575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「 津島祭礼図屏風 」⑩ 〜 社家 〜 竹中敬一

2019年06月15日 | Weblog

津島祭礼図屏風の宵祭り ( 八曲一双 )の画面 。

向かって左側に架かる天王橋を挟んで津島神社の鳥居が見える川向うが天王島

( 向島 )と呼ばれ、役人の館や社家 ( しゃけ )の屋敷が見られます 。

尾張藩の藩士、内藤東甫が安永年間 ( 1772 〜 1780 )に記した地誌 「 張州雑志 」

に東甫が描いた当時の津島神社周辺の地図を見てみると、天王川沿いに幾つかの

屋敷が書き込まれています 。

「 津島市史 」などを参考にして、屋敷を推定できるのもあります 。

「 番頭太夫 」( ばんとうだゅう)と書かれているのは、堀田家 。今は位置が違うよう

ですが、この堀田家住宅は昭和53年、国の重要文化財に指定され 、公開されています 。

元禄頃から商売を始め、金融、地主経営、新田開発で財をなしたとあります。

津島神社神官 堀田氏 ( 堀田右馬太夫 )から分かれた家柄 。

「 三太夫 」( さんだゅう )は 津島神社の御師 ( おしー 各地の檀家を廻って祈祷や

お札を配布する )を務めた堀田家 。

「 九郎太夫 」は、津島神社の社家、河村九郎太夫家 。





「張州雑志 」( 尾張藩 藩士 内藤東甫が記した地誌 ) 愛知県郷土資料刊行会より 。

東甫 ( とうほ ) が描いた江戸中期の津島の地図に筆者が加筆 。



天王川は木曽川水系 佐屋川の支流 。天王川に架かる大橋がいつ頃、完成したかは

はっきりしていませんが、織田信長は弘治4年 ( 1558 )この大橋の上から天王祭を

見物したという記録が残っています 。( 「大祭筏場車記録 」)

津島は湊町、津島神社の門前町として、戦国時代には急速に発展 。

織田信長の父 信秀は津島の財力を背景に尾張で勢力を伸ばしていったといわれて

います。

その後を継いだ信長が更に力をつけていった基盤は津島の経済力にあったと言えます。





「 津島祭礼図屏風 」( 「綴プロジェクト 」高精細複製品より

「 天王橋 」


この天王橋は江戸中期、宝暦10年 ( 1760 )に取り払われています 。

更に、佐屋川が度重なる洪水による決壊で明治32年に廃川となります。

その上、かっては湊町として栄えた津島の天王川も江戸後期には土砂の堆積で

せきとめられ、入り江となった 。その大きな池が今の天王川公園 。

天王川を挟んで、手前が津島五ヶ村 。即ち、米之座 ( こめのざ )、堤下( とうげ )、筏場

( いかだば )、今市場 ( いまいちば )、下構 ( しもがまえ ) 。

この五ヶ村の有力な町方衆の富力によって、天王祭が支えられていました 。

町方衆については次回 お伝えします 。              つづく




2枚目の写真の絵の中に子供が描かれています。
ひとりはまだ乳児で母親が胸をひろげて抱っこしています。
現代と同じ抱き方です。(遅足)
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車道越え何故(なにゆえ)蛙は田を変える  静荷

2019年06月14日 | Weblog

蛙は田の間を走る車道へ飛び出します。
運が悪いと轢かれてしまいます。
以前は車で走ると、オセンベイのようになったカエルが。
作者は「なぜ危険を冒してまで田んぼを移動するの?」
と、訊ねています。

およそ2億年前から地球上を飛び跳ねてきたカエル。
どんな気候にもなじむことができる適応の名人といわれ、
水があれば、そこにはカエルが・・・。

北極圏に棲むカエルは、氷づけになっても死なないそうです。
心臓や肺を止めることができ、解ければ元のとおり動き始める。
こんなに丈夫なカエルですが、環境の変化には弱いとのこと。
水中で皮膚呼吸をするため、水の汚染の影響を受けやすく、
数多くのカエルが絶滅、さらに増えるものと危惧されています。

  畦道を跳んで横切る蛙かな  亜子

亜子さんの句も蛙は田を変えようと跳んでいます。
命をかけても跳びだすのは恋のためでしょうか?
あるいは・・・別に理由があるのでしょうか?(遅足)
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別れ際片手をあげる君の癖   麗子

2019年06月13日 | Weblog
これは2004年の8月のお題「手」の時に作った俳句。先日見た映画「長いお別れ」でも、認知症になってベッドに横たわる父親役の山崎努が、別れ際にだまって右手を上げる仕草が印象的でした。

