「飛んでいる光は止まっている」なんてゼノンのパラドックスみたいなこと言いましたが、これは観測者の立 場の違いのことで、光の立場から見れば止まっている、人間(マクロな静止した質量の塊)から見れば秒速30万 kmということです。
一個の光子にとっては、時空の概念(実在)が無いのですから、人間が勝手に決めた137億光年の宇宙空間 も、距離がゼロで移動時間もゼロの「空間」となります。両者とも実在とすれば、人間の目から見た(観測した) 137億光年の宇宙と一個の光子が認識する時空は、お互いが内在しあっている、重なりあっているとも 解釈出来ます。
ではその一個の光子は、人間の目にはどの様に見えるでしょうか。直感的には、宇宙全体にボワァーっと広 がった状態が考えられます。なぜなら、一個の光子の中に宇宙全体が入っているのですから。そんなアホな、 とお思いでしょうが、これを類推させる事象が観測によってほぼ間違いのない事実として考えられています。そ うです、ブラックホールです。その内部(が有るとすれば)には膨大な質量が詰まっているのですが、時間も空 間も有りません。(何故かは、アインシュタイン先生に聞いてね)
一方光子からすれば「私は私で此処に、粒子として居るじゃないですか」と言っているかも知れません。人間 も光子も対等な実在とすれば、その両方とも正しいと考えざるを得ません。別に人間の方がエライ訳じゃないん ですから。(蛇足:これをコペルニクス的展開と言い絶対者の視点「神様とか人間が一番エライと思っている人 のこと」を排除する考え方)だとすれば、光が粒子に見えたり電磁波に見えたりしたっていいじゃないですか。 両方ともアリなんだから。
そろそろ話の内容が、暇人の妄想の領域に突入してきました。これから先をお読みになる方は、眉毛に唾を ベトベトに付け、決して信用なさらぬように。・・・・次回に続く。
追記:新見温泉駐車場の脇に立つミズナラの巨木。蘭越町指定の名木。晴れていれば、この木越しに目国 内岳が見える。今は唯の枯れ木にしか見えない。