblog
内藤好之氏の「みんな俳句が好きだった」東京堂出版という本をめくるのが好きになっている。この本には俳人だけでなく各界から百名を選びその人の俳句を紹介している。
 その一端を紹介したい。
====================================

 森鴎外は軍医として何回か従軍している。
 「うた日記」は日露戦争に従軍していた時の陣中詠をまとめて刊行したものであり、
 新体詩、短歌、そして百六十八句が載せられている。

  月の下、木枯らしに波立つ天幕の焚火のほとりに、鉛筆して手帳の端に書きつけし・・・
 と書かれたこの「うた日記」には次のような俳句が記されている。

    埋火の燃え尽くしたる窪みかな
    灯火を消すや火桶の薄明かり
    行水や甕大にして頭を没す
    馬上十里黄なるてふてふ一つ見し
    かど松の壕の口にも立てられし
    松立てしひとり夜の間に討たれける

 一見のどかではあるが、ここは戦場、中にはぎくっとさせられる句も見られる。
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パソコンが壊れ天下の冬を知る     朱露

2010年11月08日 | Weblog

    「桐一葉落ちて天下の秋を知る」をパクる。   
    豊臣滅亡を前にした忠臣片桐且元の述懐だ。
    たかがパソコンされどパソコンではあるが。
    パソコンだけでお付き合いの方が数人居る。

              



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水に輪があらはれ寒くなりにけり  鴇田智哉

2010年11月07日 | Weblog
小石を投げたのか、水面に輪があらわれて広がっていく。
ふっと寒さに気付く。

普通なら、水の輪をつくった原因のほうを詠むのに
その情景の主語をあえて外して詠む。

寒さが水の輪になってひろがっていくようにも感じられる。
不思議な効果がでている。

水の輪がなぜ起きたのか?は、読者の想像にまかされている。

             

  文字が手を覚えてゐたり花の昼

登場人物は一人なのか?二人なのか?
また、どんな文字を書いているのか?
そこが書かれていない。
書かれていないことによって不思議な空気が
立ち上がってくる。

虚子の大根の葉の流れる速さを詠んだ句も同じ技法。
575という小さな器に、大きなものを盛る手法。
しかし、「それでどうしたの?」と言われかねない。

そう読んでくれる読者なくしては成り立たない・・・

                   遅足

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