昨日、両親のいる施設にお見舞いに行きました。母は体調がよくなくほとんどしゃべらなくなってしまいました。寄り添う父も不安そうです。そばにいて一緒にクロスワードパズルをしました。短い滞在でしたが、施設を出て道路から父の部屋を見上げると、窓を開けて父が顔を出し、大きく手を振ってくれていました。私がバスに乗り込むまで何度も何度も。
この別れ際の光景はいつまでも忘れらないと思いました。

         別れ際大きく手を振る父の癖   麗 
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蛙(カワズ)聞く昔語りの先触れか  結宇

2019年06月12日 | Weblog

夜でしょうか。蛙が鳴いています。
これから昔話が始まります。
子供の頃の思い出なら、お祖父さんやお祖母さんから聞く昔話。
今なら、どなたか亡くなった方を偲んでのお話か・・・
いずれにせよ蛙の声が呼び水となって始まる物語。

どんな昔語りなのかは読者次第。
私なら、久しぶりに会った兄弟との思い出話かな。

男三人兄弟。私が小学校三年まで豊橋市に住んでいました。
家の近くには川が流れ、カエルもヒルもいました。
国道には市電が走っていました。
まだ車の珍しかった頃、線路の上に釘を並べて遊んでいました。
私のいない時、弟たちは大きな石を置き、電車は緊急停車。
二人は近くの警察の御厄介になったとか。
今なら笑い話では済まないですね。市電は今も走っています。(遅足)
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いま鳴くはこの世の他の亀ならむ   遅足

2019年06月11日 | Weblog

この句で作者は亀の鳴く声を聞いている。
が、亀は実際に鳴くことはないとされ、作者もそれを知っている。
ならば今耳にしたのはこの世ではなく、前世或はのちの世の亀だと言っているのだ。
この世にいながらにして別の世の亀を聞く不思議さおかしさ。
また他の世で亀は鳴くのかどうか。
そういったことがまた「亀鳴く」の現実離れしたおかしさに通じる。
二重三重の空想と戯れ。

「栴檀」6月号の選後評です。
辻恵美子先生が採り上げて下さいました。
ありがとうございました。

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6月句会近づく   遅足

2019年06月10日 | Weblog

6月といえば梅雨の季節。
気象庁は去る7日に東海地方などが梅雨入りしたものと発表。
それから雨の日が続いています。

今回の題詠はその「梅雨」です。
走り梅雨・梅雨入り・梅雨晴れ間・梅雨寒など、さまざまな季語が。

  樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ  日野草城

  ひそかなる恋そのままに梅雨に入る  桂 信子

  身のまはり梅雨たゞ梅雨のあるばかり  遷子

  こぼれ餌を上手に拾ふ梅雨雀  芝 由紀

  つがひとも恋とも見えて梅雨の鳩  福屋千穂美

梅雨ではなく「雨の字を持つ夏の季語」でもOKです。
たとえば、五月雨・白雨・雷・夕立雲など。

  五月雨やのれんの赤きラーメン屋  荻野美佐子

  白雨にはしり下るや竹の蟻  内藤丈草

今年はどんなタイプの梅雨になるのでしょう?
梅雨出水などは御免こうむりたいですね。
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てんでんこ田に水入りて蝌蚪の舞  竹葉

2019年06月09日 | Weblog

浅い水田の隅でオタマジャクシの塊が固まっていました。
水がひたひたと来て、それぞれが尻尾をくねらせながら
散っていく様を歌いました。
’てんでんこ'は川柳みたいでいけないかなーと思ったのですが、
頭から離れなくなり使いました、と作者。

てんでんこは、津波てんでんこのこと。
津波が来たら、親も子供も捨てて真っ先に逃げよ!とする
三陸地方の言い伝え。
東日本大震災で全国的に知られるようになりました。
インパクトの強いフレーズで、私の記憶にもしっかりと残っています。
日本人の生き方に警鐘を鳴らす響きがあるのでしょうか?(遅足)
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「 津島祭礼図屏風 」⑨ 〜 様々な見物人 〜 竹中敬一

2019年06月08日 | Weblog



「 津島祭礼図屏風 」( 「 綴プロジェクト 」高精細複製品より

朝祭りに押しかける見物人 。社家 ( 神職 )関係の人 、武士、商家の旦那とその一族、

僧侶、農民 、旅人など様々 。貴賎、男女を問わず皆んな一緒に祭りを楽しんでいる

ようです 。


屏風絵の特に宵祭りの場面で食べ物の出店と同様 、人集りしているのが芝居小屋

や曲芸 、カラクリ 、手品などの見世物小屋 。

山車と観覧船の間を綱渡りする姿も見えます 。この光景を口をぽかーんと開けて

見入る人 、じっと見つめる人それぞれの表情が見事に表現されています 。





「 津島祭礼図屏風 」( 「 綴プロジェクト」高精細複製品より )


江戸時代、津島天王祭を見るため全国各地から訪れる人が多く、文人らが祭りの

賑わいぶりを書き残しています 。

「 張州雑志 」( 尾張藩の藩士 内藤東甫が江戸中期 記した地誌 )

「 市井の南数町を去て、俳場 ( 芸をする人のための小屋 ) を構え、傀儡 ( くぐつ - 操り

人形 )、ものまね、かるわざ、歌うたいの類ひあつまり居て俳優す 。

… 老少男女競ひてこれを遊観す 。」と記しています 。


江戸深川生まれの小説家 滝沢馬琴 の「 蓑笠雨談 」に

「 旅店も四、五人ツツ合宿ス おそく来るものハ 宿なく、佇 ( たたずみ )で あかす

人もありとぞ ……参詣の貴賎は左右の堤に桟敷をかけ、或は乗船してこれを見る 」


江戸後期、津島生まれの十日亭厚丸 ( 詳細不明 )の川柳には


いや蚊屋 ( かや )は 天王さまのおきらいです


昭和30年位までは夏場 、カに刺されないために蚊帳を吊るして寝ていたことを

思い出します。

天王祭の宵祭りの夜は宿泊客が多いため、安宿も泊り客でいっぱい 。いちいち、

蚊帳を釣っているわけにもいかず、宿の女性従業員が " 蚊帳は天王様はお嫌いです "

と神様のせいにしてお客に聞えよがしにつぶやいている句 。( 堀田喜慶氏の註釈

を参考 )

関東などから来た津島講に入っているお客は御師 ( おし ) の家に泊めてもらって 、

蚊帳を吊るした部屋でゆっくり眠れますが、安宿にも泊まることもできず、天王川堤

で夜を明かし、翌日の朝祭りを見物した人も大勢いたようです 。

屏風絵では、様々な見物人の表情までも丹念に細かく描かれていて 、その描写力は

高く評価できるのではないでしょうか 。

津島祭礼図屏風を細部までよく見ると色んなことがわかってきます 。

例えば、群衆の足もと 。特に、宵祭り、朝祭り 両シーンとも天王川を挟んで手前の

津島5ヶ村側を歩く人々の多くは素足です 。草履 ( ぞうり )や ワラジ 、下駄 ( げた )

を履いているは旅人、僧侶、ごく一部の女性 くらいです。

津島神社の鎮座する向島側でも木製の浅沓 ( あさぐつ )を履いているのは、地位の高い

神官だけで、同じ社家でも従者は素足です 。

先日、京都国立博物館で「 一遍聖絵 ( いっぺんひじりえ) 」展を見てきましたが、

一遍上人一行の旅姿は全国を遊行するとあって全員ワラジを履いていました 。

しかし、全国各地の庶民の姿は殆ど裸足 。もっとも、この 「 一遍聖絵 」は「津島祭礼

図屏風」が描かれた江戸時代前期より以前の鎌倉時代末期の作品ですが、私が子供の

頃の昭和初期でさえ、若狭の陸の孤島のようなところでは、皆んな裸足で外で遊んで

いました 。その足で家の中まで入って親に叱られたのを覚えています 。 つづく
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柏餅一つ残して子等の去る  狗子

2019年06月07日 | Weblog

柏餅。夏の季語です。
カシワの葉で包んだ柏餅は、徳川将軍の時代に江戸で生まれたとのこと。
カシワは新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、
「子孫繁栄(家系が途切れない)」の縁起をかついだものだとか。
戦前まではカシワの葉の柏餅は関東が中心。
関西より西ではカシワの木は少なく、代わりに
サルトリイバラなどの葉が使われていたそうです。
そう言えば京都へ行った時にサルトリイバラの柏餅がありました。

端午の節句に出された柏餅。子供たちが去っていきました。
一つ残っていました。イメージの鮮明な句です。
しかし小さな謎が残りました。

きっと数人の子供たちが食べていたのでしょう。
数が中途半端で上手に分けられなかったのでしょうか?
それとも一人嫌いな子がいたのでしょうか?
大人のために一つ残したのでしょうか?

柏餅をめぐる子供たちの関係、大人との関係をも想像させる句。
ちょっと不思議な句ですね。
なぜ柏餅一つだけ残ったのでしょうか?   遅足
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文庫川柳   麗

2019年06月06日 | Weblog
昨日、郁子さんとおしゃべりランチ。
村上春樹の作品に興味があるとおっっしゃっていたので、我が家にある「ねじまき鳥クロニカル」や「海辺のカフカ」をお貸しすると約束したのに、本棚のどこを探してもありません。
唯一「ノルウェーの森」だけがありました。どうやら数年前の断捨離で処分してしまったようです。ごめんなさい。
(ねじまき鳥はノモンハン事件のくだりが、読むのが苦しくなって挫折してしまいました。)

一度、本棚の本を作者ごとにきちんと整理しようと思っています。
さて、本棚の整理で思い出したのが「文庫川柳」という遊び。
数年前、ツイッターで話題になっていました。写真のように、文庫本のタイトルを組み合わせて川柳を作るというもの。

「なんらかの事情紳士の言い逃れ」

いかがでしょうか?たまたま近くにあった文庫本2冊で作ってみました。

文庫本の背表紙を合わせて三冊でやれば、もっと面白いかも?自宅の本棚でみなさんも楽しんで見て下さい。
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レッグプレス新たな言葉身につけてデイケア一日目始まる  遅足

2019年06月05日 | Weblog


介護保険の要支援2の認定を受けて、はじめてデイケアに。
パーキンソン病の進行を遅らせるためのリハビリ運動。
およそ1時間半、さまざまなメニューをこなしていくなか、
はじめてレッグプレスなる道具を使いました。

レッグプレスは、ウエイトトレーニングの一つ。
専用のレッグプレスマシンを使って、
下半身、特に大腿四頭筋・大臀筋・中臀筋を鍛えるもの。
効果はスクワットと同じとか。
きっと筋肉痛の出たところが○○筋なんでしょう。
結構、効果はありそうです。

デイケアは送迎付き、これから週二回、お世話になります。
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誰がために尻尾捨てしや蛙鳴く  郁子

2019年06月04日 | Weblog

「誰がために憲法はある」という映画を見ました。
多大な犠牲と後悔の上にできた平和憲法。
いっさいの武器を捨てて、戦争という手段を選ばない
と、決めた憲法が時代に合わない??
理想を追い求めて何が悪いんですか!
映画は渡辺美佐子さん演じる「憲法くん」の言葉から始まりました。

カエルの尻尾と武器が、頭の中で勝手にリンク。
誰がために尻尾捨てしや、という上五中七が生まれてしまいました。
恥ずかしながら、大変ひとりよがりな句でした。
進化論に異議をとなえたつもりはありません。(笑)
と、作者。

        

一人前の大人になる時には尻尾は不要です。
誰のためではない、自分のために捨てたのです。
人類も喧嘩をせずに平和に暮らしてこそホントの大人。
そのためには武器など捨てなさい。
それが自分のためですよ、というメッセージだったんですね。
尻尾を捨てた蛙は平和の大切さを教えるために鳴いています。(遅足)

  わがために捨てし尻尾や夕蛙  
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このブログの人気記事より~田植えの俳句(NHK俳句より)~愚足

2019年06月03日 | Weblog


昨日のNHK俳句の選者は「宮坂静生さん」題は「田植」でした。

①田植機のほがらほがらと進むかな     伊澤 玲
②椎若葉受洗の意志を固めけり       金子睦男
③ずぶどぶとずぶとぷどぶと田植せり    豊島延道
④田植機に乗る満身の瑞瑞し        小島文英
⑤水祈り土に祈りて植ゑし田よ       市川左馬郎
⑥車田や佐渡の両津の田植唄        吉村峰隆

⑦田を植ゑて家の中まで水匂う       鈴木滋三
⑧露座仏のみそなはす田を植ゑにけり    別祖満雄
⑨田を植えて廃鉱櫓仰ぎたる        坂井たづ子
⑩田を植うる村中濡れてをりにけり     稲富定務
⑪東田植西荒磯の五能線          野副 豊
⑫木曽奈良井着きしばかりに田植寒     高柳和弘

宮坂先生の選は、三位② 二位③ 一位⑫ でした。

私の選は    三位③ 二位⑦ 一位⑤  です。

毎回先生と自分の選が一つくらいしか合わないのが残念です。
皆さんはいかがでしょうか?

冒頭紹介された先生の句

 「沖縄忌幼児に海をしかと見せ」の句も印象的でした。

              

この記事は2007年6月に愚足さんが投稿したものです。
愚足さんは2015年にお亡くなりになっていますが、
ブログに掲載された記事は今も人気ランキングに登場しています。
                        (遅足)

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遠蛙夢にブレーキかけし声  晴代

2019年06月02日 | Weblog

夢にブレーキをかけたのは誰だったのでしょう?
夢をみたのは、いつ頃のことだったのでしょうか?

私にも若い頃には夢があったと思うのですが・・・、
どんな夢だったのか?もう思い出せません。
しかし作者には諦めきれなかった夢があったようです。

俳句にはあまり馴染みのない「ブレーキ」という言葉。
そのせいか後悔といった心情が色濃く感じられません。
事態を俯瞰する冷静な目が感じられます。

遠くから聞こえてくる蛙の鳴き声。
そのなかから別の声が聞こえてきます。
夢を追いかけた若い頃。諌めるようにブレーキをかける声。
さまざまな感情も、今は濾過されて透明に。
記憶のなかから聞こえてくるのは遠い「声」です。

メカニック言葉が句にクールな効果をもたらしています。(遅足)
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「 津島祭礼図屏風 」⑧ 〜 曲芸 「蜘蛛 ( くも ) 舞 」〜 竹中敬一

2019年06月01日 | Weblog







「 津島祭礼図屏風 」( 大英博物館蔵 「綴プロジェクト」高精細複製品より )

祭船から伴船へ張った綱を渡る人形


「 津島祭礼図屏風 」の朝祭りの場面に大山とその伴船に綱を張って曲芸を披露する

シーンがあります 。

津島市文化財専門委員の樋田 豊氏 ( 故人 )は尾張藩士 内藤東甫が安永年間

( 1772〜1780 )に記した地誌から引用して

「 ハヤブサと称する綱渡り、……下構村 ノ山車、人形綱渡り 」と記しています 。

下構村 ( しもがまえむら )は津島五ヶ村の一つでハヤブサに人気があったようです。

下構村の大山の上から凡そ30メール下の伴船に綱渡りをしているのは人形ですが、

人間の場合もあるようです。





「津島祭礼図屏風」( 大英博物館蔵 )の 「蜘蛛舞」🕷


狂言研究家の藤岡道子氏は数少ない能狂言の絵画資料を集めて、比較研究した論文を

発表しておられますが、その中で数ある「 洛中洛外図 」を中心に 「蜘蛛舞」の出て

くるシーンを抽出 。「蜘蛛舞を家芸として世襲する家があったようだ」としています。

「 蜘蛛舞 」が出てくるのは、「 洛中洛外図 」杉原美術館蔵の池田本、妙法寺 ( 佐渡 )

蔵の他に個人蔵の「 絵入り謡本 百万 」、大英博物館蔵 「 津島祭礼図屏風 」、

ギメ美術館蔵「 津島祭礼図屏風 」となっています。

「 洛中洛外図 」 池田本、妙法寺蔵 それに「 絵入り謡本 百万 」とも曲芸師がクモの

ように両手両足を広げて張られた綱を降下しているシーンが描かれています 。

これに対して、「 津島祭礼図屏風 」は両方とも人形です。

いずれにしても、「 蜘蛛舞 」は、能や狂言、歌舞伎の幕間に上演されたのでは

なかろうかという結論になっています 。

「 津島祭礼図屏風 」の朝祭りに出てくる能人形、宵祭りに描かれている女歌舞伎と

何か関連があるのかもしれません。

( 藤岡道子「 狂言の絵画資料の収集 」インターネットを参考に )

ところで、「 津島祭礼図屏風 」に描かれている綱渡りのシーン、よく見ると、

どうも人形ではなく、曲芸師のようにも見えます 。

私はこのところ、江戸時代前期に描かれた幾つかの「 洛中洛外図 」「 祭礼図 」の

実物や図録を仔細に見ていますが、その中に「 津島祭礼図屏風 」に出てくるシーン

のお手本になったと思われる箇所を僅かながら発見しました 。

この件はもう少し調べた上でお伝えしますが、「 津島祭礼図屏風 」の綱渡りのシーン

もひょっとして、これを描いた絵師は津島天王祭の実景からではなく、「洛中洛外図 」

池田本に出てくる曲芸師をお手本にした可能性もあるようにも思えますが …… 。 つづく

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